2. After soiree
「なんで距離とんの?」
ラジオ局の通用口を出てすぐ、車の中から声を掛けられて文字通り飛び上がった。
深夜放送が終わり、片付けをし、軽く打ち合わせをしてパーソナリティーはもう局にはいないはずだ。整った顔が少し開けたウィンドウから見える。
「……なんの話で、」
「乗って」
言葉の意味が脳に入ってこなくてポカンと口を開けたら、ため息をついた男は運転席から降りてきて助手席を開けた。
「ん」
「……」
「帰っても用事ないでしょ?今日思ったより寒ぃよ。送ってく」
「タレントさんに送ってもらうわけには、」
「ダメじゃないんでしょ?そういう規約はないよね?」
「……な、いです」
「はい決まり」
そんな『富永恭一』を全力で押し出した笑顔をしないで欲しい。目を逸らし、誰か助けてくれる人と周囲を見たが、あいにく怪訝そうな顔をした警備員しかいなかった。諦めて助手席へ滑り込むと車内は暖かく、いい香りがする。
「俺んちでもいい?」
「え?」
軽やかに運転席に乗り込んだ男は、シートベルトを締めながらとんでもないことをのたまった。
「コーヒーぐらい出せるよ」
「え、や、そうじゃなくて、」
「美味しいよ俺が淹れるコーヒー」
「それは知ってるけど」
「懐かしいね、この感じ」
恭一の周りの空気が、柔らかさを孕んだ。さっきまでの「芸能人」とは違う、「一人の人間」としての「富永恭一」になったのを、肌で感じた。
「久しぶり、一也」
「……7年ぶり」
結局有名人と連なってこんな時間でも空いているファミレスに行く勇気もなく、恭一の自宅へと向かった。
地下駐車場から入ると守衛が立っているマンション。これが噂に聞く芸能人御用達のアレか、と変に感動してしまう。エレベーターも高層フロアは別になっていて、初めての経験に珍しく心が弾んだ。
「——美味しい」
昔からこだわりの強い男だった。美味しいコーヒーを自分で淹れられるようになりたいとわざわざレッスンの合間に習いに行って、覚えてきたものを仲間たちに振舞っていたのを思い出す。
恭一は酸味があまりない、深煎りを好んでいたことも。
「ようやくここ、緩んだ」
ここ、と指したのは眉間で、ずっとしかめ面になっていたことに気付かされた。自分で触ってみると、さっきまでの凝りが少しだけマシになっている気がする。何日も緊張して過ごしていたのだ。眉間に皺も寄る。
「なんで眼鏡?昔はしてなかったじゃん」
「いきなりそこ、触れる?」
「——ごめん、核心だった?」
流石にど真ん中を突っつくことになるとは思っていなかったのだろう、申し訳なさそうに言った恭一はコーヒーを啜り、口をつけたところを左手の親指でそっと撫でた。
「さっきした質問。『なんで距離とんの?』。あれの答えってさ……メール、の内容、ってことだよな」
「……」
「アンディ。あれ、一也だろ?」
「……ほんっと、聡くて嫌になるよ」
「どうも」
「褒めてない」
昔のように、話せている自分に驚いた。
「放送中に自分でメール書いて、紛れ込ませたんだよな。メルアド見てすぐわかった」
「そ、んなとこまで見てんのか。パーソナリティってすげぇな」
「慣れだ慣れ。……あと……アンディは養成所時代にやった役だ」
ああ。これだからこの男が、苦手だ。
「よく覚えてるな」
「うん。その時だから。『お前には壁がある』って言ったの」
「……うん」
眼鏡のフレームを、無意識に触った。
「傲慢だった。ごめん」
「え?」
謝られたことに驚いて目線を上げると、向かいに座った男が深く頭を下げていた。
「ずっと気にしてた。当時は『なんで俺の言ってること伝わんねぇんだ』って腹立ててて……卒業まで俺が距離取っちゃってたけど。プロになって、色んな人たちと芝居して、若手の子とやったりさ、そういうのやってたら……あれは俺のエゴの押し付けだった。本当にごめん」
真剣な声音に、身動きが取れなかった。恭一は苦しそうな表情で、けれどそれがなんだかイラつかせた。
「……謝って欲しいわけじゃない」
でた声は低く掠れて、自分のものじゃないみたいだ。
「それは……君が楽になるだけじゃないか」
「だな。そう、これも俺のエゴだ」
「っ、じゃあなんで、」
「メールくれた。俺に。ラジオに。やり直す機会を、一也がくれた」
「……嫌がらせのつもりだった」
「うん」
「あの時の気持ちを、今でも燻ってるアレを……出てくるのを止められなくて……逢いたくないって思ったのに組むことになっちゃって……ああもう」
上手く言葉が出てこなくて髪をぐしゃりと掴んだ。
「俺はね、一也。お前と、一緒に芝居がしたかったんだ。芝居の話をしている時のお前は、いつもすっごく楽しそうで、笑顔で。なのに、俺と組むときはそれが引っ込む。急に壁を作られる。俺が言ったセリフはその壁で跳ね返るんだよ。そんなの……悲しいじゃんか」
悲しい、という言葉が、すっと心に入ってきた。
「悲し、い?」
「うん。俺は、お前と、会話がしたかった。役の上で、ちゃんとキャッチボールをしたかったんだ」
「……俺、」
「他の人とはできてんだよ。キャッチボール。どうして、俺とはできなかったのか。それが、当時の俺にはうまく聞くことができなった。でも今なら」
手が伸びてきて、血の気が引いた鳥海の手を包んだ。驚いて身を引こうとしたが、思いの外強く掴まれていてうまくいかなかった。
「強引でごめん。今も、前も。……壁なんて言ってごめん。俺は、一也の芝居が好きだった。一緒に、次へ進みたかった」
芝居が好きだった。そんなこと、言ってもらえるなんて思わなかった。自分は置いて行かれたと、7年間、ずっと思っていた。
恭一の指も冷たくて、でもそこから必死の想いが流れ込んできたように感じて、震えた。
呼吸が、苦しい。
小さく息を吸ったら、目の端から涙が一粒、溢れた。
「俺、ずっと欲しかったんだ、それ」
「……どれ?」
「俺の芝居が好きだ、って言葉」
声に乗せた途端、壁が、決壊した。
開いた目からぼろぼろと涙が溢れ落ちる。こちらを見ている恭一の目を、今日初めて、しっかりと見返した。
「恭一と上手く芝居が出来なかったのは、追いつきたかったからだよ」
7年前の気持ちが、するっと口から出た。
「かっこよくて面白くていいやつで、芝居が上手くて。そんな奴と名前順ってだけで組ませてもらえる。……勝ちたいじゃん」
「……うん」
「だから家で予習しまくって。恭一ならこういう芝居してくるだろうな、とかめちゃくちゃ練習して。……その結果が、あれだよ」
「型にはまった」
「そう。恭一は俺が想像したんじゃない演技を持ってくる。それも何パターンも。……そりゃ怒られるよね」
はあ、と大きく息を吐く。つかえていたものが涙と共に出ていったようで、身体が少し軽くなったように感じた。
「魔法だ」
「……何が?」
「恭一の言葉。やっぱり魔法使えるんだな」
ふはっと小さく笑うと、恭一の指に力が入った。
「……もう一つ質問させて。眼鏡、なんでしてるの」
「その感じ、なんとなく察しがついてるようだけど」
「俺、のせい、だよな」
度が入ってないと指摘されて、理由まで当てられた。本当に聡い男だ。
「あれ以来、言葉が刺さるのが怖くて。物理的に『壁』作った」
「っ……ごめ、」
「謝んなくていい。もう、すっきりしたから」
恭一の手を、そっと外した。
「俺が芝居の道に行かなかったのは、俺が弱かったからで。傷つきたくなかったからで。でも元々好きだったラジオの世界にきて、作家やって、こうやって恭一にまた逢えた。で、つかえてたもん、取り払ってくれた。ありがとう、パーソナリティ」
「俺は……今の発言に壁を感じたんだが」
「っ、ふふ。聡いな、本当に」
「自己中なのは重々承知で言う。俺は、お前とまた一緒に笑えるようになりたい」
真剣な顔ですごいことを言うから、鳥海は思わず吹き出してしまった。それでも表情を崩さない男に、苦笑を向けた。
「過去に自分を傷つけた相手と、俺が一緒に笑えるようになると思う?」
「うっ……」
結構意地悪なところが自分にもあるのだと、初めて知った。
「……その傷を、塞ぐのが俺の使命だと思う」
「……や、冗談だよ?俺もいい歳だし、経験積んでるし、結構すっきりしたよ、言葉の真意が知れて」
「一也がまた、眼鏡が無くても笑えるような、そんな風になるように俺、頑張る」
「何を?何をどう頑張るんだよ」
「一緒にラジオできるようになりたいな。とりあえずまたヘルプに来てよ」
「やだよ、緊張するから」
「一也がいてくれて俺は安心したよ」
「……やめてよ、その顔」
熱のこもった目をしないで欲しい。顔面偏差値の良さを、無駄遣いしないで欲しい。
「てか手握ってくるとか、昔から変わらないな恭一」
「そう?」
「人との距離が近いんだよ、お前」
「人間が好きだからね。あと今日は……逃げられたくなかったから」
「どうやって逃げるんだよ、部屋に連れ込まれて」
「あ、そうだ。手始めに、LINE、交換して?」
テーブルに肘をついてにっこりする男に、鳥海はちょっと悪い顔をしてスマホをひらひらと振った。
「7年前から俺はID、変えてないよ。LINE消して全員の前から姿を消した、富永恭一さん?」
「うっ、そうだ、ごめん。事務所の方針で……」
「だから俺から、言うわ」
スマホにQRコードを表示して、向かいへと差し出す。
「俺と、友達になってくれる?」
嬉しそうな相手の表情が眩しくて、鳥海は、眼鏡を外した。
—END—
Why nothing never change 眞柴りつ夏 @ritsuka1151
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