神様のいない国

立花僚

序章 ハレ

 広く晴れ渡った空の下、16歳のハレは畑で農作業をしている。

「今年の瓜は大きくなりそうだなぁ」

 そう広くない瓜畑の中でハレはそう呟く。この畑は彼の3代前から受け継いでいる。

「まあ、いつまで作れるかわかんないけど」

 そう言いながらハレは瓜の間引き作業を進めている。内心そんなことは思ってはいないのだ。間引き作業とはたくさん成っている瓜を選別し、数を減らすことをいう。その作業をすることでより大きく栄養のつまった瓜になる。瓜農家で育った彼にとって、どの実を残しどの実を摘み取るかを選ぶのは簡単なことだ。彼の三大前から受け継がれた知識と、父親の背中が語った経験が教えてくれる。彼の作った瓜は彼の家だけではなく、商人を通してこの火の国全体で流通し様々な人の口に届く。そのスケールの大きさは、16歳の彼の経験ではいまいち捉えかねている節がある。

――――発火だ!!!!!

何かが燃えたような臭い。遠くから鐘の音と男たちの大声が聞こえてくる。

「この辺りでは何十年も起きてなかったのに・・・あっちはもしかして!!」

ハレは走り出す。



集落は煙と炎で包まれていた。レンガで作られた火こそ燃えていないものの、炎に包まれ全体が燃えている家が何件もある。集落の広場にはじわじわと火が迫っており、徐々に地面が赤くなり火が出始めている。その中でも火から逃れた人たちが必死に避難を進めている。

「鎮火府はまだか!!防火壕へ逃げろ!!!」「けが人がいる、治癒士を呼んで!!」

――どうしよう、家まで近づけない。

 家までの道はすでに地面が燃えており、ハレでは通ることができない。途方に暮れていると火の近くで友人を見つけた。

「ミチヒト!どこから燃えている!?」

「ハレじゃないか!無事だったのか!」

「僕は畑にいたんだ。僕の家はどうなった?」

ミチヒトの表情が、今まで見たことがないくらい残酷に歪んだ。

「お前の家は・・・発火のすぐそばだ・・・」

「そんな・・・」

 ハレは地面に膝をついた。家には家族がいる。父がいる、母がいる、妹がいる。発火の中心部の近く、それはほとんど助からないことを意味している。そのことにハレは打ちひしがれた。地面が赤くなり始めた。膝を通して地面が熱くなってきているのがハレにはわかった。

「ハレ!ミチヒト!火が広まってる!近くの家に逃げ遅れがいないか見て回れ!」

 集落の長、ホルムだ。白い長髪に豊かなひげを蓄えた彼は馬に乗って避難の指揮を執っている。

「長!ハレの家族が火の中心にいるんです!!」

 ミチヒトはホルムへ伝える。

「そうか。それは不運なことだ。だが今は生きている者が優先だ。わかるな?」

 ハレは立ち上がってホルムを見る。燃えた地面が近づいてくる。

「はい。避難を優先します」

「よし。では東の家をすべて回り南の防火壕へ逃がせ」

そう言ってホルムは駆けていった。

「ハレ、大丈夫か?」

ミチヒトは心配そうにハレの顔を覗き込む。

「大丈夫。僕は火の民だ」

ハレとミチヒトは各家を逃げ遅れがいないか見て回った。



「君たち、この集落の者か!」

 5軒目を見終わったあたりで、黒い装束に身を包み兜を被った2人組と遭遇した。鎮火府の鎮火士だ。上下とも黒いのは火の中でもお互いを見えやすくするため。引っかからないよう体の線にピッタリ沿った装束の下は訓練で引き締まった体であることが見て取れる。兜は火の子をよけるために鉄製の麦藁帽のような形をしている。目のところをくり抜いた布を被っているため表情は読めない。彼らはこの”発火”の際、国民を守るために存在する。

「そうです!鎮火府の方ですか!」

ミチヒトがそう聞いた。

「そうだ、今到着した。この火の先に逃げ遅れはいるのか」

ハレは胸の内がつかまれたような思いがした。しかし火の民はみなこう答える。

「発火の中心を除いて、火の中に逃げ遅れはいません。南の防火壕へ避難しています」

「よしわかった。ではここからは私たちが引き継ぐ。君たちも防火壕へ避難しなさい」

そう言って鎮火士たちは火の中に入っていく。彼らの衣類は防火繊維で編まれており、靴底には火を通さない鉱物が入っている。

「無事をお祈りします。」

ハレとミチヒトは防火壕へと向かった。



 防火壕は避難してきた人たちでごった返していた。山をくり抜いて作った防火壕は暗く湿気ている。しかしこの湿気は火除けとなり人々を守ってくれる。

「ミチヒト、家族は?」

「たぶんもう来てる」

「それなら会ってきなよ。僕のことはいいから」

「ごめんな。ありがとう」

「いいよ、僕は火の民だから」

ミチヒトは家族を探しに人込みに紛れていった。鎮火士と交代した集落の男衆が次々と防火壕へたどり着いている。みな、家族の元へ行きお互いの無事を確認している。しかしその中には混ざらず、防火壕の外で佇んでいる人たちがいる。きっと家族を亡くした人たちだ。ハレの足は自然とそちらへ向いた。

「ハレ君かい?」

そう声をかけてきたのは隣の家のミツルおじさんだ。今は顔は煤だらけだが、いつも優しい表情で話しかけてくれる。

「おじさん!無事だったの!?」

「畑に出ていたからね。ハレ君もかい?」

「うん。鐘の音が聞こえてきて、それで帰ってみたら・・・」

「私もだ。間に合わなかった」

二人は向かい合ったままうつむいた。沈黙が続く。集落が燃える音は大きく、防火壕まで聞こえてくる。先に口を開いたのはミツルおじさんだ。

「もう20年以上ここは燃えなかったから。きっと順番が来たんだろうね。ハレ君は発火を見るのは初めてだね?」

ミツルおじさんの声は穏やかだった。

「うん。生まれて初めて」

ハレの声は震えている。

「この国は常に火に包まれている。そのおかげで大地は暖かく作物を実らせてくれる。」

ミツルおじさんは話を続ける。

「私は発火を見るのは2回目なんだ。前の時はまだハレ君くらいの年でね。その時は家族を失うことはなかった。運がよかったんだろうね」

「・・・運がよかった、ってなんなのかな」

ハレは問う。

「さぁ。それはきっと慶朱ケイジュにしかわからないだろうね。私たちは燃えなかったことを受け入れるしかないんだ」

慶朱とはこの国で一番高く、朱い山だ。人々はその山を崇め、畏れている。ハレやミチヒト、この国の者はみなその山のことを教わりながら育つ。人々は尊敬と畏敬の両方を込めて、朱い慶びの山と呼ぶ。

「じゃあ燃えた人たちは、燃えたことを受け入れるしかないの?」

「・・・そうだね。なにより燃えてしまった人たちはもう還らない。みなあの山へ呼ばれたんだからね」

――治癒士が来たぞ!けが人はいないか!!

「おじさん、けがはしていない?」

「実は左手を火傷しているんだ。今もズキズキ痛くてね。治療を受けてくるよ」

左手をかばいながら、ミツルおじさんは人込みに入っていった。燃える音は今も聞こえている。少し近づいてきているようだ。

「ハレ、ここにいたのか」

見慣れた煤だらけの顔、ミチヒトだ。

「ミチヒト。家族はいいの?」

「母さんが、ハレを一人にするなって」

「大丈夫だよ。僕の家族は慶朱に呼ばれたんだ」

そう言って、ハレは少しうつむいた。彼の目はどこか遠いところを見ているようだ。

「・・・ハレがそう言うならいいんだ。けがはしてないか?」

「大丈夫。ミチヒトは?」

「オレも大丈夫・・・いつになったら消えるのかな」

「火の神様が来てくれないと、消えないんだよね」

二人は集落の方を見つめる。すると南の方から何か飛んできた。

――火の神様だ!!

誰かがそう叫んだ。火の神と呼ばれた飛翔体の元に、集落の火炎は吸い込まれるようにして消えていく。渦を巻きながら登る火炎はあっという間に消え、焦げたレンガの家と黒い装束を着た鎮火士たち、そして空中にいる火の神が残った。

――おお、火の神様が消して下さった!!

火の神はこちらを向き、近づいてくる。徐々にその容貌が見えてくる。ハレが火の神を目にするのは初めてのことだった。黒い短髪、逞しい体躯、浅黒い肌、鎮火士の着ている服と同じ形状だが色が違う、白い。火の神が着地すると集落の人々はぞろぞろと火の神を中心に扇状に集まった。中心に出たのは白髪のホルムだ。

「火の神、フォルト様。お越しいただき感謝申し上げます」

ホルムは深々と頭を下げた。

「遅くなって済まなかった。ここより前に2か所鎮めてきたのだ。今日はよく火が出る」

フォルトはまっすぐな声で謝罪を口にする。

「火の国に暮らす火の民たちよ。今日の火によって失われた人々がいることは大変不運なことだ。しかし君たちは生きている。そして失われた彼らは山へ呼ばれた。それだけのことだ。君たちが昨日と変わらぬ生活が送れるように、防火士や治癒士が助けてくれる。だから安心して明日を暮らしてほしい」

フォルトの言葉に、集落の人々は跪く――――ハレ以外は。

「おい、ハレ。どうした?」

ミチヒトが声を潜めて言う。ハレは動かない。

「そこの君。どうした」

フォルトと目が合った。まっすぐな深紅の瞳はハレの心を揺さぶる。フォルト、鎮火士や治癒士たち、ミチヒト、ミツルおじさん、ホルム、そして集落のみんながハレを見つめている。足が震えてきた。鼓動は早く、冷や汗が流れ、吐き気すらする。

「なんでもありません」

ハレはありったけの、擦れ消えてしまうような声を振り絞って言った。フォルトは深く深呼吸をするように、頷いた。

「そうか。無理をすることはない。しばらくは鎮火士も治癒士もいる。治癒士には心を扱っている者もいるから話をしてみるといい。他の者も、体調や心の不調があればすぐに言ってくれ。治癒士を手配する」

集落の人々を鼓舞するかのような、張りのあるフォルトの声は優しさを感じさせる。

「みな、今日はご苦労だった。君たちが今日、大変な目に遭ったことは確かだ。君たちが安心して暮らすことのできるよう、我々は一層努力することを約束する」

フォルトのその言葉に、集落の人々はなお深く頭を下げた。ハレもそれに倣った。

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