chapter 1 「この広い宇宙ではありふれた事」

scene 1 「終わりの始まり、または絶望のすえに」


 頭の先からつま先にかけて、斜めに重心が落ちていく。

 目の端に車輌しゃりょうのヘッドライトの明かりをとらえる。ホーンがけたたましく鳴っている。

 衝撃が体を撃つのは――



scene 2 「走馬燈」

  …

 何かがおかしい。飛び込んでくる車両に向かって飛び込んだはずなのに。

 これはいわゆる走馬燈そうまとうというやつか?

 それにしては、あまり良い光景でもない。だって、先程まで居たホームの上の光景だから。ただまあ、上下関係はあべこべで、駅名標の短い方の縁が視界の上の方にわずかに横向きに見える。

 ホームの上に倒れているみたいだ。左頬にコンクリートの冷たい硬さが伝わってくる。

 走馬燈までこんな気の利かない風景とは、まあ、泣けてくる。喉の奥からため息が噴き出す。

 とりあえずは、このまま倒れたままでいいかな。何もかもが面倒だ。まぶたを閉じよう。


 瞼の裏側を見続けて、数秒、いや、数分、もしくは数時間。あるいは数千年。時間感覚くらいは「向こう」に置いてきただろうから、よく分からないのだけど。

「おやおや、お客様。ホームの上で寝転ばれるとご迷惑なのですが。でもまあ、めったに人の来る駅ではないので、気にせず気の済むまでお休みくださいませ」という、低くゆったりとした節回ふしまわしの言葉が耳に入る。

 おお、人。人?我が走馬燈の初の登場人物。まあ、よく知らない駅員さんな訳だが。

「ああ…。どうも、すみません」

 かすれかけた声で返事をする。久々に声を出したからボリュームもイントネーションも変だ。

「いえいえ。お気になさらず。お加減はもうよろしゅうございますか?」

「ええ…まあ。特に異常はないです」

 目を開け、声のした方に目を向ける。右手。声の主のものだろう。とりあえずは自らの右手を差し出し握ると、優しく起こされる。

「済みません、お手数かけます」

「いいえ、お客様が無事なら良いのですよ。本当に何もございませんね?」

「ええ、おかげさまで。何ともありません」

 声の主は30代くらいの男だった。フレームレスの眼鏡に短髪。頭の上には帽子。細めの目が少し吊り上がっている。鼻筋も目元に似て細く高い。涼しげな顔だち、と言えば分かりやすいだろうか。

 久しぶりに人の顔をまじまじと見た気がする。

 さて。このままホームに居座いすわるのもどうだし、とりあえずは立ち去るか…。あまり人と関わり合いになりたくもない。目の前の涼しげ駅員に頭を下げ、ホームの端の階段を目指す。


 しかし、何でこの駅のホームはさびれているんだ?プラスティックのベンチはなかくずれかけている。時刻表は灰でも被ったみたいに汚れている。文字も読めない。発車標はっしゃひょうは電源が切れている。駅名標のデジタルサイネージはひび割れ消えている――

 なんかおかしくないかこれ。少なくとも、あの「向こう」の駅―家の最寄り駅―とは違う。そもそもこの駅は営業中なのか?明かりだけはしっかり着いているけど。

 何処だ、ここ。なんだってこんなところにいる走馬燈を見ているんだ…

 大体、これは走馬燈か?走馬燈にしては視界が良すぎるというか、今の僕が主体的に動いているというか。しかも、感覚もいやにリアルだった。コンクリートの冷たさといい、駅員の手の感触といい。

 一体全体、何でこんな目にあっているんだろう。少しばかりイライラしてくる。頭の中におもしを突っ込んだみたいな気分になる。

 まあ、いいや。とりあえず、改札を出て家に帰ろう。

 階段をゆっくり上る。だんだんと改札口かいさちぐちが見えてくる。やはり、明かりは着いているけど、全体的にすすけている。壁のかつては白かったであろうタイルも灰色ががっている。上ってすぐの右手にある駅長室に続くであろうガラス戸は白くにごって中を見渡みわたせない。少し進むと左手に駅員室と書かれた赤い鉄の扉。そのまま目を滑らせると液晶に「準備中」と表示された乗り越し精算機。なんとまあ、奇跡的に動いているらしい。

 改札機の前にたどり着く。横の駅員室に続くカウンターには誰もいない。上を見ると発車標。やはり電源はOFF。改札機は何とか動いているみたいだけど。

 改札を抜けようとポケットに手を突っ込み財布を取り出す。そして、そのまま、改札機のICカードリーダーにタッチ。ポーンと間抜けな音がして改札は開かない。もう一度タッチ。ポーン。あれ?改札機の不調か?まあ、こんな駅にあるんだから、まともに動くはずもない。だけどまあ、そそっかしい僕ならICカードを無くした、って線もある。一応確認はしておくか。

 うん。ない。財布のカード入れをあさってもない。それじゃあ、スマホケースの中か?財布のあったポケットと逆側のポケットを漁る。ない。そういえば、置いてきたっけな。このまま改札機を飛び越えてしまってもいいか、と思うけど、さっきホームで寝転んでいるところを見られたばかりだ。今度ばかりはあの涼し気駅員が飛んできて説教を食らわされかねない。そんな事はお断りだ。面倒だけど、涼し気駅員に事情を説明して、改札から出してもらおう。


scene 3 「なくした切符」


 もと来た道を引き返す。階段を下り、ホームに降りると、涼し駅員が何の気もなさそうに、ひび割れた駅名標を眺めている。いやいや、異常事態ですよ、駅員さん。業者呼ぶなり人払ひとばらいするなりしなさいよ…。

「あの、すみません」

「はい?」

「ええと」

 何で、この状態で悠然ゆうぜんとしてらっしゃるんですか、という言葉を飲み込んで、

「実はICカードが無くて、改札を抜けられないんですよ。入場料をもう一度支払うんで、とにかく出しちゃもらえませんか?」

「ええ、かまいませんけど、お客様は先程、この冷たい冷たいコンクリ―トに寝そべっていた訳ですし、諸々もろもろ事情は聴かせてもらいたいものですねえ」

 眉根まゆねをひそめながら、答える。先程の涼し気な雰囲気は奥に引っ込み、苦々しげだ。

「いやいや、事情なんて特にありませんってば、嫌だなあ、もう」

 半笑い気味に相手に答える。あんまり突っ込んだ話とかはしたくないものだけど、辻褄ツジツマのあう話くらいはしないと納得してくれそうにない。仕方ない、今ここで適当な作り話を…。

「いや、お客様、改札を出るとあらば、私が一緒じゃないと。ご一緒願えますか?」

「あー、まあ、仕方ありませんよね。分かりました」

 結局面倒な事になっているじゃないか。ま、いいか。仕方ない。


scene 4 「思いの色」


 涼し気駅員と連れ立って、ホームを歩く。彼の顔は先程の苦々し気な顔から、何かを思案しあんするような顔に変わっている。何かとても気になる事があると言いたげに片眉かたまゆが吊り上がっている。多分だけど、その気になっている事はこの駅の惨状さんじょうなどではなく、僕に関する事なのだ。余計な事は聞かれたくもないし、注意を何処かにそららしたい。かといって、天気の話題なんか振ったって仕方無い、面倒な方向に向かう事は承知で、この駅について聞いてみる。


「さっきから気になっていたんですけど、駅員さんすごく暇そうにしていましたよね?」

「ええ、実際、とてもとても暇です。やることがあまりにもないもので、ホームで発車標のひびの数を数えてましてね……107まで数えたところで、お客様に声をかけられまして…」

 ゆったりとした声で答える。相当暇を持て余しているみたいだ。

「いや、ここって、地下鉄の駅なんだから、それなりに電車も人もくるでしょう?」

「いえ。めったに電車も人も来ませんねえ」

 そんな事はないだろう。明らかにおかしい。目の前の駅員か、はたまた、この状況全体なのかは分からないけど。

「まあ、昨日は、まあ、電車もお客様もいらっしゃいましたからねえ、久しぶりに働きましたよ、ええ」

 ふむ。全くの廃墟はいきょって訳ではないらしい。まあ、ホームのあの様子じゃ廃墟同然だけど。

「へえ。しかし、ここ本当に紅花こうか線の駅ですか、ってぐらいにさびれてますよね…。こんな駅ありましたっけ?」

「いや、お客様、ここは紅花線じゃありませんよ?」

「はい?」

 あんなに寂れたホームの端々にも紅花線のラインカラーである臙脂色コチニールレッド端々はしばしに見えた。だから、とりあえずは紅花線の何処かの駅だと踏んでたのだけど――それに、家の最寄り駅は「紅花線」の「白路はくろ駅」だ。


「ここは――」

 そんな受け答えをしているうちに、赤い駅員室の扉にたどり着く。

「お客様、色々と気にかかる事があるようですねえ。私の方でも気になる事はございますし、ここはひとつ、駅長室で膝を突き合わせて話し合おうじゃありませんか」


scene 5 「Actor」


「どうぞ、むさ苦しいところですけど」

「おじゃまします…」

 駅員室の中は中央にシンプルな事務机が一つ。右手の壁側に改札に面したカウンターがあるだけの空間だった。いやに物が少ない。普通の駅員室なら、もっと色々機械がありそうなものだが。

 僕が違和感たっぷりの光景にモジモジしている間に、駅員はどこからともなくパイプ椅子を2脚取り出してきて、事務机の扉側に一脚、壁側に向かって一脚置き、自分は壁側の椅子に座る。そして、向かいの椅子に向かってあごを向ける。どうやらこちらにどうぞ、という訳らしい。

「さて。何からお話ししましょうかねえ…」

 いや、この駅から出してくれ。色々気にはなっちゃいるけど、こんなよく分からない不気味な場所、早々に立ち去りたいと思うのが人情ってヤツだ。

「とりあえず、深い事情も何もないんです。お金なら払うから、ここから出してくださいよ。ICカードを無くしちゃったもんで改札を抜けられないんです」

「ふむ。切符をなくされた、と」

「いや、ICカードをなくしたんですよ」

「いや、当線とうせんはICカードのたぐいは使えませんよ?」

「は?」

「いや、改札機にICカードリーダーあるじゃないですか。使えないってことないでしょう?」

「いや、あれは「向こう」の改札機によく似せただけです。ICカードリーダーの部分には何の意味もございません」

 今、「向こう」って言ったか?それじゃあ、「ここ」は一体何処なんだ?まさか「あの世」なんて、月並つきなみな答えが返ってくるのか?いかん、混乱してきた。

「いやいや、「向こう」ってなんですか?「ここ」は「あの世」だとでも言いたいんですか?」

 我ながら馬鹿げた質問を投げかけていた。状況があまりにもおかし過ぎて、まともな質問を考えるに至らなかった。

「あの世って、所謂いわゆる「死後の世界」の?」

「いや、お客様、馬鹿言っちゃいけません。人間、死んだらそれでおしまい。死後の世界だ、なんだ、っていうのはありませんよ?あーいった話は死ぬのが死ぬほど怖い人たちがひねり出した詭弁きべんってもんです」

「いや、まあ、それは分かっちゃいますよ?」

「いやいや、全然分かっておられませんね。「あの世」なんて世迷言よまいごとおっしゃるようじゃあ」

「じゃあ、何だっていうんですか?ここは?」

「それを私にきかれましてもねぇ…」

 駅員は苦笑いしている。彼自身だってこの状況がよく分からないとでも言いたさげでもある。それから眼鏡の奥の細めていた目をゆっくり開きながらこう言う、

「とりあえず、『ここ』はアナタがいらっしゃったであろう『向こう』とは別の世界なんです」

「別の空間…SF物語によくでる『パラレルワールド』みたいな?」

「ふむ。parallel(パラレル)、並行、並列…大体そんな感じの意味でしたねぇ…。それはちょっと違うんですよねぇ、『ここ』の場合」

 駅員はため息のような息を吐きながら、こう続ける。

「どっちかって言うと、alternative(オルタナディブ)じゃないですかね。ほら、ロックの中でもオルタナティブ・ロックってジャンルあったでしょ、あのオルタナティブ」

 オルタナティブ…確か、代替の、とか、二者択一の、とかそんな意味あいだったような。

「アナタはね、『向こう』で何かの拍子にもう一つのあり方を望んだんじゃないですかねぇ…こんな結末じゃない、他の可能性だってあったんだ!、といった感じにね」

 ふむ?「向こう」で電車に突っ込んだ僕は心の奥底では死にたくない、とでも願ったんだろうか?そんな事よく覚えてない。ここしばらくは考えるのも億劫おっくうだったんだ。

 駅員は少し思案しながら、こう続ける。

「そんな訳で、『ここ』の世界ができた訳です。うまくいかなかった『向こう』の代替として。あるいはもう一つの選択肢として」

 彼はそこまで言うと、納得したとでも言いたげな顔つきに変わっている。

 いや、「ここ」に属していて、なんだか訳知り顔で話していたのだから、もうちょっと事情が分かっているものだとばかり思っていたのだけど…

 そういえば駅員室に入るまで思案していたのは、この辺の事だったのか?だから、今、自分でした説明に納得している?ある程度筋が通ったから?

 でも、それにしたって、自分もよく分からないとは言いつつ、改札機の事とか、「ここ」の事情について訳知り顔で話していたじゃないか。ICカードは使えませんよ、とかそんな感じで。それに「ここ」の成り立ちを説明したのも彼だ。

 まるで、彼には「説明役」、「進行役」、そういった「役」が振ってあるかのような―

「ええ、そうですよ。私は『ここ』においては『案内役』なのです。だからこんな駅員の恰好をしてる訳です。別にコスプレごっこをしている訳じゃないんですよ」

「人の考えを先読みしないで下さいよ…」

「ま、『案内役』ですから。この程度造作ぞうさもありません」

 じゃあ、最初から「ここ」の世界について案内してくれよ、もったいぶらずに。分かりやすく。

「いや、私も役を振られただけの俳優なんです。台詞と自分の役についてはなんとなく『そうだ』と思えるだけでしてね」

「じゃあ、昨日電車とお客さん来たっていうのも、あなたに与えられた台詞なんですか?」

「ええ。そういった事実があったかどうかは別にして」

 ますます意味が分からなくなってくる。頭を抱える僕に対して、駅員はこういう。

「お客様も私の様に役を演じてみては如何いかがですか?」

「と、いいますと?」

「ここから出ていくのではなく、『乗客』になってみては?なんとなくやるべき事も掴めるんじゃないんですかねぇ?頭の中に何か閃きがあるかもしれません」

 僕は彼の言った事をよく考えてみる。別に彼の言う事なんか頭から無視しても良い訳だけど、途中から面倒だ、という思いがあふれてくる。このまま彼に従っていた方が色々面倒にならなくて済む気がしてくる。本当に?多分。じゃあ、まぁ…

「オーケー。あなたの言うとおりにするよ。そっちの方が色々手間ははぶけそうな気がする」

「なんだか、ご不満みたいですけど?気に食わないって顔をしてらっしゃる」

「そりゃ、まあ何もかも納得したって訳じゃないですよ。『ここ』は一体なんなのか、あなたの説明を聞いて納得した訳じゃないし、わざわざ、『乗客』になる事にも納得した訳じゃない。ただただ、考えるのが面倒なんです。だから、とりあえずはあなたのいう事に従ってみる、ただそれだけなんです」

「ん。まぁ…いいでしょう。それじゃあ、アナタ、右手を出してもらってもいいですかね?」

「こうですか?」

「ええ、そうです。そうするとこの辺に…」

 と言いながら彼はブレザーのような上着の右下のポケットに手を突っ込む。

「ほら、これがアナタの「切符」ですよ」

と言いながら、切符を取り出す。何でそんなところに入っているんだ?

「いや、こういう状況なら、こうすればいい、って思っただけでして」

 僕は切符を受け取る。切符は大体こんな感じの代物だった―

 サイズはよく見る短辺が2,3cm、長辺6cm位の長方形のものではなく、新幹線なんかの切符でよく見る短辺6cm、長辺9cm位の長方形。てのひらにいっぱいになるくらいの大きさ。

 色合いは白。そこには文字が―無い。かつては何かが書かれていたのだろうがかすれてしまっている。せめて、何処から何処に向かうのか知りたかったんだけど。

 そして、なにより、ポケットに無造作に突っ込まれていたせいで、ところどころ折れ曲がった跡がある。こんなのでいいのか?

「まあ、なんとでもなりますよ」

 さいですか。じゃあまあ、なんとかなるんでしょう、了解。

「それで僕は次はどうしたらいいんですか、駅員さん?」

「あれ?分かりません?頭に何か閃きません?」

「ええ、まったく」

 と答えながら、もらった切符をしげしげと眺める。その時だった。

「まもなく、2番線に、電車が、参ります。黄色い線の内側までお下がりください」

 聞きなれた電子音声の組み合わせのアナウンス。

「時間がありませんね。さあ、お客様、急いで」

「ああ、はい―それじゃあ…いや、最後に一つだけ。駅員さん、あなたの名前は?」

「そんな事どうだっていいじゃないですか」

「いーや、よくない。聞かせてもらいますよ」

「じゃ、仮に「加納かのう」とでも」

「じゃ、加納さん僕は行くよ」

「くれぐれもお気をつけて」

 という言葉を背に受けながら僕はホームに走る。階段を3段飛ばしで下り、ホームに着いていた見慣れた色の電車の扉にジャンプして飛び乗る。それと同時に発車ベル。けたたましく鳴るそれは果たして何を意味しているのか。そんなことを考えているうちにドアが閉まり、走り出す。

 さてさて、どうなることやら。









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