七年後に、友達が死にます。

@kana_from_twitter

七年後に、友達が死にます。(始)(完)

去年、2029年の夏に私の親友が亡くなりました。原因は、自殺でした。

私は彼女が悩みを抱えていることを全くもって知りませんでした。

大学に入って仲良くなり、いつも明るく将来は自分が平和な未来を築くのだと話していた

その姿と自殺という行為はあまりにかけ離れていて、信じるのに時間がかかりました。


実は私は彼女が自らの命を絶った夜、その数分前に彼女から電話をもらっていました。

いつも電話なんてしてこないのに急にどうしたのだろうと思いながらも出ると、彼女は

きっぱりとした、でも今にも大声をあげて泣き出しそうな声で私に言ってきました。

「私、もう死にたい」

それを言ったとたん、彼女は心の糸が切れたようでした。

スピーカーの向こうから嗚咽が聞こえました。

けれど私は、そんな痛々しい彼女をどこか小馬鹿にした、冷めた目で捉えていました。

私は彼女のことを親友として大切に思ってはいましたが、

私自身も未熟だったがゆえにこの世でさも彼女だけが辛い思いをしているかのように語るそのひとを

素直に受け入れる心の余裕がありませんでした。

誰だって悩みの一つや二つ持っているのに、

オーバーなように思える感情をぶつけてくる彼女を引いた眼で見ていたのです。

どうせ大したことないんだろう、夜のせいで病んでるだけだ、

翌朝になればこの電話も恥ずかしく思えるさ。

なのに、そうはなりませんでした。その夜のうちに彼女は、帰らぬ人となりました。

翌朝さすがに気になった私が電話をかけてみても、もう出ることはありませんでした。

後から考えてみれば、あの日の彼女はいつもと様子が違いました。

そうそもそも一時的な感情で他人に弱音を吐くような人ではなかったのです。

強く笑って、誰にでも優しく接し、でもどこか一歩引いたように、私はいいやというように。

実は彼女がいちばん孤独に生きていました。

悩み相談は受けるけれど、自分は決して相談しないような人だと、

私自身彼女の親友としてそんな性格を理解していました。

なのに珍しく心情を吐露してきた彼女を支えることができなかったのは、

時を同じくして私もこれまた同じような孤独感に覆われていたからでした。

けれど私は死ぬ覚悟なんて全く固まっていなくて、なあなあに毎日を生きながら

私のほうこそ自分だけが一人辛い思いをしているかのように感じていました。

しかしその時の私の苦しみなど、

それからの彼女を失った、失わせた絶望に引きかえれば全く無いも同然のようなものでした。

毎日朝起きた途端になぜ彼女が死んで私が生きているのかわからなくなり、

いくら自分を責め苛んだとしても彼女が帰ってくることはなく。

次第に私は一日のほとんどを自室のベッドの中で過ごすようになっていました。

どこか自分だけ別の世界にいるようで、鬱と診断されても自分事として直視することができませんでした。

そんなある日、何もする気が起きずに棚をあさっていると、

二年前にもらった彼女からの誕生日カードが出てきました。

そこにはごくごく一般的な誕生祝いのメッセージとともに、こんなことが書いてありました。

「いつも病みがちな私を助けてくれてありがとう(笑)

辛いことがあってもあなたが話を聞いて励ましてくれるから元気が出ます。

これからもよろしく!」

今まで私は自分の知らないうちに彼女を救ってきたこと、

そして私の中途半端な優しさが彼女の「これから」を奪ってしまったことに気が付きました。

本当に私は取り返しのつかないことをしてしまったと、改めて思いました。

だから、こうして今2022年に生きるあなたに宛てて手紙を書いています。

どうか、自分の辛い時に周りを見渡して下さい。

同じように辛い人は、すぐそばにいます。

自分が後悔することのないよう、その人に寄り添う勇気と強さを持ってください。

そうすれば、こんな思いをせずにすむのですから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

七年後に、友達が死にます。 @kana_from_twitter

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ