#2「大王の仏教信仰、是か非か」
Ep.06 厩戸皇子の提案
祭りでお倒れになった大王・
大王の息子・
大臣・
葛城烏那羅は、馬子と守屋の耳元に近寄って小声で話し出した。
「大王は、最近どうも疲れがたまっておられたようです」
馬子は納得した様子で言う。
「それでお倒れになったわけか」
「はい、そのようです」
厩戸皇子が大王の汗を拭いていると、大王の手がピクリと動き出した。
「父上!」
厩戸皇子がそう呼びかけると、大王は苦しそうにしながら、ゆっくりと目を開けた。意識はもうろうとしているが、わずかな力を振り絞って何かを話そうとしていた。
馬子と守屋は大王の御言葉を聞き逃すまいと、急いで大王のもとへ駆け寄った。
馬子は大王に問いかける。
「なんでございますか」
守屋も馬子に続いて尋ねた。
「どうされましたか」
大王は口元を小さく開き、かすかな声で話し出す。
「朕は……仏教を……」
馬子と守屋は目を見開いた。大王から仏教という言葉が出てきたことに衝撃を受けたのだ。馬子は続きを尋ねた。
「仏教を……なんですか」
大王ははっきりと言った。
「信仰したい」
大王の思わぬ発言に、守屋は動揺して声が出てしまう。
「はあ⁉」
馬子は満面の笑みをして大きな声で、
「ははあぁっ!かしこまりました!」
と答え、急いで部屋を出た。守屋は慌てて後を追った。
* * *
大王の暮らす大殿の庭には、大王の体調を心配する群臣が何十人も集まっていた。新嘗祭で使うはずだった料理は放置され、焚火は燃え続けている。
大殿から馬子と守屋が出てくると、群臣は大王の様子を知るべくたちまち二人のもとへ集まった。群臣の先頭には、豪族の
坂本糠手はニヤニヤしながら話し出す。
「大王のご様子はいかがでしたか?」
一方、大伴咋は声を震わせながら尋ねる。
「ご回復なされたましたか」
馬子は、その場にいる群臣を見渡しながら大声で話した。
「大王は、仏教を信仰したいと仰せられた」
衝撃の内容を聞いて、群臣はざわめきだした。動揺のあまり、中臣勝海は叫びだす。
「大王が仏教を信仰するなんて、絶対にあってはならない!」
守屋は冷静に、しかし皆に聞こえるよう大声で言う。
「皆の者、落ち着け」
群臣は守屋の話を聞こうとして静まり返った。守屋は落ち着いて話を続ける。
「この国の自然には古くから八百万の神が宿っておられる。その神々を差し置いて、西国の神を崇拝するなど言語道断。ましてや、大王が仏を拝むなど理解不能だ」
馬子は眉間にしわを寄せ、鋭い目つきで守屋を見ながら述べる。
「では、そなたは大王の御意向に逆らうのだな」
守屋は語気を強めて言う。
「大王には考え直していただく。今まで仏教を信仰して良いことが起きたためしがないからな」
「なに⁉」
馬子と守屋の応酬は、まわりの群臣を刺激した。仏教信仰をするべきだと言う崇仏派の群臣と、信仰に反対する廃仏派の群臣で罵り合いが始まったのである。
大殿の庭に放置された焚火は、漆黒の夜空のもとでますます燃え盛った。
しばらくして、大殿から厩戸皇子と葛城烏那羅が現れた。群臣は二人が来たことに気づかないくらい、罵り合いに没頭していた。
葛城烏那羅は前に出て群臣を注意した。
「そなたら、うるさいぞ」
その光景は、まるで大人が子どもを𠮟りつけるようであった。
群臣は驚いた様子で葛城烏那羅を見つめた。葛城烏那羅は続けて述べる。
「大王はお疲れなのです。そなたらが大声で騒いでいては、大王はゆっくりお休みできないではないか」
葛城烏那羅は、馬子や守屋にも注意を促した。
「大臣、大連。今日はもうお帰りください」
馬子と守屋はお互いに顔を合わせ、自分たちの行動を反省したのか、黙り込んでしまった。
葛城烏那羅の後ろに立っていた厩戸皇子は、ゆっくりと馬子と守屋に近づいて話し始めた。
「父上が仏教を信仰してもよいか、もめているようだな」
守屋は即答し、自分の主張を述べる。
「ええ。国の主が異国の神を信仰するというのは本当に良いことなのか、皆で話し合っていたところです」
「ならば、父上の御兄弟姉妹のお考えを取り入れてみてはいかがだろうか。大王の仏教信仰が是か否かその方々から意見を賜り、多かった方の意見を採用する」
馬子は眉間にしわを寄せて嫌そうな顔をした。明らかに厩戸皇子の提案が気に入らない様子だった。だが他の豪族たちは、馬子の態度など気にせずに厩戸皇子の提案に同調する。
坂本糠手はニヤニヤしながら、拍手をし始めた。
「素晴らしい!名案だ!」
それに乗じて、群臣も「おお!」と感心して拍手した。
坂本糠手は大声で言う。
「確認ですが、大王の御兄弟というのは、妹の額田部皇女、義兄弟の穴穂部皇子と泊瀬部皇子」
大伴咋がおどおどしながら、小声で付け加える。
「厳密に言えば、厩戸様のお母上も大王の義妹ですね」
馬子は険しい表情をして厩戸皇子に問いかける。
「その四人の方々から、ご意見を賜ればよいのですね」
「そうです」
厩戸皇子は優しく答えた。
ここで中臣勝海が甲高い声で指摘する。
「御兄弟四人の意見が半分に割れてしまったときは、いかがなさるおつもりですか」
葛城烏那羅は、中臣勝海を論破するかのように素早く答える。
「それを防ぐためにも、もうお一方からご意見を賜りましょう」
守屋は動揺することなく、落ち着いて質問する。
「どなたを加えるのだ」
葛城烏那羅は厩戸皇子を見ながら答える。
「水派宮にいらっしゃる、押坂彦人大兄皇子はいかがでしょう、皇子?」
厩戸皇子は深くうなずいて言う。
「そうしよう」
険しい顔をしている馬子を見ながら、守屋は堂々と言い放つ。
「面白いことになったなあ。大臣」
「ああ……」
馬子は苦しそうに答えた。
葛城烏那羅は大声で群臣に言う。
「では皆様、今日はもう帰ってゆっくりお休みください」
大殿の前に集まっていた群臣は解散し、祭りで使うはずだった焚火の炎は消し止められた。4月2日・新嘗祭、激動の一日は終わった。
だがそれと同時に、馬子と守屋の闘争心に火がついた。王家を巻き込んだ勢力争いの幕開けである。
(つづく)
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