閑話 スタンド・バイ・ユー

 ディーンとアダムを乗せた竜車がイオス島の土を踏んだのは、車軸が折れる寸前のことだった。アダムは手綱を引いて雪羊竜を落ち着かせようとするが、白大蛇に追い回された竜は前脚を高く跳ね上げて酷く興奮している。壊れた竜車を引いて再び走り出そうとしたところ、暗がりから突如現れた黒い影が竜のくつわを掴んで阻止した。


「助かりました。ありがとうございます。えっと、卿は……」


 光沢の無い、夜闇に紛れるようなフード付きの黒の制服は、第五騎士団のものである。アダムが御者台から降りて並んでみれば、長身のアダムより更に頭ひとつ分背が高く、肩幅も広くガッチリとしている。彼の足元には灰色の魔狼がじっと控えていた。


 アダムがフードに隠れた顔を見上げると、影の騎士はフードを脱いで街灯の下に顔を晒す。短く刈った白金の髪に、切れ長のエメラルドグリーンの瞳の精悍な顔つきの美男を見れば、すぐに誰の関係者なのか見当がついた。


「第五騎士団所属、ヴェイグ・セシルだ。卿が弟を見つけてくれたと聞いた。世話になったな。ありがとう」

「アルファルド卿の兄上でしたか! 自分は任務を果たしただけですので、お礼を言われるようなことは何も……」


 ヴェイグは眼を細めて僅かに微笑むと、アダムにムーンストーンのブレスレットを手渡した。


「これは義妹セリアルカ……弟のパートナーからの御礼の品だ。試作品として作ったものだそうだが、能力は遜色無い。あらゆる毒から身を守ってくれるだろう。受け取ってほしい」

「こんな貴重な物をいただけませんよ」

「後々、正式なものが首都の全ての騎士に配られる。それまでの御守りだと思ってくれ。遠慮はいらない」


 雪女の正体は白大蛇だと判明した。毒への対策ができていれば、最前線で戦える。良い働きを見せれば、王子の覚えも良くなるだろう。一度は断ったが、野心と向上心を持った若い騎士の心をくすぐるには充分な贈り物だった。


「では、ありがたく頂戴いたします!」


 籠手の上からブレスレットを身に付けるアダムの周りを、灰色の魔狼がぐるぐると回る。警戒感を露わに訝しげな顔でスンスンと嗅ぎ回り、やがて満足したのか、今度は荷台から降りて来たディーンに纏わりつく。主人に近づく者は、たとえ王子でも入念なボディチェックが必要らしい。

 ヴェイグが右の拳を左胸に当て敬礼すると、ディーンは慣れた様子で頷き、魔狼の頭を撫でた。


「ご無事で何よりです。殿下」

「ああ。学生時代、殿にビシバシ厳しく鍛えられたおかげでな。ところで、卿がここに居るということは、フィリアスも来ているな?」

「はい。あちらに」


 ヴェイグはイオス島の街を囲う壁の上を示す。夜でも目立つ赤髪の男が居並ぶ騎士たちに指示を飛ばしていた。男はディーンの視線に気付くと『上がって来い』と手招きする。アダムに雪羊竜を預けて、ヴェイグと一緒に壁の上に登ると、壁の上には既に竜撃槍と大型弩砲バリスタが展開され、サーチライトが上空を照らしていた。


「さすが、仕事が早いな。フィリアス」

「ガブリエル卿から報告を受けているが、追われているんじゃなくて、追いかけていたんじゃなかったか?」


 いつも通りのにこりともしない悪役顔だが、ディーンと同じ色をしたフィリアスの瞳には、ほんの少し楽しげな光が宿っていた。ディーンはフィリアスの隣に並んで、橋の上空を見上げながら舌打ちする。


「白竜を追いかけてたら、雪女に見つかって、追いかけてきたんだよ」

「ではやはり、あの大蛇が雪女ということか」

「……ああ。そうだ」

「何か懸念があるなら、今言え。撃ち落としてからでは遅いぞ」


 ディーンが言い淀んだ一瞬を見逃さず、聞き返すフィリアスの声は硬い。近くで大型の竜と大蛇が飛んでいるせいか、時折強風が吹き抜けて、轟々と唸りを上げながら星空に呑まれていく。


「懸念というほどでもないんだが、気になることがある」


 自分の言葉でヒースの立場が悪くなるのではないかと思って躊躇してしまったが、ディーンが黙っていてもいずれフィリアスも知ることである。幸い今ここに居るのは、ディーンと異母兄のフィリアス、そしてヒースの従兄弟のヴェイグだけ。身内といってもいい二人だ。今のうちに根回しをして知恵を借りた方がいいだろうと、ディーンは思い直した。


「金髪の男を凍らせているのは、あの蛇女だ。それは間違いない。ただ……あの女の顔が、新聞で見た大公殿下の元婚約者にそっくりだったんだ。ヒースも、それに気付いたと思う」


 フィリアスはディーンの斜め後ろに控えるヴェイグを見やる。二人の会話が聞こえていたはずだが、ヴェイグの表情はぴくりとも動かず、物言わぬ影のよう。クレンネル大公家とセシル伯爵家は親戚なので、表に出ていない情報があるかもしれないと、ディーンもヴェイグの反応を気にしていたが、目に見える反応は無かった。


「何故、雪女が元婚約者の顔をしているのか、彼女とどういう関係なのか、本人が変身したのか、分からねえことだらけだが、俺たちは今起きていることに地道に対処していくしかない。……何とも情けねえ話だな」


 名誉のため、国のため、家族のため、友のため……無心で戦えた頃が懐かしく思えた。戦う前に、戦いの後のことを考えるようになったのはいつからだろうか?

 ディーンは髪をぐしゃぐしゃと掻き回し、ため息をつく。

 今や、クレンネル大公家と雪女の間に何らかの関係があるのは明白。全てが解決した後、一連の雪女事件の原因を追及した時、必ず俎上に載せられるだろう。慎重に対応しなければ、被害者への賠償責任を押し付け合うことになり、国対国の争いに発展してしまう。


「大公殿下もシュセイルに来ているんだろう? 明日、大公殿下にお目通り願おうと思う。事情聴取に協力してもらう。もう無関係だとは言わせない」


 苦しげに打ち明けたディーンの背中を叩いて、フィリアスはニヤリと唇の端を上げる。


「お前が行かないなら、俺が行こうと思っていた。行くならヒースも連れて行け。あいつの勘と悪運の強さは信用できる」

「あいつ、何でもない顔をしているが、今回のことはかなり堪えたみたいだぞ? 大公殿下の前に連れて行くのは……って、これもまた過保護だって言われるか?」


 難しそうな顔で天を仰ぐディーンに、「自覚はあったのか」と、フィリアスは苦笑する。和やかな雑談の時間は伝令からの「準備が整いました!」の報告で強制終了となった。フィリアスは通信機の端末を握り、風が唸るシス島の上空を見上げてマイクのスイッチを入れた。


『近衛騎士団団長フィリアス・マティスより、警邏中の全騎士に告ぐ。現在、イオスーシス島間で雪女と交戦中。20:00より団長権限によって竜撃槍並びに大型弩砲バリスタの使用を許可する。迎撃地点はイオス島南東口。誘導する白竜には傷ひとつつけるな。――ヒース。聞こえたな?』


 個別通信に回線を切り替えてフィリアスが呼びかけると、砂嵐の中から『聞こえたよ!』と明るい声が返ってきた。


『こちらは迎撃準備完了だ。島上空には戦神の結界が張られている。白竜はそのままでは着陸できない。イオス-シス大橋に降りて、橋の上を通って戻って来い』

『了解! ボス!』

『団長と呼べ』

『は――』


 ヒースの返事は風の音に掻き消されてしまったが、必要なことは全て伝わったようだ。マイクを切ると、フィリアスはディーンに手を差し伸べた。


「『できることに対処していくしかない』……その通りだ。お前もヒースも、俺もな。そのためにも、まずは、全員無事にこの夜を乗り越える」


 差し出された手を掴んで、ディーンは固く誓った。

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