AM11:30 コーヒーとドーナツ

 シュセイル人にとって、空を思わせる青色は神聖な色だ。全六十騎士団の中で唯一、近衛騎士団のみが鮮やかな青を身に纏うことが許されている。常に衆目を集めると自覚し、立ち居振舞いに気をつけなければならない。


 無論、身だしなみにも気を使う。全騎士団の中で、各部屋に姿見が設置されているのは近衛騎士団だけという噂があるが、さもありなんと問題の姿見を見ながらヒースは思う。


 風呂上がりにお気に入りの香水をひと噴き。シャツのボタンを上までしっかり留めて、黒のタイを締める。青の制服の上に、ベルトを巻いて双剣を提げる。両利きだが文字を書く時は左利きのヒースは右肩にマントを羽織り、飾り紐を結んで剣を隠した。


 最後に姿見で全体を眺めて、おかしなところがなければ、巷で話題の美貌の近衛騎士、クリスティアル卿の完成である。戸締りをして出掛けようと、窓の鍵をかけた時、窓辺に置いたままの白燐が目についた。


 昨夜は、雪女の正体が“白竜の仔”ではないかという疑惑に動揺して、うっかり返しそびれてしまった。第一騎士団にヒースの知人は居ないし、営舎まで返しに行くのも気が引ける。きっと睨まれるだけでは済まない。針のむしろになるのは目に見えている。

 今日からヒースも警邏けいらに参加するので、浮島を巡回していればどこかでアダムに会うかもしれない。その時に返せばいいかと、ハンカチに大事に包んで上着の内ポケットに仕舞い込んだ。




 ††




 道路工事団もとい第四騎士団の活躍で、シス-ガレア大橋は半日で復旧した。雪女が日中に現れ、橋を破壊した衝撃は浮島四島を震撼させ、島間を往き来する者は減少の一途を辿っている。経済活動が停滞し、騎士団への信頼が失墜するまで猶予は無い。


 まるで戦時中のような緊張感漂うガレア島を後にして、ヒースは他の騎士たちと共に騎士団専用竜車に乗ってシス島へとやって来た。ヒースの本日の任務はシス島内の警邏である。




 商人と職人の街シス島。その名の通り、シュセイル一の商業都市である。大陸-浮島間昇降機が繋がる空港が在り、首都を訪れた者たちが最初に立ち寄る街だ。

 街の中央には、地下三階から地上三階建てのスカイモールという巨大商業施設が在り、貴族向けの高級ブティックから庶民向けの立ち飲み屋まで、多種多様な店が軒を連ねている。


 スカイモールの地上一階、ガレア島に最も近い入り口付近に、騎士団御用達のコーヒースタンドが在る。コーヒーとドーナツが有名で、制服姿の騎士が店先でコーヒー片手にドーナツを食べている姿が日常になっている。


 最近では、やたら見目の良い騎士が紅茶と軽食を買いに来るので、彼を見たさに女性客が増えているとか。彼のために紅茶の種類が増えたのだが、いつも頼むのは“おまかせブレンド”なので本人は知る由もない。


「コーヒー屋で紅茶を頼むのは、お前ぐらいじゃないのか?」


 ヒースが新聞から目線を上げると、ディーンがハイテーブルに肘を着いて、呆れた顔をしている。ディーンは午前は別の仕事だったが、午後からはヒースと共に警邏に参加する。夕方、仕事が終わったら、イオス島のセリアルカに御守り用の魔石を届けに行くことになっているため、ここで休憩しながら待ち合わせていたのだった。


 ディーンの手には湯気が立ち昇るコーヒーと、分厚い肉とたっぷり野菜を挟んだ大きめのバンズがあった。豪快に齧り付く姿は、王太子に最も近い高貴な身分とは、とてもじゃないが思えない。


「そう? ここの紅茶、結構美味しいよ。今度試してみて……って、君こそ昼間っからよく食べるね」

「いつ何時遭難するかわからないだろう? 食える時に食っておかねえと」

「そんな馬鹿なと言い切れないところがシュセイルだよねぇ……」


 ヒースはすっかり冷めた紅茶を啜り、レモンピールの入ったドーナツを齧る。

 浮島には魔光の太陽があり、風の結界に守られているため、あまり実感が湧かないが、結界の外は人の身体なんて一瞬で凍りつく極寒の空である。それに加え、万が一島や橋から落ちた場合、すぐに風魔法を発動して安全に地上に降りられたとしても、そこは雪山か森の中である。遭難は免れない。

 ちなみにそういった落下からの遭難事件は年間で二、三件は起きている。自分の身に起きないという保証は無いのだ。


「しかしまぁ、記者連中も飽きねえなぁ。『クレンネル公子クリスティアル卿、疑惑を否定』だとよ。捜査会議の内容がなんで外に漏れてんだろうな?」


 ディーンの視線の先には新聞の三面があり、会議場から出てきたヒースの写真が載っている。経済面を読んでいたヒースは新聞を裏返して、その写真を見やると「写りがイマイチ。どうせ撮るなら、もっとかっこよく撮ってほしい」と不満げに唇を尖らせた。


「喚ばれた時から嫌な予感がしてたんだ。僕を陥れたい人たちがリークしたんでしょう。――そんなことより、ディーン」


 第一騎士団団長の顔を思い出せば、芋づる式にアダムと白燐のことを思い出した。ヒースは新聞を畳んで、テーブルに身を乗り出しディーンに顔を近づけた。親密そうな二人の様子に、近くのテーブルから女性客たちの小さな悲鳴が聞こえたが、いちいち気にしてはいられない。


「これ……アダム卿に返し忘れちゃったんだけど……」


 ヒースは上着のポケットからハンカチに包んだ白燐を取り出した。明日の朝刊には、『クリスティアル卿が第二王子殿下に大きな真珠を渡していた』と載るかもしれないと思うと気が重いが仕方ない。

 ディーンは付け合わせのピクルスをボリボリと噛みながら、片眉をきゅっと上げる。


「……俺に返しに行けって?」

「違うよ! まぁ、そうしてくれてもいいんだけど……そうじゃなくて、これで竜笛って作れないのかな? って思ってさ」

「ほう?」

「この鱗の持ち主が犯人じゃなくても、あの時アルの側に居たなら、何か事情を知っているかもしれない」

「なるほど。その発想は無かった」


 ディーンは鱗を摘み上げて、陽光に翳す。つるりとした表面に光が柔らかく映って神秘的な光を放つ。しばらく矯めつ眇めつしながら眺めていたが、難しそうに眉を寄せてヒースの掌に返した。


「鱗が小さくてまだ柔らかい。加工は難しいかもしれねえな」


 竜笛はまだ絆を結んで日が浅い新米竜騎士が、自分の竜を呼ぶために使う物だ。作り方は竜騎士の間に伝承され、一般の職人は知り得ない。竜騎士だった母に憧れ、銀竜を探していたディーンなら、作り方を知っているかもしれない。


「でも、ディーンなら?」


 期待を込めてヒースが微笑むと、また背後で黄色い悲鳴が上がる。ディーンは鬱陶しそうにそちらを一瞥して、コーヒーと共に苦笑を飲み込む。ヒースの読みは当たったようだ。


「わかった。やってみる。三枚あれば何とかなるだろう。少し時間をくれ。……だが、この竜と契約したり絆を結んでいるわけじゃねえから、呼んでも来てくれない可能性もあるし、もし黒だった場合、その場で戦闘になるってことは覚えておけよ」

「うん。ありがとう!」

「どっちにしろ、もう一度アダム卿に会わなきゃならねえってことだな」


 ディーンは思案げに呟く。竜笛作りに失敗した時用の予備に、残りの二枚も回収するつもりなのだろう。ヒースは陽光を浴びて優しい光を放つ鱗を指でつつく。

 ディーンの言う通り、この鱗は加工前だが銀竜の竜笛の半分ぐらいの大きさである。加工難易度が高いし、加工できたとしても今よりかなり小さくなってしまう。慎重に扱わないと壊れてしまいそうだ。


「加工が難しい上に、銀竜様の鱗よりも、かなり小さいからね。成功したら幸運! ぐらいな気持ちで思いきってやってみてよ」

「簡単に言いやがって」


 身長は二メートルを超し、手も足も大きいディーンだが、意外にも器用なことをヒースは知っている。きっと最善を尽くしてくれるだろう。

 ――上手くいけば、一気にカタがついちゃうんじゃないかな?

 なんて楽観が頭を擡げて、ヒースは慌てて打ち消す。


「竜笛ができるより先に、来たりしてな……」

「うん? なぁに?」

「なんでもねえよ。一個よこせ」

「えっ、まだ食べるのぉ!?」


 ドーナツを一個強奪してディーンは先に歩き出す。ヒースはコップに残った紅茶を一気に飲み干すと、ゴミを片付けて後を追いかけた。

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