6 刷り込みアンバーアイ
遠吠えが聞こえる方向へ針葉樹の林を抜けると、広い雪原が現れた。せっかちな風が雪雲を追い立てて、晴れた空から月明かりが青く雪原を照らす。五匹の魔狼たちは、林の出口で主人が追い付くまで大人しく待っていた。
「何が居たんだ?」
アルファルドが群れのボスのオリオンの頭に手を乗せると、オリオンは「クゥー、ウウー」と唸る。ヒースには何を言っているのかさっぱり分からないが、主人のアルファルドには理解できるらしい。
「ケイロン、弓を持て」
呼ばれた茶色の魔狼がアルファルドの影に潜り込み、弓と矢の入った
「ヒース。合図したら真っ直ぐ走って、対象を確保しろ。どうやら、他にも狙っている奴らが居るらしい」
「了解……だけど、一体何を?」
「行けば分かる。――三二一で出るぞ! 三、二、一、走れ!」
ヒースは事情が分からぬまま走り出す。柔らかなパウダースノーに足を取られ難儀しながら、真っ直ぐ五十メートル程走った所で、前方の雪の上に赤黒いシミのようなものが見えた。
――あれは、血の痕だ。
理解した途端、ヒースは一気に加速する。助けを求める鳴き声はもう聞こえない。危ない状況かもしれない。
「伏せろ! ヒース!」
「ええぇ!?」
後方から届いたアルファルドの声に、ヒースは頭から突っ込むように腹這いに雪の上を滑った。
濃い血のにおいに、恐る恐る顔を上げれば、目の前にはうさぎ用と思われる罠にかかった仔竜。後ろ足と翼を虎鋏に挟まれてぐったりとしていたが、ヒースと目が合うとピイピイ激しく鳴いて飛び跳ねる。
「僕を呼んでいたのは君かい? ……もう大丈夫だよ。今、助けるからね!」
ヒースが起き上がって罠を外そうと手を伸ばした時、頭上を光る矢が駆け抜けた。轟と雪が巻き上がり、大きな羽音を立てて何かが通り過ぎる。伏せたまま空を見上げれば、上半身は鷲で下半身が馬のヒポグリフが三体。ヒースを睨んで周囲を飛び回っている。
「なんでヒポグリフが竜を襲うんだ……!」
風に舞い上がった雪が横殴りに降り付ける中、ヒースは
仲間がやられたのを知って、ギャアアアと怒れるカラスのような咆哮を上げながら、二体のヒポグリフが上空に逃げる。その隙に、ヒースは罠を外そうと試みた。
竜の中でも飛竜種は、全ての生物の頂点に君臨する。ヒポグリフが人間や動物を襲うことはあっても、竜を襲うなんて聞いたことが無い。
頭上を通り過ぎた一瞬、ヒポグリフの背に人影が見えた。仔竜を狙っているのは、ヒポグリフの主人だろうか。ヒースに近付けないようにアルファルドが弓矢で応戦しているが、空と地上では分が悪い。矢にも限りがあるだろう。考えている暇は無い。
ヒースは虎鋏を繋いでいる鎖を解き、刃の隙間に自分の短剣をねじ込んで、梃子の原理で開いた。仔竜を救い出すと、二度と使えないようにブーツの踵で蹴り壊す。
ようやく仔竜を解放したが、翼が折れた仔竜は飛び立つことができず、ヨタヨタと歩いてその場に倒れてしまう。周囲に血溜まりができる程だ、かなり暴れたのだろう。もう自力で逃げることはできないかもしれない。
潤んだ琥珀色の瞳が、ヒースをじっと見つめる。仔竜はぼろぼろの身体を引きずって、ヒースの膝によじ登ろうと懸命に足を動かしていた。
弱肉強食の世界に人間が介入することは許されない。だが、この仔は人間が罠を設置しなければ、こんな怪我をしなかっただろう。これは、人が招いた災厄だ。――置いていけるはずがなかった。
ヒースは折れた翼を圧迫しないように、仔竜をそっと胸に抱き上げた。仔猫よりも軽い、力一杯抱き締めたら壊れてしまいそうな華奢な身体だ。
「アル! 対象を確保!」
「撤収だ! 先に行け!」
「了解!」
背後に殴りつけるような風圧を感じながらヒースは振り返らずに走った。アルファルドの牽制が効いているのか、ヒポグリフの咆哮が遠ざかる。ヒースが針葉樹の林の中に滑り込むと、遅れてアルファルドが到着した。
村に戻ればディーンとライルの手を借りられるが、崖を登る間に攻撃されてはひとたまりもない。だが、森や林ならアルファルドの樹の魔法が真価を発揮する。
戦闘が避けられないなら針葉樹の林で迎え撃つ方が良い。ヒースとアルファルドは林の茂みに隠れて、ヒポグリフの出方を覗ったが、ヒポグリフが林に突入してくることはなかった。
ヒポグリフはしばらく雪原上空を旋回していたが、やがて仲間の死骸を抱えて空の向こうに飛び去っていった。
「くそ……死骸を持ち去られたら、手掛かりが……」
「ウウーゥ」
忌々し気に呟いたアルファルドの背中に、オリオンが頭を擦り付ける。何事かと見れば、ヒポグリフにとどめをさした時に毟ったのだろう、ヒポグリフの羽と毛皮片をアルファルドの掌に落とした。
「兄弟! 流石だね!」
オリオンはアルファルドに誉められて、誇らしげに胸を逸らす。モフモフの胸毛を撫でられてご満悦である。一方、ヒースの胸にぐったりと身体を預けていた仔竜は、鼻先でヒースの頬を突く。
「ピィ……ピピ」
「アル! この仔、翼と足を怪我してるんだ。治してあげられないかな?」
時間が経つ毎に鳴き声に元気がなくなっていく。ひんやりした竜の身体は余計にヒースの不安を煽った。アルファルドは治療魔法を習得しているが、竜に効くのかは分からない。アルファルドも自信が無さそうに首を振る。
「治すのはできると思うけど……どこをどう治したら良いのかは、やっぱり専門家に診てもらいながら魔法をかけないといけない。変な所を繋いだら大変なことになる」
治療魔法習得には、体組織や医療知識を学ぶのが先決だという。人や獣を診ることはあっても、基本的に人より強い竜を診ることは滅多に無い。そのため、竜の身体の構造を理解して治療できる医者は、首都近郊に数名居るのみである。
「まずは、村に戻ろう。ディーンなら何か分かるかもしれない。それに……ちょっと面倒なことになったかもしれない」
ヒポグリフが飛び去った空の向こうを睨みながら、アルファルドは憂鬱そうに呟いた。
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