5 銀の欠片
店を出て三歩で、上着を忘れたと気付いたが、取りに戻るのは格好悪すぎるので諦めた。今更体裁を取り繕ったところで、一度吐いた言葉は取り消すことはできないことは分かっている。
それでも、酷いことを言ってしまった自覚はあって、気まずい思いにヒースは今すぐ走り出したい気分だった。雪も氷も無い季節だったら本当に走っていたかもしれない。
まぁ、そんなに長く外に居るつもりはないしと自身に言い聞かせて、ヒースは背中を丸めながら二の腕を摩る。
当て所も無く歩き始めたが、山間の小さな村なので、あっという間に村を一周してしまう。身体は冷えたが、まだ頭は冷えない。まだ宿屋に戻る気にはなれなくて、ヒースは村をぐるりと囲う木柵に腰掛けた。
――どうしてあんなことを言ってしまったんだろう? いつもなら簡単に受け流せるのに。
空に溶けていく白い吐息を目で追えば、粉雪が頬の上で溶けて滲みていく。街灯を反射して雪明かりにぼんやりと明るい空を見上げながら、ヒースは自己嫌悪に消沈していた。
もう少しクエストをこなしたいから、手伝ってくれと言えば、ディーンは二つ返事で了承しただろう。数をこなすことを考えれば、手が多い方が良い。ヒースとしてもありがたいことだが、一方的に頼るばかりの関係は、果たして“親友”と言えるのだろうか。
ディーンの母親は高名な竜騎士だった。ディーンはお腹の中に居た頃から、竜の背に乗って空を飛んでいたという。小さい頃から人一倍竜に対する憧れが強くて、とりわけ王家の紋章にも描かれる銀竜に対しては強い関心を持っていた。
準騎士になってからは、新たな街に着く度に銀竜の目撃情報を集めていることをヒースは知っている。
竜騎士になるためには、竜と戦い、勝って屈服させるか、竜と強い信頼関係を築くかの二通りの方法しかない。ディーンは近い将来、銀竜に挑む気なのだろう。
そして、その時にはおそらくヒースは隣に居ない。尤もらしい理由を添えて誘われるかもしれないが、ヒースは辞退するつもりだ。
銀竜が棲むのは雪山の頂。辿り着き、足場の悪い雪の上で戦うには風の魔法が必須となる。命懸けの戦いに向かう親友の、お荷物にだけはなりたくなかった。
いっそのこと、突き放してくれればいいのに。だが、それをディーンに求めることこそ甘えだ。とヒースは冷たくなった両頬をぴしゃりと叩く。幕引きは自分の手でしなくては。
「……ディーンに謝ろう。それで……」
今まで付き合ってくれてありがとう。これからは、君も自分自身の願いに忠実に生きて欲しい。今度は僕が君をサポートすると伝えよう。
方針が決まったら、いつまでもウジウジしていられない。そろそろ戻ろうかと、腰を上げようとしたその時、狼の遠吠えが聞こえた。
ヒースは耳の後ろに手を当てて、耳を澄ました。さらさらと雪が降り積もる音に加えて、サクサクと何かが近付いて来る音がする。気配や足音を消さないということは、敵意や悪意は無さそうだと推測する。
夜闇に目を凝らせば、真紅の双眸が瞬き、闇が獣の形を成す。それが何かを視認する前に、真っ黒な毛玉がヒースの鳩尾目掛けて突っ込んで来た。
「うわ!? 君は……オリオン?」
毛玉をモフモフと撫でながらアルファルドの使い魔の名を呼んでみると、黒い魔狼は嗄れた声でワフッと吠えて、ヒースの膝に前足を乗せる。毛足の長い被毛が温かくて抱きしめると、背中にバサリとコートが掛けられた。
「風邪ひくぞ。泣き虫」
「な、泣いてないよ! ねー? オリオンー?」
「フーンン?」
主人に似たのか、人のような仕草で首を傾げて唸るオリオンに、ヒースは吹き出した。身体も心も温かいと、張り詰めていた気持ちまで解れるようで、今なら何でも言えるような気がする。
「ありがとう。……なんか、アルが優しいと大丈夫? 具合悪い? って思っちゃうんだけど」
「なんでだよ。僕は優しいだろ。……セラには」
「はは……そうだね。セラにはね」
アルファルドの言う通り、アルファルドは婚約者のセリアルカにだけは優しいが、彼女と仲の良いヒースに対しては特別に冷たい。
「いつまでもメソメソして、ふて腐ってないで帰るぞ」
「だから、泣いてないし腐ってもいないってば」
上着を着て木柵から腰を上げると、胸元に何か固いものが当たる。ヒースは不思議に思って上着のポケットを探り、指先がそれに触れた途端、拾ったもののことを思い出した。
「ねぇ、アル……これ、何だと思う?」
掌に乗せてアルファルドに差し出すと、アルファルドの唇から咥えていた煙草がポロリと落ちた。
「は!? それ、銀竜の鱗じゃないか?」
「あー、やっぱりそうか。昼間に雪山の尾根で銀竜を見た話をしたでしょ? すごい吹雪でさ、知らないうちに髪に絡まってた」
「銀竜に攻撃したわけじゃないんだな? はぁ……なら、大丈夫、かな? 竜のことはディーンに聞かないと分からないな」
考え込んでしまったアルファルドをよそに、オリオンは鱗に興味を惹かれたのかフンスフンスと鼻を鳴らしながら熱心ににおいを嗅いでいる。滅多に会えない銀竜の、とても貴重な鱗の欠片だ。何かの役に立つかもしれない。ポケットにしまおうとしたその時。
「ピィィィィィ……」
オリオンの耳がピクリと立つ。ヒースとアルファルドは顔を見合わせた。無言のまましばらく待っていると、また弱々しい小鳥の鳴き声のような音が聞こえる。
「今のは? 君も聞いた?」
ヒースの問いにアルファルドは答えず、指を咥えて強く吹いた。甲高い音が周囲にこだまする。ヒースの耳には何も聞こえなかったが、オリオンの耳は僅かな音を捉えてぴこぴこ動いた。
「探せ。見つけても近付かないで僕を呼べ」
アルファルドの命令に、影から四匹の魔狼がぬるりと這い出し、オリオンを先頭に走り出す。魔狼の群れが夜闇に紛れてしばらくすると、村境の木柵の向こう、崖の下から遠吠えが聞こえた。
「何か見つけたらしい。行くぞ! ヒース!」
「うん! ……えっ?」
ヒースが勇ましく返事をした途端、アルファルドは問答無用でヒースを肩に担ぎ上げて走り出した。
「思ってたのと違うーーー!?」
「うるさい。耳元で騒ぐな」
アルファルドは大きく踏み切り、崖の上から飛び降りると同時に、風の魔法を展開して落下速度を緩める。肩に担がれたヒースは、一瞬の浮遊感の後に強い引力が一気に腹部に掛かって、思わず口を押さえた。
「……は、吐きそう」
「降りてからにしろ」
「絶対に、絶対にセラに言い付けてやるからな!」
積もった雪の上にポイっと乱暴に落とされて、ヒースは小悪党のようなセリフを吐きながら雪を払って立ち上がる。狼の遠吠えは近くなったが、ただ主人を呼ぶというよりは切羽詰まったような哭き方だった。
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