écriture 新人作家・杉浦李奈の推論 Ⅱ

松岡圭祐/KADOKAWA文芸

第1話

 二十三歳のすぎうらは、前に講談社にも着ていった婚活風のドレスに身を包み、けんらん豪華な通路を歩いた。ホテルメトロポリタンエドモント、二階の大広間へと向かう。

 一緒に歩く同年齢の小説家、ゆうのパーティードレスは、もっと洗練されていた。アップにまとめた茶髪とも上品に調和している。

 李奈はすっかり腰が引けていた。「やっぱきょうは遠慮したほうが……」

「なにいってんの?」優佳の美麗にメイクを施した顔に、あきれたような表情がひろがる。「推理作家協会の懇親会だよ。そんな及び腰になる必要ある?」

「ただのラノベ作家だし」

「一般文芸のミステリもだしたじゃん。『トウモロコシの粒は偶数』」

「爆死したし。発売日からアマゾンで中古本一円の嵐」

「送料が高いからだいじょうぶだって。新品で送料無料と、金額はそんなにちがわないでしょ。賢い人はそっちを買うよ」

「文庫はそうだけど、あれハードカバーの単行本だったし、もとの値段が高くて……」

「もう。ここに来てる作家、みんな単行本売れてると思う? 出版不況。活字離れ。コロナ不況の後遺症。いいわけはいくらでもあるんだから前向きに考えなきゃ」

 ポジティブかネガティブかよくわからない励まし。那覇優佳は文学新人賞出身だからか、態度に余裕を感じさせる。杉浦李奈はカクヨムでKADOKAWAに拾われたたたきあげでしかない。

 大広間の入口わき、受付は結婚披露宴と変わらなかった。招待状を提出し、参加費を払うと、ネームプレートが渡される。杉浦李奈と書かれている。胸につけねばならないようだ。

 李奈の困惑は深まった。「小学生のころに戻ったみたい」

「本名なの?」優佳がきいた。

「そう……。優佳はちがうの?」

「わたしもりぐちゆうっていうの。ほとんどの作家さんはペンネームでしょ」

「だよね。いまになって後悔してる。検索に〝杉浦李奈 つまらない〟ってサジェストワードがでてくると、胸にぐさっとくる」

まさむねはくちようはペンネームを後悔してたってさ。くしゃみみたいな名前だって。そういう作家もいるんだから、本名でも気にしない」

 ふたりで会場内に歩を進める。大宴会場は立食パーティー形式で、グラス片手の大人たちが埋め尽くし、やたらにぎやかだった。スーツの中高年男性が大半を占めている。作家のほかに編集者が多くいるようだ。すでに知った顔が何人か目につく。

 優佳が微笑した。「酒を飲むと気持ちをごまかすことができて、でたらめいっても、そんなに内心反省しなくなって、とても助かる」

 ざいおさむの『酒ぎらい』の一節だった。李奈はつぶやいた。「たしかにご機嫌な人が多そう」

なかはらちゆうみたいな酒乱となると、さすがに見かけないけどね」優佳がそっと耳打ちしてきた。「見てわかるとおり、おじさんばかりだからさ。誘われてもついていっちゃ駄目よ」

 そんな会場内では例外的な存在、二十代半ばの青年がひとり近づいてくる。長めの髪に細面、そうしんにテーラードジャケット姿、わりとイケメンだった。青年は優佳に声をかけた。「那覇さん」

「あ、さん。こんにちは」優佳が李奈に向き直った。「こちら曽埜田あきらさん」

 李奈は目をみはった。「あー。『謎解き主義者マキの禅問答』シリーズの……」

 曽埜田璋が面食らったような反応をしめした。「知ってた? うれしいね。お目にかかれて光栄です、杉浦李奈さん」

「わたしをご存じなんですか」

「そりゃもちろん……」曽埜田は口ごもった。題名をいおうとして思いだせなかったらしい。

 やむをえないことだと李奈は思った。一部に顔を知られているのは、いわさきしよう騒動の折、報道記者に追いまわされたからでしかない。ひところはテレビを通じ、李奈を記憶する人々が増えたものの、本の売り上げにはつながらなかった。

 曽埜田が笑顔を取り繕った。「杉浦さん。ここは初めて?」

「はい……」

「なら大御所の作家さんたちを紹介するよ。一緒にきて」曽埜田が場内を歩きだした。

 後につづきながら、李奈は優佳にきいた。「曽埜田先生と知り合い?」

「先生って」優佳が歩調を合わせてきた。「ここじゃ先生だなんて呼び合う人はいないよ。さん付けでいいから。曽埜田さんとは新人賞の授賞式で一緒だったの」

「へえ……。じゃ同じ年度の受賞者?」

「そう。授賞式じゃ本名だったけどね。本名はえんって漢字のそのに、昭和のしようであきら」

「園田昭さん。字面がよさそう」

「ね? 作家向きの名前だよね。なのに曽埜田璋とかちょっとダサ……」

 きこえたらしい。曽埜田が振りかえった。「沖縄好きってだけで、みようを那覇にするほうが変わってる」

しま駅を通ったから三島。そんなにめずらしいことじゃないでしょ」

 中高年の男性らが群れている。曽埜田が声をかけた。「ちょっとすみません。紹介します。ええと、那覇優佳さんとはお知り合いですよね? こちらは杉浦李奈さん」

 男性らは歓迎の意をしめした。李奈は一同のネームプレートを目にしたとたん、胸の高鳴りをおぼえた。知っている名前ばかりだった。まるで書店の作家名別の棚を見るようだ。

 長身で短髪、眼鏡をかけたきりごえたかは、リアルな警察小説で知られる作家だった。桐越が笑いながらいった。「ちょうどよかった。いま純文学作家が書くミステリについて議論しててね。ふくながたけひこれいろうのペンネームでだした推理小説を、予備知識なしに福永作だとわかるだろうか、という」

 なぜそれが〝ちょうどよかった〟となるのか。理由はあきらかだった。岩崎翔吾の盗作騒動で、本人作か否かの論争が世間を賑わせた。答えをしめすノンフィクション本を、杉浦李奈は出版した。そこに絡めてのことだろう。ほんの数か月前のことだが、もう大衆はすっかり忘れている。多少なりとも話題にしたがるのは、いまや出版業界人にかぎられていた。

 李奈は真面目に答えた。「『草の花』も『忘却の河』も純文学ですが、わりと飾らないそつちよくな文章表現がめだちますよね。ドライな表現は加田伶太郎名義の推理小説にも顕著ですし、母親がキリスト教の伝道師だったからか、聖書の影響も共通しています。同一人物作だと分析するのも、無理ってわけではなさそうかと……」

 丸顔の陽気そうな五十代、なお賞作家のかきつばたこうがいった。「ほらみろ! 私のいったとおりだ。福永武彦が海外ミステリの作法に順応したのは、聖書の影響だよ。杉浦さんはお若いのに、なかなかぞうけいが深い」

 らん賞作家のやまもとようすけが、白いまゆを八の字にし苦笑した。「若い女の子が同意見とあっては、杜若さんの説に、みなこぞってなびくでしょうな」

 一同が控えめに笑ったとき、スピーカーから音声が響き渡った。「ではここで、日本推理作家協会賞受賞者にご登壇いただきます。ばしらとうぞうさん、お願いします」

 正面に設置された舞台に、五十代後半の太りぎみの男性があがる。寿顔ではあるものの、どこかこうかつな印象を漂わせる。昨今のテレビでは最もよく見かける小説家だろう。

 汰柱桃蔵。五年前、コピーライターから小説家に転身するや、爆発的な成功をおさめた人物。『時限の大陸』が本屋大賞を受賞、三百五十万部のベストセラーを記録した。この五年間に『気高き決意の人』『台風の水晶』が映画化、『ラタナティック』がドラマ化。どれも有名な作品となり、いまや流行作家の名をほしいままにしている。

 さも愉快そうに目を細めながら、汰柱桃蔵はマイクを前に立った。「えー。さきほどほかのかたのスピーチに、出版不況とありましたが、私にとっては久しぶりにきく言葉だなと思えましてね。まだそんなものがあったんかいなと」

 場内に笑い声が沸き起こる。とはいえ編集者らが付き合いで笑ったにすぎない、いま李奈の目の前にいる大御所作家らも、一様にしらけた表情を浮かべていた。

 文学新人賞という登竜門を経てデビューしたのではなく、突然現れ成功をかっさらった新進作家。経歴は浅くとも、重鎮並みの年齢で、年に六作以上も発表する多作ぶり。五年間の作家生活で、すでに三十四作を書き下ろしている。累計の発行部数は二千万部超。これで謙虚な性格の持ち主なら、推理作家協会の理事に推薦されそうだが、まるで不向きなことは演説からもわかる。

 汰柱が上機嫌そうに声を張った。「とにかくあくたがわにしろフォークナーにしろ、みんなミステリに手をだしとるのですから、猫もしやくもミステリを書くべきだと私は思うんです。誰が書いてもそれなりに面白くなって、確実に人気を博すジャンルは、ほかにそうないでしょうから」

 編集者らの笑い声が小さくなった。ミステリを書けば売れて当然という主張を、推理作家協会の懇親会でスピーチする。なんの目的でそんな行為におよぶのだろう。冷やかな雰囲気がひろがったものの、汰柱はいささかも気にしていないようすだ。

 汰柱桃蔵は遠慮のない論客として知られ、SNSの炎上も日常茶飯事だった。弱者の社会運動家に冷たく、刑事罰の厳罰化を支持、未成年犯罪者の実名報道にも全面的に賛成している。差別的な発言が多く、よくひんしゆくを買う。それでも愛読者らの熱い支持が揺らぐことはない。

 スピーチはまだ継続中だが、みの顔がふたり、李奈のほうに近づいてきた。ふたりともKADOKAWAの社員だった。三十代半ば、面長に丸眼鏡は、李奈の担当編集者のきく。もうひとりのせた五十代は編集長のみや。李奈にとっては岩崎騒動以来の再会になる。

 菊池が声をかけてきた。「やあ。みんな来てたんだな」

 優佳も李奈と同じく、KADOKAWAでは菊池が担当編集者になる。会釈をしながら優佳がいった。「こんにちは。宮宇さんも、おひさしぶりです」

 宮宇編集長は大御所作家らにおじぎをした。「こりゃまたそうそうたる顔ぶれですな。あらゆる世代の作家が一堂に会している」

 大御所のひとり、杜若が笑った。「われわれが若い子たちに相手をしてもらっているだけですよ。けっして女の子ばかりひいしているわけでもない。好青年もいるし」

 曽埜田が目を丸くした。「僕のことですか。恐れいります」

 一同が笑ったとき、場内には拍手が沸き起こった。汰柱がスピーチを終えた。壇上ではビンゴゲーム大会の準備が始まっている。

 舞台を下りた汰柱がこちらに歩いてくる。「宮宇さん。菊池君」

 宮宇編集長が愛想笑いとともに、あからさまな低姿勢に転じた。「ああ、どうも、汰柱さん。若手の作家陣を紹介します。杉浦李奈さん、那覇優佳さん、曽埜田璋さんです」

「ほう」汰柱は満面に笑いを浮かべた。「これは可愛らしい。アイドルみたいな女の子たちですな。初めまして。宮宇さんには、れいどころが来たら紹介してほしいと伝えてあったんだが」

 汰柱が豪快な笑い声を発する。曽埜田が困惑ぎみに退いた。青年は汰柱の眼中にないようだ。大御所作家らが顔をしかめたものの、汰柱は彼らのことも意に介さない。

 唐突に汰柱が距離を詰めてきた。深呼吸する素振りをしながら汰柱はいった。「いいにおいがするな。若い子に特有のにおいだ。やまたいとんぎたくなった気持ちもわかる」

 また汰柱が高らかに笑った。李奈と優佳は黙って顔を見合わせた。たとえが適切でない気がする。

「さて」汰柱がぽんと手をたたいた。「ここが終わったら、その後の予定は? 二次会の当てがあるのかな」

「いえ」優佳が半笑いで応じた。「べつに……」

「そうか。なら」汰柱は宮宇編集長に目を向けた。「きょうもいつもどおり、私の仕事場に来てくれるんだろう? こちらの綺麗どころも連れてきたら?」

「あのう」宮宇編集長は戸惑いがちに応じた。「ええと、ふたりの予定をきいて、問題がなければ……」

「結構。ではまっとるよ。先に仕事場に帰っとく。ビンゴゲーム大会に興味はないのでな」汰柱は笑い声を響かせながら立ち去った。

 一同があつにとられた顔で、汰柱の後ろ姿を見送る。曽埜田がため息をついた。「僕は招かれてないってことですよね?」

 大御所作家のひとり、山本が鼻を鳴らした。「気にするな。私たちもだよ。呼ばれたいとも思わんがね」

 いまはどんな約束が交わされたと解釈するべきなのだろう。李奈は菊池にきいた。「わたしたち、一緒に行くことになったんですか? 汰柱さんの仕事場に……」

 宮宇編集長が申しわけなさそうな目を向けてきた。「ここでのパーティーのあと、私たちはいつも呼ばれるんだよ。うち以外にも各社の編集者が顔を揃える。汰柱さんは独身で、暇らしくてね。作家友達もいないようだから、私たちを取り巻きにしたがってるらしくて」

 優佳は露骨に嫌そうな顔をした。「断ればいいじゃないですか」

 菊池が嘆いた。「うちでなかなか書いてくれないんだよ。もうひと押しなんだ。よそもそう思ってるんだろうけど……」

「わたしと李奈には関係ないことですよね?」

「いや。あのう、付き合わせて済まない。仕事だと割りきって、協力してもらえないかな」

「はあ?」優佳が当惑のまなざしを李奈に移してきた。「それって……」

 李奈は優佳を見かえした。理不尽であっても断れない。仕事を干されたくないからだ。フリーランスのつらいところだった。二十三歳。立場だけは晩年のぐちいちようと同じ。奇跡の十四か月はいまだ始まらないが。

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