第22話 アンナプルナ
しばらくして、布装備の軍人が砂埃を立てながら馬に乗って駆け抜けていった。
その後ろからやってきたスケルトンファイターの群れに、ダンとカリナを先頭にしてぶち当たる。
なぜかダンはいきなりシールドスタンをぶっ放し、セリオスはダンの横で範囲攻撃を叩き込んだ。
俺は前衛を飛び越えて、スケルトンファイターの群れの中に飛び込んだ。
とにかくセリオスの範囲攻撃に巻き込んでしまおうと、バクスタを叩き込み続ける。
見たことない敵に、そこらじゅうから悲鳴が上がっていた。
さっそくヘイト管理に失敗した魔法使いが、スケルトンに追いかけまわされてカイサ先輩の助太刀に救われた。
そこで聖女のスキル、ターンアンデットが敵の中心部に撃ち込まれて、浄化の光により広範囲のスケルトンが消し飛ぶ。
「ほう、こいつはすげえな。これが噂の聖女の魔法か」
カイエルが感心している。
ところどころ崩れ出してるのに助ける気もないようだ。
セリオスのMPが尽きたところで、俺はスケルトンの群れから飛び出して、襲われている後衛職のカバーに回った。
こんな乱戦の場合、ヒールを使うのは自殺行為だ。
みんなポーションで必死に耐えている。
黒鎧の男が大きな岩の上で指示を出しているが、あたり前のように無視されていた。
戦場であんな指示は聞こえやしない。
いや、実際には俺の耳には聞こえていたが無視していた。
持ち場を離れるなとか何とか俺に向かって言っていたのだ。
一ヶ所崩れたら何人の死人が出ると思っているのだろうか。
途中でカイサ先輩に何度かすれ違ったが、この人は俺並に視界が広いな。
二発目のターンアンデットが入ると、戦況は片が付いたようだった。
その時、俺のマップに高速移動する何かが映った。
空を見回すと、なんとワイバーンが飛んでいた。
マップの光点からみて、ワイバーンの上には何かが乗って操っている。
光点が向かっているのは、アンナプルナのいるあたりだ。
俺は全力でそちらに向かって駆けだした。
すぐにアンナプルナを見つけて叫ぶが、周りの雑音に邪魔されて届かない。
その後でアンナプルナと目が合ったが、こちらの意図には気が付いてくれなかった。
タッチの差で、敵のワイバーンが足でアンナプルナを掴み連れ去った。
俺は剣を振ってキャンセルし瞬歩を発動させた。
本来は地面を移動する技だが、キャンセルすれば剣を振った方向に移動できる。
一瞬でワイバーンの背中に現れた俺は、そこに乗っていた上位モンスターのリッチに攻撃を入れた。
こいつはレベルが高いから、相当に厄介な敵だ。
強攻撃からのキャンセルで、連続斬り、水面斬りとつなぎ、新影で距離を詰めて、弧月、霞切りと、本気の追撃が入る。
ワイバーンの首が壁の役割をしているので、画面端効果によって面白いように追撃が繋がった。
ここならワイバーンの羽の陰になっているから、下の奴らに見られることもない。
リッチは物も言わずに掻き消えて、次はワイバーンがターゲットになった。
暴れ回るワイバーンがアンナプルナを落とさないように、迅速な攻撃をお見舞いした。
ワイバーンが消える直前に、忍術・八咫烏召喚によって大きなカラスを呼び出し、その足に捕まると急降下してアンナプルナの手を空中でキャッチする。
なるべく早く倒したつもりだったが、俺たちははるか遠くまで運ばれていた。
しかも、俺たちが下降していく先は渓谷の谷間だった。
八咫烏はただの滑空スキルで、上にあがることはできない。
アンナプルナが凄まじい悲鳴を轟かせながら、俺たちは渓谷の谷間に落ちていった。
最悪なことに、落ちたその場所はデッドリーポイズンジャイアントスコーピオンの巣だった。
いきなりサソリが飛びついてきて、アンナプルナを庇ったら腕を刺された。
身体から力が抜けて、次の瞬間には全身を刺され、俺はなんとかアンナプルナを掴んだまま瞬歩で距離を取る。
「げ、解毒してくれ」
アンナプルナがすぐに詠唱に入るが、視界が歪んで、目が開かなくなってきた。
何重にも毒のデバフが入って立っていられない。
敵の足音が迫って来て、もうそこで終わりかとさえ思えた。
やっとアンナプルナの魔法が完成して、体に活力が戻ってきた。
しかしサソリに囲まれているから、次々と攻撃を受けてしまう。
とりあえずアンナプルナにヘイトを向けているサソリに炎弾を放って引き付ける。
攻撃を受けるたびに意識レベルが低下して、解毒魔法とヒールでなんとか持ち直す。
あー、アンナプルナに使役されてた野郎どもはこんな気持ちだったかと、取り留めのない言葉が浮かんできた。
しかし、それはプレイヤーが操作するアンナプルナであって、俺の目の前にいるのは別のアンナプルナである。
いや、そんなことを考えている場合ではない。
壁の窪みに彼女を入れて、俺は8体からのサソリに囲まれる。
ボスではないとはいえレベル40近いサソリだから、ピッケルみたいに大きい毒針が目の前に山と迫っている光景は絶望としか言いようがなかった。
俺が動けばアンナプルナは助からない。
しかし忍者がこれほどの数の敵を引き付けて正面から戦うなんて、正解から最も遠い戦い方だ。
攻撃を受けては解毒と回復、その繰り返しである。
少しずつ移動しては囲まれて戦って、なんとか上にあがれそうな場所を探した。
ここまで本気を出して戦ったことがあったろうかというくらい、俺は死力を尽くして戦った。
日が暮れてきた頃にはアンナプルナのMPも尽きて、敵は無限湧きなのかというくらい減らない。
そして上に上がれそうなところは一つもなかった。
ゲームでも確かスコーピオンの渓谷は、上にあがれる場所がないと聞いたことがある。
もう駄目かと思われたが、日没とともにスコーピオンは巣に引き上げていった。
俺の方はボロボロで、もう立つこともできない。
アンナプルナに肩を貸してもらって、渓谷の中をひたすら歩きまわったが、やはり上がれるような場所はなかった。
なんとか二人が入れる窪みを見つけて、寒くないように身を寄せ合った。
「ねえ、トウヤだけなら逃げられるよね」
「逃げたって上に行く方法がないだろ」
「もう駄目なのかな私たち」
その言葉に俺は何も返せなかった。
上に行く方法がないのはわかっているから、本当に手詰まりだ。
ダンジョンではないからダンジョンワープも使えない。
明日になったら本当に死んでしまう。
助けが来るのは期待できない。
まさかこんなことになるとは思わなかった。
世界を救おうだなんて思いあがっていたのだろうか。
学園には入らずに冒険者でもやっていればこんなことにはならなかった。
回復したMPでヒールを使ってもらって、なんとか体の方は動くようになった。
俺の方はデバフだらけで、まともに回復もしなくなっていた。
HPが3割を切ってしまうと、一度だけなら特にペナルティがなくとも、短時間に二度三度となるとかなり強烈なデバフをつけられてしまう。
それはHPを回復しても、ヒーラーの回復を受けても解消されない。
なんとかアンナプルナだけは庇ったのが正解だった。
もはや俺たちには何も残されていない。
あとはエントの実が数個あるだけで、ポーションも全部使いきってしまった。
最初のオリエンテーションでもらったエリクサーは、作戦前にリサに渡してある。
さすがに助かる道筋が見えてこない。
「ねえ、今なにを考えてるの」
「女の子と付き合えもせずに死ぬのは嫌だなって考えてるよ」
「お、同じだね……。私もだよ」
え?
「それって、付き合う相手は俺でもいいのか」
「……うん、……いいよ」
アンナプルナの体が覆いかぶさって来て、あのつややかな唇が俺の口を塞いだ。
どんな味がするのか気になっていた唇は、特になんの味もしなかった。
こうして俺はアンナプルナで童貞を卒業したのである。
夜が明けてきた。
死ぬまでのカウントダウンが迫り、アンナプルナの寝息だけが聞こえている。
せめて解放の宝珠でもあれば、こんな壁くらい何とでもなるのにと考えて、俺はある可能性に気が付いてしまった。
ガバッと体を起こした拍子に、アンナプルナが目を覚ました。
「はあ、あと数時間の命かあ」
「いや、まだ可能性はある」
忍者には壁歩きというスキルがある。
普通は解放しないスキルだが、今は一番重要なスキルだ。
昨日一日中戦ったせいで、ジョブレベルは2だからレイドボスの経験値と合わせれば3くらいは行くだろう。
4次職の第3階位解放に必要な宝珠は遺物級だ。
遺物級を落とすのはレイドボスだが、ここはレイドボスのマザースコーピオンがいる。
あのボスは確か、聖女のセイクリッドガードがあれば攻略の可能性がある。
弱体化デバフさえ防いでしまえば、4次職の忍者程度でも即死はない。
「セイクリッドガードは使えるか」
「うん、トウヤがそっちのスキルを取れって言ってたでしょ。だから高いのに無理して買ったんだよ。今思えば一度も使ってないんだから、そのお金でケーキでも買えばよかったよ」
「いける」
「え?」
「ここから出られるぞ!」
俺のMPは半分も回復していない。
いけるかどうかは賭けになるが、サソリの餌になるよりはましだ。
俺たちは渓谷内にある、ボス部屋にやってきた。
迷宮内にあるような奴じゃなく、アリーナのように開けた場所だ。
俺は祈るような気持でアビリティ欄にドロップアップを装備する。
ほかのアビリティもダメージ軽減系に変えてあった。
「俺が合図したら回復魔法を使ってくれ」
「うん、わかってるよ」
朝日とともに、巣穴を塞いでいた気持ちの悪い粘膜が破れて、マザースコーピオンが現れた。
セイクリッドガードによって魔法ダメージは半減する。
そして魔法に付属したデバフも完全に防ぐことができる。
あとは攻撃を掻いくぐりながら、HPを削って行けばいい。
レイドボスは怯んだりしないからコンボはほとんど使えない。
それよりも回避することが重要である。
俺は神経を研ぎ澄ませて、ボスに向かって行った。
回避不能な雷の雨を降らされながら、必死にスコーピオンの足を掻いくぐる。
7回ほど吹き飛ばされてヒールを貰うが、忍者の攻撃速度はすさまじい勢いでボスのHPを削っていった。
「もうMPがないよ!」
「まだ行ける!」
どっちにしろ死ぬのだから、あと二回攻撃を受けて死ぬまでは戦い続けるしかない。
壁を蹴り、ボスを蹴り、縦横無尽に動いて翻弄する。
朝日が完全に登り切った頃、やっとマザースコーピオンは動かなくなった。
ヘルメスの杖(伝説)、ヘルメスのプレートメイル(遺物)、ヘルメスの服(遺物)、ヘルメスの靴(遺物)、解放の宝珠(遺物)、ヘルメスのピアス(希少)、ヘルメスのリング(最高)、魔法書(メテオ)、スキルオーブ(兜割り)、エリクサー(魅力)、古代の最高級ポーション(26)、120839クローネ。
「ど、ドロップしたぞ!」
「やったーーーー!」
俺は地面に倒れたが、すぐにスコーピオンたちがボス部屋にまで入ってきたので跳ね起きた。
そして俺はアンナプルナを背負って、壁を登る。
上についたら、今度は肩を貸してもらって歩くはめになった。
「忍者って4次職だよね」
「ああ」
「ハンパないね」
「まあな」
「秘密にしてほしいなら、昨日の夜のことも秘密にしてよね」
「どうしてだよ。自慢したいじゃないか」
「恥ずかしいじゃん。それにカリナたちに殺されちゃうよ」
「まあいいか。忍者のことも秘密だからな」
「みんなの前で彼氏ヅラとかしないでよね。一日付き合っただけなんだからさ」
「なんだよそれ」
俺たちはなんとかクラスメイト達と合流できた。
リサが俺を見るなり走って来て抱きつかれた。
そして俺の匂いを嗅いだかと思うと「裏切者!」と言って激怒した。
手当てを受けて、なんとか俺は歩けるようになった。
やっとの思いで帰って来たというのに、黒鎧の男が命令を無視しただのなんだのとやたら騒いでいる。
俺がそれを無視していると、カイサがやってきた。
「あのワイバーンを倒したのね。私も見ていたが信じられなかった」
「はい、運よく上に乗れましたからね」
「そんなことでは帳消しにはならん。命令を無視するような奴は評価を下げるように、教官たちに言っておくからな。おい、上官の言葉を無視していいと思っているのか」
「思ってるよ。だってあんたが上官なのは作戦が終わるまでだろ。作戦が終われば俺に喧嘩を売るただのアホだ」
「たしかにな。ワイバーンが倒せるなら勝てる見込みはあるぜ」
カイエルが笑いながら言った。
「この野郎。ちょっとこっちにこい、作戦が終わったらと言わず今やってやろう。教官たちの目の届かないところでな。自由に戦え。俺が許可する」
正直めんどくさかったが、岩の陰になってるところで黙らせた。
このあと、この男は作戦途中で脱落ということになった。
「ずいぶん早かったな。ズルをせずに倒したなら生徒会長より強いかもな」
そう言ってカイエルが笑った。
まともに倒したとは思っていないな。
確かにバクスタを使ったが、普通にやってもあんなのには負ける方が難しい。
「それはあり得ない」
とカイサがカイエルの言葉を否定している。
カイエルが冗談だとか何とか言ってごまかしていた。
それにしてもアンナプルナはみんなと楽しそうに話していて、昨日のことなどおくびにも出さない、いつも通りの聖女だった。
まるで夢の中の出来事かと思うような変わりなさだ。
帰りは直線だったので一日で転送ゲートまでたどり着いた。
学園に帰ってきたのは深夜過ぎとなった。
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