浩司
第13話
行ってきます、という母の声を聞いてから、どれくらい経ったのだろう。
自室の布団の中で
――ああ、今日は駄目な日だ。
寝返りを打ち、布団を頭まで被る。心が重い。
目を閉じると、何も視界に映らなくなって安心した。
うつ病と診断されたのは、一年ほど前のことだったと思う。記憶が曖昧だから、本当はどうだか分からない。
役所に入れ、という父の言葉で公務員になることが目標となった。特定の仕事に就きたいという夢もなかったし、何となく人の役に立つ仕事に就きたいと思っていたから特に反抗もしなかった。
地元から離れた国立大学に入り、理工学部で土木分野を学んだ。技術系公務員試験を受けることを見据えてだった。行政職よりも技術職の方が倍率も低かったし、携わった仕事が形として残る。それが魅力的だった。
大学四年生の夏、無事地方公務員試験に合格した。
合格を報告すると母と兄は元より、父がとても喜んでくれたのが嬉しかった。そして、とてもほっとした。昔から出来の良い兄と比べられて何かと言われることが多かったからだ。
「良く頑張ったな」
父にそう褒められると、本当に努力が報われた気がした。
役所に入ると目まぐるしい日々の連続だった。何日もの研修、専門用語やシステムを教わる毎日。
忙しかったが、充実感に溢れていた。知らないことを覚えていくのは面白かったし、気の合う同期と飲みに行くのも楽しかった。今はもう、誰一人として名前を覚えていないが。
異変が起こったのは、役所に入って三年目の春だったと思う。人事異動で道路の管理や保全を担当する課に配属された。
路面の穴やひびの補修、倒木があればその撤去を委託業者に指示する。新しく何かを作るわけではなく、既存の道路をメンテナンスする仕事だ。
それまでは現場に直接行き業者とやり取りすることが多かったが、異動した課は主にデスクワークで、住民からの電話に対応することが増えた。
あっちの道路で倒木がある、そっちの道に穴が開いている……、路面の状況を確認する役所のパトロールカーが毎日見回っていたが、タイミングによっては気づけないものもある。住民からの報告はありがたかったし、補修完了後にお礼の電話をかけてくれる住民もいてやりがいを感じた。
そんな中、たまたまクレーム電話を取った。三十分もの間、道路補修と予算配分に関する不満を聞かされた後、浩司はようやく解放された。
先輩に相談してみると、いわゆる公務員批判を繰り返す有名な老人だということを知った。どこそこの道路がいつまで経っても直らない、あの橋は狭すぎる、をきっかけにして、一通りの公務員批判の後、これだから公務員は、と言って切られる。
上司や先輩はしっかり相手にしなくていいと言っていたが、何度も電話をかけてくるのだからきっと深刻な問題があるんだろうと、じっくり話を聞いたのが良くなかったのだ。老人は浩司であれば話を聞いてくれると学習したようで、名指しで電話をかけてくるようになった。
毎回三十分から一時間ほどのお叱りを受ける。その分、業務が滞り残業が続くようになった。
すぐ、上司に報告すれば良かったのだが、相手にしなくていいと言われていた有名人の話を聞いてしまったのは浩司だ。それが引っかかり、言い出すことができなかった。
そうしているうちに、仕事でミスが目立ち始めた。あの老人からの電話への怯えが注意散漫を招いたのだ。そして、電話が鳴る度に激しい動悸を感じるようになった。
事情を知らない上司からはたしなめられ、先輩からは小言をもらう毎日。老人からの電話は続いていたが、ますます打ち明けることはできなくなった。
いつしか職場に行くのが辛くなっていた。頭が回らないのだ。書類の文字も、打ち合わせで言われた内容も理解できなくなっていた。徐々に食事が喉を通らなくなり、身体を動かすのもやっとだった。
誰かの役に立つ仕事をしたいと思っていたのに、誰かの足を引っ張る役立たずになっている。消えて無くなりたいという考えが、常に浩司の思考を支配した。
灰色の毎日だった。重たい身体を引き摺りながら出勤し、働かない脳みそでクレームの電話を受け、溜まった仕事を深夜までこなし退勤する。
動悸が酷くなれば落ち着くまでトイレや倉庫に籠った。
上司は調子が悪いなら休みなさい、と言ってくれたが居場所が無くなりそうで休むことは出来なかった。消えてしまいたいのに、必要とされたかった。
ある日の休憩時間、男子トイレの窓からぼうっと灰色の風景を眺めていた。三階の窓から下を覗くと、中庭に敷いてあるレンガが目に入った。何色かのレンガが模様を描くように、規則正しく敷き詰められている。
――インターロッキングだ。
コンクリートブロックを使った舗装方法。
役所に入って初めの頃に覚えた言葉だった。
あそこに行けば、あの頃に戻れる。そんな気がして、気づけば窓から身を乗り出していた。
そこからの記憶はない。
後に母から聞かされたが、偶然トイレにやってきた先輩に助けられたのだという。
以前から浩司の行動がおかしいと思っていた先輩が無理やり病院に連れて行ってくれた。ついた病名はうつ病とパニック障害。そのまま休職し実家に戻ったが、良くなる様子が見られずせっかく入った役所を退職した。
部屋に籠ってただ眠ったり、食事を取ったり取らなかったりという日々が続いたが、半年ほど経った頃から徐々に人間らしい活動ができるようになった。母のおかげだと思う。浩司が食べるかも分からない食事を作り、毎日パートに出かける前に声をかけていってくれる。
母の支えで体調は良くなっていくのを感じていたが、訳もなく気持ちががくっと落ち込む時がある。
まさに今日はその日だった。
布団の中で寝返りを打つ。
せっかく声をかけてくれた母に返事もしないで寝ている自分に嫌悪感が湧いてくる。自分はだめな人間だ、早く起きなければ、と考えると同時に動悸がしてきた。
布団を被りながら緩慢な動きでベッド脇に置いてある銀色のシートを手に取る。
覚束ない手つきで白い錠剤を二つ取り出し、口に含んだ。病院から処方されている不安症状を抑える薬だった。枕元にあったペットボトルのお茶で流し込む。
横になっていると、徐々に気持ちが落ち着いてくるが分かった。今の浩司は母と薬によって支えられていた。
しばらくして長いため息をつき、浩司はベッドから抜け出た。小学校の頃に買ってもらった学習机においてあった眼鏡をかけると、ぼやけていた視界が明瞭になった。パジャマ代わりにしているTシャツはよれよれだ。何日も洗濯していないことに気がつく。
シャワーを浴びようと籠に入れられた衣類から下着とシャツを探し出す。実家に戻って初めの頃は、母が洗濯の済んだ衣類を浩司のタンスに収納してくれていたが、自分のことができるようになってからは断っていた。
二十代半ばで母親に服をしまってもらうのは、何となく恥ずかしかった。
L字に曲がった階段を降り、一階へ向かった。しん、としたリビングは綺麗に片付けられている。母は毎日パートに行く前に掃除機をかけたし、テーブルや床に父が出しっぱなしにした物はきちんと収納してくれた。
壁にかけられた時計を見ると十三時半を指している。冷蔵庫には母が作ってくれた朝食と昼食が、手つかずのまま入っているはずだ。
朝と何も変わらない冷蔵庫を見た母の悲しむ顔を思い浮かべ、あまり食欲はなかったがシャワーを浴びる前に何か食べることにした。冷蔵庫には卵焼きや焼鮭が乗ったプレートが入っていて、一目でこれが朝食なのだと分かった。電子レンジで温めた母の朝食プレートと共にダイニングテーブルにつく。
昔はここで父と母、兄、浩司が食卓を囲んでいた。三つ年上の優秀な兄は、東京の難関大学に入学が決まり家を出ていった。てっきり将来は官僚か弁護士になると思っていたのだが、在学中にゲームアプリの会社を立ち上げた時には驚いた。
父も同じ気持ちだったらしく、相当兄と揉めたらしい。浩司に役所に入るように言ったのは、兄の件もあったのだと思う。
昔のことを思い出しながら焼鮭をつついていると、遠くから郵便局のバイクの音が聞こえてきた。バイクの音が浩司の家の前で止まると、続いて玄関前に立ててある赤い郵便受けに何かが入った音がする。
残りのおかずを口に放り込むと、バイクが立ち去ったのを確認してから浩司は郵便受けへと向かった。
郵便受けの背面を開けると、中にはいくつかの封筒が入っていた。
――今日も駄目か。
浩司はある葉書が来るのを待っていた。一ヶ月ほど前、小学校の頃の同級生から聞かされた『幸せになれる家』の話。
その招待状が来るのを毎日待っていたのだ。
落胆した気持ちで郵便受けに入った封筒を取り出す。
かさり、と封筒の間から白色の何かが滑り落ちた。羽を広げた大きな蝶かと思ったが、よく見てみると往復葉書であることが分かった。
宛名には流麗な文字で「工藤 浩司 様」と書かれている。まさか、と思いながら葉書の返信面を確認すると、「かすみの家管理者 行」と印刷されているのが目に入った。
胸の高鳴りを感じた。いつもの不安からくる動悸ではない。
自分は幸せになる権利を得たのだと知った喜びから来るものだった。
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