異世界料理人
沢田和早
異世界料理人
それは学生向けの至極ありふれた平凡なアパートだった。
鉄骨造りの2階建て、部屋数8、間取り1K、家賃4万円、大学まで徒歩15分。
他のアパートも似たようなものだしここに決めようかと思ったら、不動産屋のおやじがこんなことを言い出した。
「この物件は少々変わっておりましてね、205号室だけ特別料金となっております」
「へえ~、いくらなの?」
「敷金、礼金、仲介手数料ゼロ。家賃は月1000円です」
安すぎる。どう考えても事故物件だ。
「ああ、誰かが亡くなった部屋ね。いいよ、そんなの気にしないから。どうせ住むのは4年間だけなんだし」
「いえいえ、誰も亡くなってはおりません。その部屋は出るのです」
出る? 幽霊の類かな。
「ああ、そういうオカルトっぽいのも大丈夫。信じていないから」
「いえいえ、出るのは幽霊ではありません。異世界の住人です。実は毎週金曜日の夜になると異世界に通じる扉が出現しましてね、そこから異世界の住人がやって来るのです」
このおじさん、頭おかしいんじゃないかと思った。本当の理由を言いたくないのだろうか。だとしても突飛すぎる。話を合わせて本心を探ってみるか。
「へえ~、面白い現象だね。異世界の住人が何をしに来るのかな」
「その扉は異世界の料理学校に通じていましてね、そこの生徒さんがやって来るのです。なんでも卒業試験のひとつに『別の世界の住人に料理を食べさせて褒められる』という項目があるらしいのですよ。ですからあなたは料理を試食して採点してあげてください」
そんなすぐバレるウソをついても仕方ないのに。まあいいや。家賃1000円の部屋で何が起きるのか興味があるし、試しに借りてみるか。
「ではそこでお願いします」
「頑張って試食してあげてくださいね」
引っ越したのは土曜日、あっという間に一週間が過ぎた。
金曜日の朝、これといって変わったところはない。
授業を終えて帰宅してもいつもと同じだ。やはり作り話だったのかと思い始めた午後9時、西側の壁の一部がいきなり扉に変容した。金属の取っ手が付いた重厚な感じのする木製の扉だ。
「う、嘘だろ」
取っ手をつかんで押したり引いたりしてみたが全く動かない。こちらからは開かないのだろうか。しばらく眺めていたら扉が開いた。
「やれやれ、ようやく試験が受けられる。待ちくたびれました」
扉から出てきたのは子供みたいに背の低い人物だった。性別はよくわからないがたぶん男だろう。手には箱を持っている。
「えっと、君が異世界の料理学校の生徒なのかな」
「はい。ここに人が住まなくなってもう3カ月です。なかなか卒業試験を受けられなくて困っていたんですよ」
「それなら別の場所に扉を作ればいいんじゃないの。この部屋にこだわる必要もないだろう」
「別世界へ通じる扉を作るのは大変な魔力を必要とするんです。成功率も低いですしね。それに言葉を通じるようにしたり、こちらの環境でも生存できるようにしたり、色々と特殊な魔力も使わないといけないので、多数の扉を作るのは基本的に不可能なんです」
言われてみればそうだな。こうして言葉が通じているのも魔力のせいか。しかし驚いた。まさかあの不動産屋のおやじが真実を語っていたとは。
「それよりもさっそく試食をお願いします」
生徒が箱から容器を取り出した。ドンブリみたいな形をしている。フタを開けると液体が入っていた。
「これは、スープかな」
「はい。私の住むゲボリン地方の最高級料理、ゲボシチューでございます」
匂いを嗅いでみる。酸味が強い。しかも臭い。見るからに不味そうだ。
「ささ、冷めないうちに早く早く」
生徒がスプーンを差し出した。気が進まないながらもちょっとだけすくって、ちょっとだけ口に含んでみた。
「ぐぇっ!」
たまらず容器の中に吐き出してしまった。不味いにもほどがある。酸っぱいドブ水を飲んでいるような感じだ。
「あれれ、美味しくなかったですか」
「口にできるような代物じゃないよ。いったい何だい、この液体は」
生徒は胸を張ると得意げに話し始めた。
「これは私の故郷に住むゲボグル牛を利用した料理です。牛に野菜や肉や魚や穀物などを食べさせ、胃の中でゆっくり消化させた後、口から吐き戻した液体と具材に調味料を合わせて仕上げるのです。動物の体温で煮込まれているので火で煮るよりもまろやかな味わいになります」
牛に食べさせた具材を吐き戻したものって、え、それって、
「嘔吐物、ゲロじゃないか!」
「はい。ですからゲボシチューです」
冗談じゃない。そんなもの食えるか。いくら異世界の料理だからってひどすぎるだろ。
「では採点をお願いします。10段階の6以上が合格、5以下が失格です」
生徒が採点表を差し出した。書かれている文字は魔力によって解読可能な状態になっているようだ。
「採点か」
言うまでもなく最低点の1だ。だが、
「お願いします、お願いします、お願いします」
生徒がすがるような目でこっちを見つめている。異世界の料理学校がどれほど権威のある学校なのかはわからないが、わざわざ別世界に扉を作って試験をするくらいなのだ。よほど優秀な料理人の卵が集められているのだろう。
「卒業すれば故郷に錦を飾れます。私の夢が叶います。お願いします、お願いします」
「えっと、もし今回不合格だったらどうなるんだい」
「次の金曜日も同じ料理を持って私が来ます。言うまでもなく今回よりもさらに手を加えて美味しさをアップさせた料理です」
「それでも不合格なら?」
「合格するまでずっと続きます、何日でも何年でも、このゲボシチューが合格するまで私はここに来続けます」
なんてこった。こんなもの毎週食わされたら病気になりそうだ。
「はい」
6に〇を付けて返した。生徒の顔が喜びに輝いた。
「ありがとうございます。お礼にこのシチューは差し上げます。全て平らげてください」
「いや、遠慮するよ。ちなみにこっちの世界のシチューはこんな感じなんだけど」
レトルトの濃厚クリームシチューを温めて食わせてやった。
「ぐぇ!」
一口食べて吐き出していた。どうやら異世界の住人とは完全に味覚が違うらしい。こうして最初の金曜日の夜が終わった。そして次の金曜日はあっという間にやって来た。
「先週は大ハズレだった。今週はまともな料理だといいなあ」
期待に胸を膨らませていると先週と同じく午後9時に扉が出現した。
「こんばんは」
出てきたのは背が高く耳が尖ったスタイルの良い人物だ。性別は不明だがたぶん女だろう。
「初めまして。あなたのような方に私の卒業試験の審査をしていただけるのは望外の僥倖でございます」
「あ、こちらこそ、よろしく」
眉目秀麗な女性と話ができてこちらもちょっと嬉しくなる。生徒は箱から料理を取り出した。
「それではさっそく試食をお願いします」
「う、うん」
とは言ったものの一気に食欲が失せた。生徒が差し出したのはアイスクリームにそっくりだ。円錐形のコーンの上にトグロを巻いたアイスが鎮座している。そのアイスの色が黄土色なのだ。
「え、えっと、このアイスはどうやって作られているのかな」
「これは私の故郷、ウンチッチ民族自治区の名産、ダップンアイスです。ウンチン羊にミルクや砂糖や卵黄などを食べさせます。ウンチン羊は砂糖を消化できないので。肛門からは甘さが凝縮された排泄物が収穫できます。それに様々なフレーバーを混ぜ合わせ凍らせて仕上げます」
肛門から収穫される排泄物、そ、それって、
「ウ、ウンコじゃないか」
「はい、ですからダップンアイスです。ささ、溶けないうちに早く召し上がってください」
仕方なくコーンを握る。臭い。ウンコの匂いがする。いや、無理だ。食えない。
「あの、見ただけで美味しそうなので、食べずに採点したいんだけど」
「それはできません。現在の映像と音声はリアルタイムで料理学校に送られています。食べずに採点した場合、即座に不合格、退学処分になります。何が何でも食べていただきます」
ううっ、まさか異世界の料理がここまで異常だったとは。後悔先に立たずとはこのことだな。
「じゃ、じゃあ、ちょっとだけ」
小指の先にアイスを付けて舐める。うっ、気持悪い。今回も盛大に吐いてしまった。舐めた量の100倍の吐しゃ物が口から噴き出した。念のためにバケツを用意しておいてよかった。
「吐くほど美味しかったのですか。よかったです。では採点をお願いします」
今回も6を付けてあげた。とても喜んでいた。そして今回も買い置きのハーゲンボーデンバニラ味のアイスを食べさせてあげた。一口食べてバケツに吐いていた。やはり異世界人とは根本的に味覚が違うようだ。
「金曜日かあ。帰りたくないな」
3回目の金曜日、アパートに戻らずネットカフェで一晩過ごした。朝9時に帰宅すると見知らぬ人物が部屋の中にいた。
「あっ、やっと帰ってきた。困りますよ、金曜日の夜はちゃんと在宅していてくれなくちゃ」
どうやら料理学校の生徒のようだ。見れば壁の扉もまだ残ったままだ。いつもなら午前零時に消滅するはずなのに。
「えっと、どうして金曜日が終わったのに君も扉も存在しているの」
「実技試験が終了していないからですよ。この部屋に賃貸契約が発生した瞬間、金曜日の扉は必ず出現し、目的が達成されるまではずっーと出現したままになるのです。そして次の金曜日までに試験が実行されなかった場合、賃貸契約は自動的に解除され、あなたはこの部屋から追い出されます」
えっ、そうなの。そんなこと言ってたかな。念のため契約時に渡された重要事項説明書を読んでみると確かにそのような記載がある。それが格安家賃1000円の条件なのだ。
「料理学校は不動産屋と契約してそれなりの報酬を支払っているのですよ。だからこそあなたもタダみたいな料金で部屋に住めるというわけです」
くそ、そうだったのか。あの不動産屋、きっと法外な報酬をふんだくっているんだろうな。それなら家賃もタダにしてくれればいいのに。
「わかった。待たせて悪かったね。じゃあ試食を始めよう」
「はい、どうぞ」
箱から容器を取り出した。安心した。どこからどう見てもナスの漬物にしか見えない。
「これは、どんな料理なのかな」
「私の故郷アマカラ辺境地の特産品、ナンスの漬物です。これがあればご飯が何杯もいけますよ」
ようやくまともな料理が出てきたようだ。指でつまんで口に放り込む。
「うぎゃああー」
一口噛んで吐き出した。口の中が焼けるように熱い。キッチンに行って蛇口から直接水を飲む。
「うはは、そんなに水を飲みたくなるくらい美味しかったのですか。光栄です」
「そ、その漬物、少し味が濃すぎるんじゃないのか」
「ご飯の友ですからね。濃い味付けは当たり前です。このナンスという野菜は非常に溶解度が高く、100gのナンスに1tの塩を溶かし込めます。しかも溶け込んだ塩は重量が1万分の1に減少するという、質量保存の法則を無視した魔力まで持っているのです。今回用意したナンスには塩500kgと唐辛子500kgを溶かし込んであります」
総重量1tの塩と唐辛子だと。致死量を超えているじゃないか。この漬物1個で何人殺せるんだ。
しかも物理法則まで超越しているとは。こいつらの住む異世界ってどんな世界なんだ。想像するだけで怖ろしくなる。
「塩味の後は甘い羊羹などいかがですか。こちらは500kgの黒糖と500kgの水飴を練り込んであります」
「いや遠慮しておくよ。試食は漬物だけでいいんだろう。はい、採点」
今回も6を付けてあげた。もちろん大喜びだ。ついでに買い置きの激辛カレーラーメンを食べさせてあげた。「このスープは水ですか? 実に味気ないですね」と言って帰って行った。やはり異世界の住人とは根本的に味覚が違うようだ。
「あ~、また金曜日か」
それからも地獄のような試食の日々が続いた。
「白カビだらけの腐敗肉の刺身、生きた蛆虫添え」
小さな断片を真っ黒になるまで焼いて食べた。ほとんど炭なのでなんとか食べられた。
「硬度がダイヤモンドの100倍、カチカチお煎餅」
表面を舐めるだけで勘弁してもらった。噛んだら間違いなく歯が折れる。
「マグマを直接使用した熱々溶岩焼き、摂氏1000℃」
料理を入れると容器が溶けるため魔力を使って空中に浮いていた。少量を魔法で分離させて水をぶっかけたらただの溶岩になったので、これも表面を舐めるだけで採点。
毎週持ち込まれる料理はどれもこれも異質なものばかりだった。彼らは異世界の住人というより別の宇宙の生命体なのではないかという気さえしてきた。
「すみません、別のアパートを紹介してください」
夏休みが始まったある日、不動産屋を訪れた。もはや限界だった。
「はいはい。ご苦労様でした。あなたは相当辛抱強い方のようですね。4カ月以上耐えられた人は滅多にいませんから。これまでの最長記録は4年ですが、それでもよく我慢してくれました」
最長記録が4年だと! よほどの変人か貧乏な学生だったんだろうな。
「この時期だと優良物件は残っていないでしょうね」
「いえいえ、こうなることを見越してキープしてありますよ。敷金、礼金、仲介手数料ゼロ。1Kで家賃3万円です」
「そこにします」
こうして新しいアパートに移り住んだオレはようやく平穏な日常を取り戻すことができた。白飯に味噌汁とたくあん。こんな質素な食事でも心は十分豊かになれる。もうご馳走はこりごりだ。
異世界料理人 沢田和早 @123456789
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