いつか届いてほしい覚え書き

かぬち まさき

第1話 移民

これは、私が少年期〜青年期を迎えるにあたって経験した事実である。

人の生涯は、どんな人でも一冊分のストーリーがあると言われる。

間違っていないだろうし、私の経験もそんな数多くのストーリーの一つである事を確信している。

ありふれた経験であるかも知れないが、それぞれのストーリーに優劣があるはずもなく、誰の人生が素晴らしく、一方で誰の人生が悪かったという事はない。


人はみな、生まれながらに使命を背負っている。一見、何も感じていない様に見える人間にも、バックグラウンドがあり、繋がりがあり、その全てが現在を形作っている。

私が思うに、おそらく歴史とは、そう言った人々の想いや願いが受け継がれて、形成されていくものだと、そう信じていたい。


私が生まれたのは、地方の人口30万人程の都市であった。

周り一面が田畑に囲まれた…と言うほど田舎ではなかったが、ビルやオフィスに囲まれた街でもなかった。

住宅地の並ぶベッドタウン、ありふれた街並みかも知れないが、一般的にどこにでもある街であった。


そんな私の人生で、初めて違和感を抱いたのは、小学校に上がった時であった。

「おじいさん、おばあさん」と言うものがわからなかったのである。私の家では、祖父母の事を「ハルムニ、ハルモニ」と呼んでいた為、周りの同学年がそう呼ばない事が奇妙に感じられた。


学校生活が始まると共に、奇妙な違和感が増えて来る。「おせち」「お盆」「着物」…周りが当たり前のように知っているものが、一体どんなものかイメージ出来なかったのである。

あれは確か、小学2年の頃であったと思う。

私は思い切って、疑問に思って来た事を母親に尋ねてみた。

母親も、特に気を使う事もなく私に答えてくれた。

「私たちは、韓国人なんだよ。」


その一言で、幼少の私の疑問は次々に消えていった。ああ、僕は他のみんなと違う民族だから、みんなとは知ってる事が違うんだ。

幼少期の私は、その特異性について深く考える事もなく、どちらかと言うと、人と違った特別性に優越感を覚えていた。

自分が選ばれた人間だとは思わなかったが、普通の人間ではないんだぞ、みんなの知らない事を知っているんだぞ、と子どもじみた優越感であった。


両親の教育は、取り立てて反日教育ではなかった。日本のマンガ、アニメ、ゲームで遊んだし、日常生活のレベルではごく普通の日本人の子どもと変わらない生活を送っていた。

しかし、子どもながらに、両親や親族が日本に対して好意的でない事も感じていた。


特に母親は、邦楽邦画はほとんど視聴しなかったし、聞かされたのは洋楽ばかりであった。

次第に、常日頃ではないが日本を嫌う理由も話してくれる様になってくれた。

私は、私の民族に起こった出来事や、仕打ちをリアルな経験を通じて知る事となった。


だからこそであったのか。

私が幼い頃から言われ続けた事は、「絶対に韓国人だと名乗ってはいけない」事であった。

韓国人であるが故に、どんな偏見、差別を受けてしまうか分からない。

それを体感してきた親世代であったから、子ども世代に繰り返させたくない気持ちはよく分かっていた。


そんな過程を経て成長した子どもであったから、私は嘘をつくのが上手かった 。

厳密に言うと、本心を隠すのが非常に上手かった。

後々の話ではあるが、私が国籍をカミングアウト出来たのは高校2年の時である。

だから、未だに幼少期の友人には、私が韓国人だと言う事を知らない友人もいる。

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