最終話

白い光に照らされた地面が見える所まで下ると、Aがこちらに気付き出迎えてくれた。


そして早々に下から撮った映像を見せてくれたが、そちらでは「四十八段」を上っている女の後ろ姿が二つ残っていた。


追い打ちとばかりにBも自分で撮ったものを見せてきた。

(頂上での私の落ち込みぶりを見て、確認してすぐには見せづらかったようだった。)

私は途中で見るのをやめたが、こちらの動画では自分たちが数えた通り、「四十七段」を踏んでいる様子が収められていた。



Aは帰り道、おばあさんから聞いた、「神隠しの一段」にまつわる言い伝えを教えてくれた。


この神社には鳥居が二つあり、一つ目の鳥居は参道の途中に、二つ目の鳥居はその石段を登り切った後に構えられている。

鳥居は人のいる場所と神様がおわす場所の境界であり、それをくぐるごとに神の世界に近づいていくとされている。

普通は人間からその敷居を跨ぎ、神の世界にお邪魔するものだが、この場所に奉られた神は人懐こくせっかちなため、一つ目をくぐる気配を感じると、わざわざ参拝者を出迎える。

そうして人間は、凡そ「石段一つ分」の間神域へ入り、束の間の歓待を受けた後、常世に戻っていると昔の人は考えたのだという。


伝承という性質上立証が困難という点は置いておくとして、推察にせよ創作にせよ、理由付けとしては合点がいった。

ただ、私が知りたかった情報はなかった。


仮にこの説を正とするとして、実際、その一段を踏んだ私たちがどのような状態だったのかは語られていないし、一瞬でも「あちら」側に招かれた人間が、元の世界に戻ったとき、どんな影響があるのかはわからないままだ。


Bも同じようなことを疑問に思ったらしく、Aに尋ねると、自分も詳しくは知らないが今まで上った人は何ともないから大丈夫、とあっけらかんと笑うだけで私とBの不安感は右から左に受け流された。

むしろ友人が引いていることすら、まるで気付いていない様子だった。


きっとAはこの現象をごく自然に受け入れ、完全に慣れ親しんでいるのだと思う。

ここに誘われたときもそういった雰囲気は薄々感じていたが、彼女はこの不思議な現象に対し、少しも恐れたり近づくのを躊躇ったりしてはいなかった。


私たちにとっては異常でも、Aにはきっと普通のことなのだ。

そういったギャップ自体は他人と関わっていればよく見ることだが、感情の根源に触れるような内容でここまで違うと、流石にその在り方に苛立ちや拒否反応を覚えた。


風土を美化するために都合の悪い事実だけが意図的に隠されているのではないか、とつついたらたぶんAは気を悪くするだろう。


そんな意地の悪い考えすらよぎったが、この旅行の雰囲気が(これ以上)盛り下がるのは嫌だったし、不毛な議論を続ける気もなかった。


…疲れた。

昨晩、もっと考えて返事をするべきだったと今更ながら後悔した。



十三時を過ぎた頃、私とBはAと彼女の家族にお礼を言い、家を出た。

バス乗り場に向かおうとキャリーバッグを引きはじめたが、Aのおじいさんが車を出してくれており、電車の最寄り駅まで送ってもらえることになった。


お言葉に甘えてワゴンの後部座席で揺られていると、付き添いのAが今朝の話を振ってきた。おじいさんはそれを聞き、あの時のAと同じように朗らかに笑いながら、よかったねぇと答えた。


よくもくそもあるかと内心毒づきながら、とりあえず愛想笑いだけして返した記憶がある。


高齢の人がそうなのであれば、やはり地元の人間は何十年も前からずっと「Aと同じ」なのだろう。


否定する気は毛頭ないが、その風習になじめない身からすると、

あの神社と同じく、理解の範疇を超えた彼らも、十分に「怪」の一部のように感じた。


そして私たち異邦人はAに見送られ、ちょうど「一段」分の隔たりを感じながら、その地を後にした。

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