第34話 下巻321ページより

ーーーー「知らないわ」

ーーーー アニエスは嘯いた。

ーーーー「そう」

ーーーー わたしは踵を返した。彼女がシラを切ることは最初からわかっていた。それなのになぜ確かめてしまったのだろう。



「知らないわ」


 私は嘯ぶく。私より薄いあの緑の目で、何もかもわかっているんだろうとは思いながら。


「そう」


 名前もない姉は、ゆったりと私に背をむけた。翻ったスカートの舞い方さえ優雅に見えた。名前ももらえなかったくせに、妖精の祝福もないのに。閉じ込められて、自由を奪われ、踏みつけられるような生き様でも気高さを残した私の半身。これで似てなければ私はこんな思いをしなくてすんだのに。彼女は私にそっくりだ。酷い目にあってきたのにそうとは少しも見えずに、優雅で美しく優しい存在。姉を蔑みながらみんな姉を褒める。


 私はいつも言われてきた。いい子にしていないとお姉さんみたいになっちゃいますよ、と。閉じ込められて、自由がなくて、存在理由を否定される。痩せこけて、平民より粗悪な服を着て、虐げられる。私はそんなふうになりたくなかった。


 私は妖精の祝福の証を持って生まれた。おでこにある滴型のアザだ。でも妖精が見えないから、ただのアザなんじゃないかと思っていた。でもただのアザって知られたら天に還されていたというから、はっきりとは見えないけれど、明るい光が時々見えると言っておいた。

 それが姉と顔を合わせた日に、初めて妖精を見ることができた。私の周りにも羽を持った小さな人型をした妖精がいっぱいいたけれど、姉の周りにはさらにいっぱいの妖精がいて、それよりももっと高位な存在だと思われるものが姉を守っていた。姉は見えていないみたいだった。妖精たちはそれが残念で仕方ないみたいで、髪をひっぱたり、服を摘んでみたりしては、高位の存在に怒られていた。妖精より上の存在。恐らく精霊だろうと私は思った。


 姉に精霊がついていると知られたら、立場が逆転して今の姉のように蔑まれるかもしれない。それが何より怖かった。それから私は何でもがんばるようにした。ただのいい子では簡単に姉に覆されてしまう。勉強もお稽古ごとも作法だって。同い年の子には負けないぐらいだ。優秀にしていたからか第二王子様の婚約者になる道が開けた。お父様もお母様も喜んでくれた。


 全ての始まりは誘拐事件だった。第二王子様の婚約者に私の名前があがったことで、第一王子を王太子に推す人たちが私を亡き者にしようとした。我が家は侯爵家。私が婚約者になったら相応の後ろ盾が第二王子様にできるからだ。

 私はストリートチルドレンに助けてもらってことなきを得た。第二王子様のレイモンド様は私が誘拐されたと知ると私を探すのにあれやこれやと尽力してくださった。この人の婚約者になれて良かったと思った。けれど王子様の優しさは本物ではなかった。


 彼は私を囮にした。私に犯人を捕まえるために協力してほしい、安全なところにと言われ、ストリートチルドレンに匿ってもらった。私の家に裏切り者がいるらしい。そのために情報が流れ、私は誘拐されたのだ。私は殿下を信じ切っていた。チルドレンたちと一緒に街に出かけたらそこでまた誘拐された。そして耳を疑うことを聞いた。私がここにいると探し出したのはレイモンド殿下で、それをお父様に伝えにきたのを情報源のメイドから聞いたのだと。殿下は私の家に裏切り者がいるのもご存知だし、ここに隠れているように指示されたのも殿下だ。

 殺されそうになったところで自警団が流れ込んできて私は助かった。殿下がいらっしゃった。君を誘拐したのは第一王子の手のものだったと誇らしそうに言った。その時は小さかったから囮を認識できたわけではない。ただ、第二王子様にとって私はとるに足らないもので、侯爵家の娘というお人形があれば、私の思いも、願いも、何もかもいるものではなかったんだと思った。妖精の祝福の印があれば、ただそれを持つだけで生きることを許可されるように、中身はどうでもいいのだ。扱いやすいいい子ならば、それがいいのだ。


 私は理解した。いい子の私が家から出られたとしても、またこの王子のいい子にならなくてはいけないのだと。手が震える。こんな思いをなぜしなくてはいけないのかわからなかった。でも逆らわなかった。逆らえなかった。


 私はいい子を演じ続けた。だが、王子は勝手にひとりでますます壊れていった。

 第一王子様は幽閉されたが、最高刑は下らなかった。当たり前だ。首謀者って13歳がそんなことを考えてするわけがない。いや、12歳の殿下は婚約者を囮にすることを思いついたのだからそうとは言い切れないのかもしれない。

 幽閉されるだけならいつか出てくるかもしれない。出てきたら仕返しをされるかもしれない。王子はその考えに取り憑かれていた。5年後、第二王子様の後ろ盾の重鎮が亡くなった。たった1人が亡くなっただけで、情勢は大きく傾いた。第一王子様の幽閉が解かれることになった。


 殿下がおかしくなった。第1王子が自分を陥れようとしたのを覆すシナリオを作り、嬉しそうに私に見せる。こういうことには頭がまだ働くんだと冷めた気持ちで見ていた。

 目は落ち窪み、以前の溌剌としたキラキラした殿下の面影はなかった。すぐに癇癪を起こし、ベッドの中で過ごす時間が長くなった。

 病まれてしまったのだ。この方が王になることはない。いや、なられてはいけない。


 私は第一王子様の幽閉された塔に赴いた。

 鉄格子ごしの殿下は、第2王子様が健康に成長されていたらこうなるだろうなと想像していた姿で、なぜか涙がでた。私は後悔していた。レイモンド様が病んでいくのをどうして黙ってみていたんだろう。どうして何もしなかったんだろう。


 第一王子様は長いこと幽閉されていたのに、心身ともに健康だった。恨み言は言われたけれど、心底レイモンド殿下を恨んでいるわけでもなく、受け入れているみたいだった。

 私は打ち明けた。第二王子様が病んでいるのだと。それを王様に進言するつもりだと。


 第一王子様に尋ねられた。なぜそれを自分に言いにきたのかと。

 聞かれて私も病んでいたのだと気づいた。こんなところに長いこと閉じ込める片棒を担いだのに、私は助けを請いにきたのだ。確かに計画は第一王子様に助けてもらう必要があるが、頼める立場でないと頭がまわらなかった。私はひとりで抱えていることが辛くて、そしてこれから成し遂げることの意味を誰かに知っていてもらいたくて、第一王子様を巻き込もうと思ったのだ。そう理解すると、はらはらと涙がこぼれた。

 でも、どうしても第一王子様を巻き込む必要がある。

 第二王子が病んでいることが公表されたら、国は大混乱に陥るだろう。王太子には第一王子様がなるだろうが、王様の兄弟でいまだ王位を狙っているものもいる。第二王子が生きている限り、第二王子の病気が治ったら王にという勢力も諦めたりしないだろう。国が荒れれば他国から攻められるかもしれない。そんなことになったら一番被害を食うのは国民たちだ。

 だから被害が一番少ないのと思うのは……。


 王には病んでしまったことを話し、国外で療養することを許してもらう。

 そして旅立ちその途中事故に遭い、王子は亡くなったことにする。

 第一王子様は幽閉が解かれ王太子になるだろう。立場が弱いだろうから、自分の双子の姉を婚約者にしてもらえないだろうか、と提案した。

 殿下に尋ねられた。レイモンドのことが好きなのだな、と。

 私は首を横にふった。

 これは復讐なのだ、と。私自身を無視して強いてきた人たちと、それにのってしまっていた自分自身への。


「それでお前の何が救われるんだ?」


「自分への戒めです。来世では幸せになろうと思って。今度はちゃんと自分で考えて行動するんです。自分で考えてやったことなら、どんな未来になっても、きっと後悔せずにいられるだろうから」


「……僕も同じだな。早々に諦めてしまった。流されるように生きてきた。僕……私も戒めと自分のために復讐をしよう」


 第一王子様は第二王子の最初の筋書き通りにいこうと言った。第一王子は病んで第二王子を陥れようとして一生幽閉されることになる。外国のサナトリウムに行く途中に事故に遭い亡くなることにする。自分は第二王子になり代わる、と。入れ替わっても多分誰も気づかないだろうと、哀しそうに笑う。それが罰であり、第一王子を王太子にしたかった人にも、第二王子を王太子にしたい人たちへも復讐になるだろう、と。


 私には姉と一度向き合って話し合うように言われた。それが自分が提案を受ける条件だと。ずっと塔にこもっていられたのに、姉のことも全てご存知のようだった。どちらかが、第二王子役の第一王子と婚約をし、どちらかが第二王子について外国のサナトリウムに行く。それがどちらでも自分は構わない、と。



 私は姉と初めて向き合って話し合いをした。

 恨み言もいっぱい言った。私がどれだけ姉に脅かされていて捻くれたのかを話した。姉も私を憎みたかったと言った。存在を肯定され、みんなに愛されるあなたが羨ましかったと。自分がスペアとして暗殺者のもとに差し出されそうになったときは、成り代わろうと思いついたことも。でもできなかったと、あなたは妹だから、と言われた。


 もっと早くこうして自分の考えを言いあっていたら何かが変わっていたかもしれない。幸せな時を過ごせたのかもしれない。それは私たちに共通する思いだった。でも今までを後悔するほどの話し合いができたのは、二度と会えなくなる直前のことだった。自分の罰だと思った。だから願うことにする。これからはちゃんと自分で考えて自分で答えを出していくから。流されて適当に生きたりしないから。だからどうか、これからと来世では後悔しない道を選べますように。


 私たちはいっせいのせで、嘘で固められた王太子妃になるのか、一生日の目をみずに養生しながらひっそりと暮らすのか、どちらを選ぶか言い合った。かち合わなかった。


 その日、私たちは手を取り合って眠った。最初で最後の姉妹で過ごした夜だった。

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