16. 血戦

『捕獲網、用意!』


 メガホン越しの嘉部井さんの号令を機に、シャパリュを取り囲むように捕獲網班が巻き上げ機を引っ張り配置に着く。前回の襲撃の際と類似した配置。恐らく、様子見としての導入だろう。


 シャパリュは屋根上をうろつきながら、周囲を見渡す。咄嗟の回避のためか、体制を若干低くしていた。両者ともに、臨戦態勢は整っていた。


『捕獲網、発射!』


 合図と同時に、周囲に響き渡る発射音。大量の投網が弧を描いてシャパリュ目がけて飛んでいく。頂点についた途端、網は広がり、その巨体に向かって降下する。


 が、その時だった。


 網が降下するより早く、シャパリュは上方へと空高く跳躍したのだ。


「なっ……!」


 僕は目を疑った。実に衝撃の出来事だった。


 シャパリュが跳んだこと自体も衝撃だったが、何より恐ろしいのは、前回の襲撃の際に受けた攻撃を学習し、正確に対応したことだった。猫にこれほどの記憶力が備わっているのだなんて。改めて、対峙している相手の知能の高さを実感する。


 そして、これより更に恐ろしいことが一つ。

 この事態を、上層部が完全に『予測』していたことだった。


『今だ! 麻痺弾班、発射!』


 シャパリュが前の住宅の屋根上に着地しようとした、その時。見計らったかのように真加部さんの声が響く。その号令に応じて、即座に、直線的に進む極小の銃弾がシャパリュを空中で取り囲む。策士の怪猫も、一動作に生じる僅かながら決定的な隙には、流石に抗えなかった。その強靭な肉体に、大量の麻痺弾が接触する。


 流石の肉体の硬質さに、いくつかの弾は容易く弾かれる。しかし、首元に進んだ二発ほどの銃弾は、当たり所がよかったのだろう。弾かれることなくめり込んだ。


『ぐるぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!』


 苦痛に悶え、シャパリュは雄叫びを上げる。片前脚を上げて、全身を小刻みに痙攣させる。たった二発の着弾でも、目を疑うほどの効力を発揮していた。


 事前に説明されていた通りの展開だった。


「さ、流石は猟友会……」


 僕は思わず言葉を漏らした。


シャパリュが回避した場合、県の猟友会から依頼を受けた狙撃手が数名、周辺の住宅から狙撃を行う手筈だったのだ。結果、見事に高知能の猫を策に嵌め込むことに成功した。


『よし! 次! 捕獲網班二号隊、準備!』


 間もなく、博士の指示が再び飛ぶ。すると、一号隊と入れ替わるように巻き上げ機を引っ張る二号隊が配置につき、麻痺しているシャパリュを取り囲んだ。百発百中で網に捕らわれると、誰もが信じて疑わなかったことだろう。


『捕獲網班二号隊! 発射!』


 号令と共に、二度目の投網の射出が為される。大きさは変わらない。しかし、先程よりも更に多くの網が宙を舞い、シャパリュ目がけて覆い被さろうとした。


 しかし、やはり一筋縄ではいくはずがなかった。シャパリュは網が最高点に到達するより先に、痺れてまともに動けないはずの巨体を横に転がした。そして、網がかかる寸前のところで屋根上から転げ落ちる体で身を投げ出した。間もなく、一軒家のすぐ横で土埃が轟音と同時に巻き上がる。


 僕はすぐに察した。落下地点に、捕獲網班二号隊が何名か残っていたはずだ。それに、転げ落ちた弾みで、周辺にあった住宅が一軒、半壊していた。たしか、狙撃手の人は周辺の住宅から狙撃していた。まさか、あの住宅じゃないだろうな。


 そんな不安が新たに生まれた中で、また一つ、衝撃の出来事が発生する。


 なんと、地面に落ちたシャパリュが麻痺して動かない四肢のことなど気にも留めずに、本能のまま腹這いで動き回り、周囲の人間を喰らい始めたのだ。


『うわあああああああああああ──ぎゃ』

『く、くるな──がへ』


 悲鳴が断末魔に一変する。


 自家用車がボディを凹ませ、転がる。


 シャパリュの身体が掠った家が、半壊する。


 這いずり回った痕跡には、赤い液体が伸びているさまが点在していた。


 ……コイツ、学んでいる。


 前回の一件で、自分と相対する人間たちが己の爪の対策が施されていることを、学んでいる。実際、今回動因された部隊は全員防刃チョッキを着用している。にも関わらず、犠牲者は増えている。爪ではなく己の巨体、そして顎を活用することで、確実に獲物を仕留めているんだ。


 ああ……結局、あの時と同じだ。


 やっぱり、先日の二の舞になるだけなのか? 犠牲が増えていく様子を、ただ爪を噛んで見ていろというのか? やっぱり、駄目だ。こんなの、見るに堪えない。


 しかし、そんな状況でも作戦は続行されるようだった。


 その表明として、画面越しに──いや、何なら車外からも、ヘリコプターのプロペラの音が響いてくる。……あの日、真理ちゃんが言った通りだ。どんなに多くの犠牲を出したとしても、今日を以って意地でも闘いに終止符を打つ気だ。


『総員、目を瞑れ!』


 嘉部井さんは叫んだ。


 それから一呼吸置いたタイミングで、画面が白で染まった。


 僕は車窓から住宅街の方角を見た。視線の先で、白昼の空の下でもはっきりと見て取れるほどの白光が広がっていた。間違いようがない。あれはヘリから投下された特注の閃光弾だ。


 すぐに察する。計画は、これを機に第二フェーズに突入した。


『うぐああああああああああああああああ!』


 白に染まった画面から聞こえる、シャパリュの悲鳴。

 次いで、嘉部井さんの雄叫びが轟く。


『ヘリコプター班! 捕獲網投下!』


 この号令と同時に、ドローンのカメラを染めた白が晴れ始めた。


 かと思うと、怯んで動作を止めていたシャパリュに向かって、一本の巨大な網が投下される。あの網……ヘリから落とされたものか。


『ぐるああああああああああああああああ!』


 網が巨体に覆い被さったのと同時に、シャパリュの悲痛な声が木霊した。電流と火花が網から飛び散っており、その凄まじいまでの電圧の高さが窺えた。


 続いてもう一本、重なるように新たな網が投下され、覆い被さる。その電圧と重量も相まって、あまりの激痛に悲鳴の勢いが弱まりつつあった。動きも鈍い。視界も今なら効いていない。


『よし! 麻酔弾班、麻痺弾班! 総攻撃だ! 撃て!』


 嘉部井さんの叫び声。同時に周囲から銃弾の発射音が一斉に鳴り響く。目視できる程度の大きさをした麻酔弾、そして目視できない極小の麻痺弾。その両方が対象へと向かっていく。


 今度こそ、命中するものだと思っていた。

 しかし、相手はどこまでも、生に執着していた。


 明らかに見て取れるほどの巨体は、画面の中で一瞬にして……姿を消した。


「な──?」


 僕は目を、ドローンのカメラの不調ではないかと疑った。けど、他の映像は変わらないのにシャパリュだけ消えているなんて、そんな不具合、データの改竄ぐらいしか聞いたことない。よく目を凝らして見てみると、二重に重なっていた網が徐々に地面に下がっていくのが分かった。


「シャパリュ……身体を縮小させて脱出したのでしょう」


「何だって⁉」


「網の網目は細かいはずですが、猫はその軟体さゆえに狭い場所を自由に行き来できますし、おまけに通常時の矮小な状態でも爪の鋭利さは健在です。シャパリュだったら、やり兼ねないでしょう」


 少し焦った様子で、真理ちゃんはそう言った。


 物音がして映像を見返すと、確かに数名が網とは別方向に走っていくのが見えた。画面越しからでも分かるその慌てようから、真理ちゃんの憶測が的中したことが分かった。


 その説を更に立証するかのように、最悪な事態がまた起こった。


「ちょっ……見てあれ」


 異変に気づいて、僕は画面の映像の一点に向かって指を差す。


 矮小のシャパリュが後を追う人の群れの中に入り、飛び回り、鮮血を飛び散らせていた。身体は駄目だと分かっているのだろう。だからか、首を狙っていた。人の群れは、血潮を吹き上げながら次々とその場に倒れていく。段々と、その数を減らしていった。


 おかしい、シャパリュは目をやられているはずなのに、あの光をまともに受けているはずなのに、どうしてあんなに俊敏に動き回れているんだ? どうしてあんな正確に人の首を引っ掻いているんだ? あまりにも、おかしすぎる。おかしすぎるよ。


「……猫の高い聴力と、シャパリュ特有の本能によるものでしょう」


 呆然としながら、真理ちゃんはおもむろに語り始める。


「猫の聴覚は、人間の約八倍に及ぶと言われています。それに、今のシャパリュは大量に消費したエネルギーを補うべく、血を欲しているはずです。その狩猟の本能と、猫特有の優れた聴覚を頼りに、人を欲求の赴くままに、殺しているのでしょう」


 四肢の感覚が戻ったのが問題でした、と彼女は最後に付け加えた。


 再び画面に視線を戻す。シャパリュは走る最中でアスファルトに飛び散った血を舐め、僅かながらの回復を図っていた。生存した人員が拳銃でその背中を狙うが、怪猫は背中に目が付いているかのように、すぐに横に跳んで回避する。攻防戦を繰り返す一同は、やがて住宅街に隣接する公園に辿り着いた。


 十分な返り血を舐められたのか、視界の自由が利くようになったのか、シャパリュは公園の平原で再び巨大化する。身体を膨張させ、牙と爪をギラギラと光らせ、ここにいる者全員嚙み殺すと言わんばかりに咆哮する。


『でかした、お前ら! よくぞここに誘導した!』


 その途端、メガホン越しの声が聞こえたのと同時に、公園をパトカーと眞柴研究所の車それぞれ数台が取り囲んだ。その中から、麻酔弾や投網の巻き上げ機、防弾盾を装備した男たちが一斉に下車し、戦場へと走っていった。


『よし! 盾、一斉に前へ! 背後に干潟がある! そこに押し出すんだ!』


 防護盾を装備した人は全員、シャパリュに向かって並んで突撃する。


『捕獲網班は出口を塞げ! ヤツが公園から逃げ出しそうになったら、射出して意地でも食い止めろ!』


 その指示を受け、巻き上げ機を持つ人は全員、公園の出口に該当する場所へと移動する。


『狙撃班は、射程範囲内に移動! ヘリコプター班は、上空で待機! いつでも攻撃できる準備をしろ!』


 嘉部井さんの号令のもと、全員が持ち場に着く。


 僕は画面を見てすぐに察知した。この隊形、第六形態だ。一から五までの全ての形態が通用されなかった場合、もしくは想像より遥かに多く犠牲者が出た場合に移行する最終手段。総員を上げてシャパリュの無力化を狙う、強硬手段だ。


 駄目だ、そんなことしたら。そんなことしたら、みんな……無駄死にしてしまう。


 博士も真加部さんも、どうして切羽詰まった途端に血迷った行動を取ってしまうんだ。どうして一つの目的のために多くの犠牲を費やすんだ。こんなの、もうたくさんだ。


「光田さん!」


 僕は車の運転手──光田さんに声をかける。

 僕と真理ちゃんの話に耳を傾けておきながら、何の反応も示さなかった、僕らの監視役に。


 彼に向かって、懇願した。


「お願いです! どうか僕たちを現場へ連れて行ってください!」


「……申し訳ありません」


 ルームミラーの向こうで、光田さんは険しい表情をする。


「それはできない相談です。私は、嘉部井さんの指示があるまで、ここを動くことはできません」


「何故ですか?」


 僕の問いに、彼は目を伏せる。


「……シャパリュがあなた方二人に抱く『家族愛』とやらが、未知数だからです。眞柴さんも言っていました。シャパリュが二人のいずれかを目の当たりにした時、不可解な行動を取るのだと」


 不可解な行動……? 逃走したり、動きを止めたりってことか?


 いや、言葉の響き的に何か違う。光田さんは、一体何のことを言っているんだろう。


「あとは、あなた方の憶測通りです。あなた方二人が万が一、ヤツに殺されてしまったら、それこそ打つ手が無くなります。良いですか? あなた方はここぞという時まで耐えて頂きたいのです。どうか……お願いします」


 そう言って、彼は俯いた。


 光田さんとしても、苦渋の決断なのだろう。本心では一刻も早く部下や嘉部井さんを助けに行きたいだろうに、命令に逆らうことが許されないゆえに、何もできずにいる。会って数日でも分かるほど真面目な彼だったら、尚更辛いことだろう。


 でも、彼は本当にそれでいいのか?


 ここまできたら、僕が駆けつけたい云々の問題じゃない。

 だって、もし命令に従うことだけが本望なら……そんな辛い表情はしないはずだ。


「……光田さんは、どうしたいんですか」


 小さく、僕は問うた。

 運転席の光田さんは、何も答えずにいた。


「……あなたが苦楽を共にしたであろう仲間が、苦しい思いをしている。今、ここでもし助けに向かえば間に合うかもしれない命が、儚く散っているかもしれないんです。あなたは、それを見て見ぬふりをするんですか?」


「ち、違います! ぼくは──私は……」


 ほら、自分でも分かっているはずだ。

 一人称が「僕」になるほど動揺している時点で、明らかじゃないですか。


「……わたしも、自分の気持ちに嘘を吐いていたんです。今の光田さんと同じように」


 僕の隣で、言葉を一つ一つ選ぶように、たどたどしく真理ちゃんは言った。


「でも……間違っていたんです。もしこのまま自分に嘘を吐き続けていたら、わたしはわたしじゃなくなっていた。そうなる前に、武弘さんが教えてくれたんです。だから、今のわたしがあるんです」


 言葉を続けながら、彼女は身を乗り出した。


「光田さんもそうですが、今わたしと同じ過ちを起こそうとしている人が、現場にいるのです。これ以上民間人からの犠牲を出さないために、ここでシャパリュを倒さないと、という使命感で周りが見えなくなっている人が。それを止められるのは、あなたしかいないんです」


 真理ちゃんの力説が、ほんの少しだけ、光田さんの表情を変えた気がした。

 最後の一押しにと、僕は身を乗り出す。


「重ねてお願いします! これ以上の犠牲を出さないために、そして自分自身のケジメをつけるために、力を貸してください! お願いします!」


 そう言って、深々と頭を下げた。


 しばらく車内に流れる沈黙。

 流石に駄目かと、そう諦めかけたその時。


 パトカーのエンジン音が、車内に響き渡った。

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