9. 急行
乗り込んだ車は、ジェットコースターのような速度で道路を爆走していた。
エンジンが唸る。タイヤの擦切る音が聞こえる。車内が激しく揺れる。警察に見つかったら問答無用で牢屋行きだろう。それほど荒っぽい運転で、現場に急行していた。
後方からも同様の音が聞こえてくる。恐らく博士の乗る軽バンだ。出発直前、研究員への指示を聞く限り、運転は部下に任せて自分はタブレット端末で状況確認、といったところだろう。あちらの運転も、十分荒っぽかった。
隣に座る真理ちゃんは、蹲って震えていた。その痙攣は、家族がまた人を殺めている恐怖と、これから家族と戦う不安、その両方によるものだろう。僕にできることは、その背中をさすることぐらいだった。
頼む……できるだけ被害が少なくあってくれ。堪えてくれ、うみ。
無力な僕は、後部座席でそう祈るのだった。
今から、十分前の出来事だった。
「えっ? 僕も同行するんですか?」
博士から出された指示に耳を疑い、僕は思わず聞き返してしまった。その裏では、研究員たちがあれやこれやと、テント中を駆け回っている。
「でも、さっき現場には行くなって……」
「事情が変わったのだ。それも最悪な方向に、な」
黒い手提げ鞄にノートパソコン、タブレット端末、ファイルなどを詰め込みながら、博士は言った。
「奴は今、我々の予測しない行動を取っている。それも奴にとって不利でしかない行動を、だ。悪知恵の働くあの怪猫が、自分の姿の見られやすい昼時に狩りを始めたのだ。とち狂ったか、何か別の思惑があるとしか思えないのだ」
自分の所持すべき全ての物を詰め終えてか、不意に彼は頭を上げる。
「そこでだ。本来、最終手段として用意していた『家族愛作戦』を急遽実行することとしたのだ。できる限り使いたくなかったのだがな。何故なら、失敗するリスクが私の予測の中で極端に高いからだ」
「家族愛作戦……? 一体、どんな作戦なんですか?」
「詳細は後で部下が説明してくれるだろう。私は今、それどころじゃない。あ、書類を見ても無駄だからな? そこにはあえて記載していないんだ」
そう言い残して、鞄を片手にテントの出口へと去っていった。
何が何だか分からない。混乱するのみだったが、とりあえずみんなの手伝いをしようと研究員のもとへ駆け寄った。そして間もなく、車へと急ぎ乗り込むのだった。
「それで、その『家族愛作戦』と言うのは?」
状況的に真理ちゃんには訊けないと判断した僕は、助手席の研究員に質問した。彼はタブレット端末をしまうと、前を向いたまま説明を始めた。
「実は、私もさっき初めて聞かされた情報なんですが……『家族愛作戦』とはその名の通り、シャパリュの内に残った家族愛を利用した作戦となっています」
「家族愛を、利用する?」
随分と人聞きの悪い内容だけど、とりあえず何も問わずに聞き続けることにした。
「朝井さんもご存知かもしれませんが、シャパリュは飼い主に対して拒否反応を起こす性質にあるようなんです。あなたの家が襲撃された際、月城さんが駆けつけてきたタイミングで引き返しましたよね? それも、この習性の表れだと考えているんです」
「ああ、確かにそんなことがあったような……」
「実は以前、似たような事象が月城さんを前にして発生しまして。それに、自分が住み着いている家の主は刺激を与えない限り襲わない特性があることから、博士は『シャパリュに家族愛めいたものが存在する』と仮説を立てたのです」
「な、なるほど……」
思い返してみると、確かに僕の家に長い間住み着いているのに、昨日のあの一件が起こるまでうみは僕を襲わなかった。真理ちゃんの時もそうだ。博士が家に訪問するまでは大人しかったと聞く。何だか都合の良い話に聞こえなくもないけど、うみに家族愛があるというのは強ち間違いではないのかもしれない。
「で、その家族愛を利用する、と」
「ええ。作戦の内容は、こうです」
研究員は仕切り直すように、少し呼吸を置いた。
「作戦は住宅街で行います。まず、飼い主を見たら逃げる習性を利用し、朝井さん、月城さんの二名で住宅街中央へ誘い込みます。その後、我々研究員で誘導したシャパリュに特注の捕獲網を投擲します。その後、大量の麻酔銃で対象を無力化。昏睡状態であることが確認され次第、作戦は成功となります」
「なるほど……分かりました」
如何にも単純明快な作戦だった。聞いた限りだと、難易度も特別高いように思えない。博士の「失敗する確率が極めて高い」という発言が誇張表現であるように思えた。
「ただ、この作戦には大きな欠点があります。それも二点です」
一転して、険しい表情を浮かべて研究員は語り出す。
「まず一点は、シャパリュに家族愛があるという特性はあくまで仮説に過ぎない、という点です。もし、朝井さんや月城さんを見ても逃げなかった場合、作戦の起点が成立しないため、進行が困難となります。その場合は、両者の身を案じて作戦を中止とします」
そして二点目、と彼は指を二本立てて見せた。
「これが最も博士の懸念していたことですが、朝井さんと月城さん、そのどちらかが感情に身を任せて動いてしまうケースがある、ということです」
どくん、と心臓が高鳴る。何故か怖くなって隣で蹲る真理ちゃんの様子を見ることができなかった。
「お二人は、シャパリュと家族として共に過ごしています。人間として仕方のないことですが、情が芽生えていることでしょう。そのため、感情に左右されて指示通り動けないのではと、博士は心配されていました」
膝の上で握る拳に、汗が滲む。
「特に、月城さんはまだ子供ですし、両親をシャパリュに殺されています。復讐心もしくは情けから予期せぬ行動を取る可能性が考えられます。シャパリュは心の刺激に敏感ですので、それも相まって懸念点として挙げられます。ですが……」
研究員は後部座席に顔を向けてくる。
「月城さんは今まで、自分の感情を制しようと努力を積み重ねてきていました。恐らく大丈夫でしょう。あとは朝井さんですが、くれぐれも感情に身を委ねないよう気をつけてくださいね」
「ああ、はい……努力します」
期待を向けられたその瞳に対し、渋々と僕は答える。
そして、研究員が目線を前に戻したタイミングで、僕は真理ちゃんの様子を窺う。相変わらず、彼女は蹲ったままだ。きっとその理由の中に、周囲の期待に応えねばという圧迫感も含まれているのだろう。想像するだけで胸が痛む。
こうして、彼女の想いに寄り添うことなどせずに時間は無慈悲にも迫ってくる。
目的地へと近づく車窓の風景を、僕は固唾を呑んで見守っていた。
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