8. 生態
「まず資料を渡しておく。目を通せ」
ホッチキスでまとめられた資料の束を、博士から投げ渡される。両手で受け止め、すぐさま表紙に目を通した。
『シャパリュ捕獲計画 資料編【社外秘】』
表題の下に『眞柴研究所』と書かれた表紙。それを確認し、すぐ次のページを開く。そこに広がっていたのは、猫の解剖図だった。でも、通常の猫のものと一部違う。普通の猫とシャパリュが全く違う生物であることを一目で理解させられる。
「まず、奴の生態について説明する」
僕に配ったものと同じ資料に目を向けて、博士は語り始める。真理ちゃんは僕の隣の席に着いて、黙って耳を傾けている。
「まず、シャパリュという名は私が付けた名称だ。ウェールズ三大詩に登場する獰猛かつ凶悪な猫にちなんで命名した。本来の名は『キャスパリーグ』だが、著名である故に名を借りるのは憚られる。そのため、フランス文学で使われている別名を採用している」
キャスパリーグ……聞いたことがある。たしか『アーサー王伝説』において、アーサー王に苦戦を強いた凶悪な魔獣だったはずだ。シャパリュとかいう聞き慣れない単語は、ここから来ていたのか。
「シャパリュは元来、身体の構成的に一般の猫とさほど大差はない。内臓の構造から見て君でも分かるだろう。しかし、一点だけ明らかに違う部分がある。それが、心臓の下に位置する謎めいた『袋』の存在だ」
僕は改めて、解剖図に目を向ける。猫の内臓は横に並ぶように構成されている。それはうみを飼う上で読んだ資料から事前に学んでいた。しかしこの解剖図には、その時に目にしたことのない小さな『袋』があった。さっき感じた違和感のうちの一つだった。
「この『袋』は、特定の状況下で急激に膨張し、中で正体不明のエネルギーを生成する。そのエネルギーを体内に巡らすことで巨体化、もしくは身体の部位の限定的な巨大化を引き起こすのだ」
なるほど。これが、うみの身に摩訶不思議な現象を引き起こす発端というわけか。
高校時代に少しだけ学んだだけでもわかる。これは生物学的に矛盾だらけの器官だ。けれど、あらゆる不条理が発生するこの場でそれを気にしたら負けなのだろう。腹の奥底に呑み込むように、その考えを打ち消そうとした。
「だが、この点はあまり問題視していない。一番厄介なのは、その性格なのだから」
忌々しそうに眉間に皺を寄せながら、博士は説明を続ける。
「シャパリュはどういうわけか、人の生き血を好む。ひっそりと夜の闇に潜んで人の通行を待ち、獲物の首元を掻き切るのだ。その傷から溢れた血を啜る。悔しいことに、その理由は未だ分かっていない」
質が悪いのはここからだ、と彼は白髪を掻き毟った。
「奴は何故か知能がべらぼうに高い。一般の猫と脳の大きさに大差ないのに、だ。それ故に悪知恵が働くし、物事を予測する能力も備わっている。おまけに自分の仕留めた獲物の死体を眺め、高揚するところも確認している。その冷酷さ、獰猛さ、狡猾さ。まさに『シャパリュ』という名に相応しい怪物よ。皮肉なことにな」
自嘲気味に、博士は鼻で笑った。
彼の言う通りだ。聞き終えた途端、吐き気がするほど不快な気分が込み上げてくる。実際に巨大化している場面や、既に死者が多く出ている現状から覚悟はしていたつもりだったのに、改めて目の当たりにすると、その決意も簡単に打ち砕かれる。現実は想像より遥かに非情だし、理不尽だし、不条理だ。そんな当然至極なことを、僕は全身で実感した。
「……君が慕っていた家族は、そういう生物なのだ」
ぶっきらぼうな口調で、博士は言った。
「絶望しただろう。裏切られた気分になったろう。本当に残酷なものだ。奴を心から愛し、信用した結果が、この有様なのだからな」
「ちょ、ちょっと博士」
さっきから黙って聞いていた真理ちゃんが不意に言葉を遮った。
「そこまで言う必要ないじゃないですか。だって、武弘さんは昨日目の当たりにしたばかりで……」
「大丈夫だよ、真理ちゃん」
僕はその言葉を制した。
庇ってくれたんだよね、ありがとう。でも、心配は要らない。
「もう、覚悟してたことだから」
ただ一言、はっきりとそう伝えた。真理ちゃんに向けて。そして、気の弱い自分に言い聞かせるように。それを受けた真野ちゃんは頷き、唇を噛んで俯いた。
確かに博士のあの言い草は癪に障る。だけど、何となく分かる。これは彼なりの親切なんだろう。僕が苦しい過去を断ち切る決心をつけられるように。そして、この苦痛を今後に向けた原動力にできるように。真相は分からずとも、僕はそれに応じなければならない。
それに、辛いのは僕だけじゃない。むしろ、真理ちゃんの方が何十倍も辛いはずだ。家族の一員として信じ続けていた、うみもといアッシュに両親を殺され、それでもなお彼を恨み切れず葛藤している。精神的にも、アッシュと向き合う覚悟がまだ確実にできていないはずだ。にも関わらず、それを表に出すまいと堪えている。僕よりも幼い彼女が、だ。それなのに、大人である僕がいつまでもくよくよした姿を見せるわけにはいかない。
「お見苦しいところを見せてしまい、申し訳ありません。博士、続けてください」
博士の目を見据えて、僕はそう伝える。
すると、彼は一度、大きく頷いた。
「そうか。なら説明を続行しよう」
次は、計画の全容についてだ──そう博士が言いかけた、その時だった。
「博士! 大変です!」
テント内、博士のいる対極側から叫び声が聞こえる。ここに所属する研究員の一人が発したものだった。博士は呆れた様子で聞き返す。
「何だね? 今取り込み中なのだが」
すると、慌てふためいた様子で研究員は答える。何だか嫌な予感がする。
「シャパリュが……シャパリュが行動を再開しました! それも巨大化状態です!」
「何だと⁉ それは本当か?」
博士は資料を長机に投げ捨て、ノートパソコンを抱えて研究員のもとに向かった。そして、画面を凝視する。彼の絶叫が轟いたのは、それから間もなくだった。
「クソッ……何故だ! 奴の狩りは夜と決まっているはずだ! しかも、今は行動『できない』状態のハズ! 何故だ……何が目的だ! あの怪猫め!」
くそっ、と彼は長机を拳で思い切り叩いた。今は行動できる状態じゃない……たしか昨晩、真理ちゃんも似たような発言をしていた。いや、そんなことはどうでもいい。
僕は……いや、この研究所は、この時を境に最悪の事態に直面したようだった。
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