6. 虚言

 自宅までは、歩いて五分もかからない。


 早い出社であり余っていた時間も、気づけば午後八時。いつもの帰宅時間と大差ない時刻となっていた。服装もほぼ同じ。唯一の変更点は、スーツ姿の男が二名、僕を挟むように並んで歩いていること。たった一つだけど、この一点が僕に非現実感を与えていた。まあ、強いて言えば帰るべき家が半壊状態で尚且つそこに帰れないことも、だけれど。


 しかし、いざ家に着いてみると、そこには普段と全く違う光景が広がっていた。


 時間帯に関わらず、自宅を取り囲むように密集した人混み。それを仕切るように敷かれた黄色いテープ。そして、あちこちに駐車されたパトカー。この周辺だけ、刑事ドラマのワンシーンが展開されていた。


 向かう道中で上空に見えた赤い光で薄々感づいていた。だけど、いざ目の前にするとどうすべきか困惑してしまう。しかも、想像していたよりもがっつりと捜査の対象になっているし。これは中の物を取り出せそうにない。捜査中の現場の物品は、持ち出すどころか動かすことも禁じられている。幼少期に刑事ドラマで学んだ、捜査の常識だ。


 しかしこの状況、どうするべきか。真理ちゃんの家に引き返すべきか。最悪、必要なものは近所のコンビニで仕入れられる。通帳とかも回収したかったけど、やむを得ない。面倒事に巻き込まれるよりは断然マシだ。


 僕は引き返すべく、左右の研究員たちに説明しようとした。


「あれ、あなたはあの時の。ご無沙汰しております」


 遅かった。説明するより先に聞き覚えのある声に呼び止められてしまう。

 振り向くと、案の定そこにいたのは若き警察官、光田さんだった。


「お仕事の帰りですか? お疲れ様です」


 人懐っこく、けど礼儀正しい彼は小さくお辞儀する。釣られて、僕も笑顔で礼を言う。


 嘘を言うことに対し、あまり肯定的ではなかった。だけど、良心が胸中で芽生えると、それに呼応するように真理ちゃんの忠告が脳裏で蘇るのだ。


『念の為言っておきます。武弘さんは警戒心が皆無なので念の為、です。もし何か訊かれても、本当のことを言わないでください。研究員さんの正体も、もちろんわたしのこともです』


 さっき、出発前に言われた忠告だ。警察にシャパリュの情報を漏らした前科があってのことだろう。真理ちゃんの気遣いも知らずに暴露した自分が、今では恥ずかしい。まあ、最初から詳しく話さなかった彼女にも非があるけど。


 とにもかくにも、何を問われても真実を話してはいけない。いくら清純な光田さんが相手でも、だ。面倒事を避けるためにも注意しなくては。


 とりあえず、こちらの事情に触れない程度に情報を聞き出して、上手く抜け出そう。


「それにしても、凄い騒ぎですね。何があったんですか?」


「ああ、はい。そうですね……今のところ死者の報告はないのですが、現場は凄惨を極めておりまして」


 険しい表情をして、光田さんは事件現場に目を向ける。


「無人の住宅が一軒半壊状態。おまけに近所の方々からは不可解な目撃情報が相次いでおりまして……」


「不可解な目撃情報?」


「ええ。あまり関係者以外にべらべらと話すべきことではないのですが、何やら『巨大な化け猫が突然現れた』と。それも、同様の目撃情報が何件もありまして。捜査は混沌を極めています。ショックによる幻覚、にしては情報が明確ですし」


 降参だとでも嘆くように、彼は頭を掻く。


「とりあえず、あなたも気をつけた方がいいかもしれません。もしかして、この辺りにお住まいなんですか? でしたら、いつも以上に警戒を怠らない方がいいです。もし、その化け猫の証言が本当なら、まだこの周辺に潜んでいる可能性がありますから」


「は、はい。気をつけます」


 まあ、気をつけるも何も、既に多大な被害を被っているんだけども。


「そういえば、あれから気になることはありましたか? 目線を感じたりとか」


 光田さんは話題を転換する。気を抜いたら口が滑りそうな質問。用心しつつ、その問いに答える。


「い、いえ、特に何も。仕事が忙しいせいで、周囲に中々気を配れなかったもので」


「そうでしたか。実は前に提供して下さった謎の少女に関しても調査を進めているのですが、中々進展が掴めなくて。もし関連した情報が他にあれば教えて頂けませんか? ちょっとした特徴とか、容姿でもいいです」


 かなり踏み込んだ質問が投げかけられてしまう。


 光田さんの人柄は凄く好感を持てる。だから、できれば嘘を吐きたくない。でも、これもうみのためだ。許してくれ。


「すみません……かなり前のことなので、覚えていないんです。それに、あの日は酷い雨でしたから。視界が悪かったのと、傘で全容が掴みにくかったので、これといった印象はないんです」


「覚えているのは話されていたことだけ、ということですか。分かりました、ありがとうございます」


 納得したように頷く光田さん。その反応を見て、罪悪感を噛みしめた。


「あ、そうだ。後で何か思い出せるかもしれませんし、一応渡しておきます」


 ふと思い出したようにそう言って、懐から掌サイズの紙を取り出す。

 見ると、それは光田さんの名刺だった。


「何か困ったりとか、思い出したことがあったらいつでも連絡してください。すぐに対応します」


「あ、ありがとうございます」


 少し戸惑ったが、受け取るべきだろうと判断し、その意志に身を委ねた。


「念の為、名前を聞いておいてもいいですか。すぐにあなたの連絡だと判断できるように。無理にとは言いませんけど」


「は、はい。問題ありません。えっと……」


 名前を名乗るぐらい何の問題もないだろう。

 あまり余裕のない頭の中で、確かにそう判断する。


「……朝井、武弘と言います」


「へぇ、あさいたけひろ、ですか。ちょっと待ってください」


 僕の名前を反芻しながら、光田さんは懐から手帳とボールペンを取り出し、空欄のページにメモを取る。当然漢字は分からないはずだから、平仮名で書いていた。


「はい、ご協力ありがとうございます。では、何かあったら遠慮なく相談してください」


「はい。色々とありがとうございました」


 僕は頭を下げて、礼を言う。そして、何の成果も得ぬまま踵を返した。途中、背後で光田さんが何かに気づくような声が聞こえた気がしたが、恐らく気のせいだろう。追加で面倒事に巻き込まれぬようにと、半ば逃げるように住宅街から離れた。


 アパートに戻ると、真理ちゃんの口から実に喜ばしい朗報が伝えられた。

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