3. 聴取


 翌日。午後八時十五分。


 雨は上がったものの、今日は一日中空が灰色の雲に覆われ、気分が落ち込むような一日だった。仕事は問題なく終わったものの、この天気と空気のせいで何の活力も湧いてこない。今晩は料理をサボって、コンビニ弁当にしよう。うん、そうしようか。


 バスを降りて、住宅街沿いの歩道を歩いていると、何やら赤い光が道路側で点滅していることに気がついた。あまりの疲労に、その光が停車していたパトカーのランプであることを認識するのに、一瞬ながら間が空いてしまった。それも、今までに見たことないほど多数停車していた。


 もしかして、例の事件の捜査か?


 そう思って間もなく、後ろから二台目の車から、二人の男が現れたところを目撃する。一人は僕ぐらいの年代の若い人で、もう一人は厳格があって身体ももう一方より一回り大きい。一目見た印象としては、上司と部下と言ったところだろうか。


「今日で三度目、か。犯人は随分とこの区域に愛着を持っているんでしょうね」


 若い男は皮肉を込めたような声色でそう言った。辺りに無駄な音が流れてこないせいか、やけに会話がはっきりと聞こえてくる。


「ああ。それも同じ犯行だ。その上、おかしなことに、今回も犯行現場を見た人はいなかったという。やはり、かなり精密に計画されたものと見て間違いないだろう」


 上司らしき男が、そう言って腕を組んだ。


「でも、被害者には全員、何の共通性もないんですよね? 計画的犯行にしては動機が曖昧すぎませんか?」


「いや、最悪の場合、無差別殺人の可能性もあり得る。何かしらのストレスを普段抱えていて、憂さ晴らしに通行人を見かけるや否や殺害したのかもしれない。まあ、犯人が判明されない限り、何とも言えないがな」


 上司らしき男が肩をすくめて、首を振った。


「もう少し念入りに捜査する必要があるな。通行人を見かけたら、事情聴取してくれないか。私は先に、現場の様子を見てこよう」


 そう言い残して、下車した向かい側へと行ってしまう。その先は、住宅街の駐車場に繋がっていたと思う。


 この感じ、もしかしてまた被害者が出たのだろうか。しかもここって、一度目や二度目の犯行現場と同じ区域じゃないか。となると例の事件、僕が思っていた以上に深刻なのではないか?


 すぐ先程まで、一刻も早く帰宅したいと考えていた頭の中が一気に真っ白になって、足がすくんでしまう。もしかしたら、今もすぐそこに犯人がいるんじゃないか? そんな余分な不安も追加で振ってくる。


「ん? そこの方、どうしたんですか?」


 すると、前方から若い男の声がかかってくる。顔を上げると、さっき話していた部下らしき警察の男が駆け寄ってきていた。


「ちょっと様子がおかしいですけど、どこか具合でも悪いんですか?」


 心から心配してくれているような優しい声音。何だか申し訳なくなり、心配かけまいとかぶりを振った。


「い、いえ。大丈夫です。最近この辺りで殺人事件が起きてると聞いたので、何か関係があるのかと思ったら、怖くなっちゃって。この辺りに住んでいるものだから余計に……」


「そうでしたか。普段住んでいらっしゃる町が危険に晒されたら、誰でも怖くはなるでしょう。お気持ちはわかります」


 僕の気分を和らげようという意図だろうか。少し口角を上げて、男は言った。何故だろうか。ほんの少し言葉を交わしただけなのに、彼は信用に値する人だと、心の奥底でそう感じていた。


「おっと、申し遅れました。私、○○県警の光田と申します」


 そう言って、光田と名乗る男は懐から警察手帳を取り出し、提示してくる。

 凄い、ドラマみたいだ。胸の内で少しでもそう浮ついてしまった自分が、恥ずかしく思えてしまう。


「正直に申しますと、あなたの憶測通り、同じ犯行と見られる三度目の事件が発生しました。手口も今までと同様、被害者の喉元にひっかき傷を残しての逃走です」


「やはり……ですか」


「ええ。確か先程、この辺りに住んでいると仰っていましたよね?」


 はい、と一言言って頷いた。


「もし何か知っていることがあれば、お話して頂けませんか? どんなに些細なことでもいいです。何かしらの糸口になるかもしれませんから」


 光田さんは、真っ直ぐとこちらの目を見て、そう言った。


 協力したい気持ちはある。僕としても、危険と隣り合わせである現状から、出来るだけ早く脱したいから。だけど、提供できる情報が一つもないことも確かだ。残念だけど、ここは正直に伝える他ない。


 そう思って口を開きかけた時、何かが頭の中を過ったような気がした。思い起こして、正体を探ってみる。


『もしかして……シャパリュがそこに、いますか?』


 その正体は、昨日少女が放った一言だった。それを掴んだことを皮切りに、昨日の会話の台詞一つ一つが、意味ありげに繋がった。


 正直、突拍子もないことだし、この事件と関連がある確証もない。だけど、彼女の言い草が何故か気にかかるし、光田さんは『どんなに些細なことでもいい』と言っていた。ここは何でもいいから、話すべきではないだろうか。


「えっと……確証はないですけど」


 まだ迷いを打ち切れない状態で口を開くも、やがて覚悟を決めるように言い切る。


「……気がかりなことが一つだけ、あります」


 この時、光田さんの目の色が一瞬にして切り替わったように感じた。


「詳しく、教えてください」


 強い意志の籠もったその言葉に、強く頷いた。


 僕は、昨日の一連の出来事を光田さんに打ち明ける。買い物の帰りに謎の少女と出会ったこと。その会話の中で、シャパリュという謎の存在が出てきたこと。他にも意味深長なことを多く述べていた点。最後に「あくまで曖昧な情報ですが」と付け加える形で説明を終えた。


 言い終えてからしばらく、光田さんは顎に手を添えて唸っていたが、やがて吐き出すように言った。


「……あまりにも非現実的な情報、ですね」


「……そうですよね」


 まあ、案の定といったような反応だった。何しろ情報主である僕自身ですら、全貌を把握できているわけではないのだから、相手が理解できるはずもない。


「すみません。力になれそうになくて」


「いえ、問題ありません。元々が謎の多い事件ですし。それに、得られた情報がゼロというわけではありません。あなたの話していた『少女』が何らかの情報を持っていることが判明したので、まずはその子に当たってみようと思います。ご協力、ありがとうございました」


 そう言って、彼はお辞儀をする。無理矢理ポジティブに捉えられたようで申し訳ないと思う反面、少しでも役に立てたようで嬉しくもあった。


「では、私からは以上です。出来るだけ、明るく人通りの多い道を選んでくださいね」


「はい。お気遣いありがとうございます」


 僕は光田さんに頭を下げ、再び帰路に立つ。ふと後ろを振り返ると、彼の姿は既になかった。きっと上司の人に報告をしに行ったのだろう。あんな非現実的な内容を報告した後の上司の反応も気になるところだけれど、想像するだけで収めておこう。


 その後の道中は相変わらず心細かったが、さっきと比べてほんの少しだけ心が軽くなっていた。これも、胸中の不安を誰かに打ち明けたからだろう。そう考えると、あの時事件現場に遭遇したのも、案外悪い出来事ではないように思えてきた。


 帰宅後もいつもと何ら変わらず、玄関で出迎えてくれたうみを撫でまわした後、適当に時間を潰して眠りについた。大きな異変がないことは、今の僕にとっては有難いことだった。強いて言うなら、家に向かう道中で何やら視線を感じた気がしたが、現場を目の当たりにしたことによる過度な思い違いだろう。眠って忘れてしまおう。そう思った。

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