第25話 デートのち異変

 玄関前でリリイを待つこと数分。そわそわと辺りを歩いたりスマホを見てはポケットに入れて見てはポケットに入れてを数回繰り返したところだった。


「お、お待たせしちゃいましたか?」

「い、いやっ? そんなに待ってな──」


 リリアの声に驚きながら振り返ると、そこには──天使がいた。


 白いワンピースに黒色の小さいバッグが肩から下げられている。シンプルながらも清楚な雰囲気がリリアの可愛らしさを更に引き立てていた。


 淫魔の艶かしい姿とは打って変わった姿。あまりの可愛さに脳神経が焼き切れ、目ん玉が飛び出るかと思った。


「ぅお゛え゛……!」

「だ、大丈夫ですか!? なんか変な声出てましたけど……というか吐きました?」

「だ、大丈夫……その格好、に、似合ってるんじゃないか、うん」

「あ、ありがとうございます……」


 リリアを一人の女の子として見た瞬間、緊張で吐き気を催してしまった。しかし、言うべきことはきちんと言えた。


 ふぅ、と息を整える。自分をしっかり持つのだ。思い出せ拓巳。女の子の姿なんてもっと恥ずかしい姿を毎日のように見ているじゃないか(二次元限定)。


「た、タクミさんも……いつもとは違って格好良く見えます」

「……そうか」


 あかーん! まともに顔見れない……! 聖也の言う通り無難な服装を着ただけなので、褒められてもどうって事ないと思っていたのに、いざ褒められるとむず痒くてたまらなかった。


「そ、それじゃ行くか」

「は、はいっ」


 そこで俺は重大な見落としに気がついた。


 やべ……どこ行くか決めてねぇや……と。


 バカ! 俺のバカ! 服装ばかりに気を遣ってどこに行くかを全く考えていないなんて!


 前みたいにその辺りを散歩するか……いや、ここまで着飾っておいてそれはないだろう。であれば電車に乗って都心に行っておしゃれな店に……いや、俺おしゃれな店とか知らねぇ……!


 うんうん唸っていると、リリアの方から救いの手が差し伸べられた。


「あの、私、行って見たいところがあるんですけどいいですか?」

「お、おぉ。どこだ? リリアの行きたいところに行こう。リリアのためのデートだしな、うん」

「本当ですか? それなら──」


 リリアが指折り数え始めた。


「えっと、水族館や動物園、遊園地、映画館にも行きたいです。カフェに行ったり、河原とかをお散歩したり、あと、ウインドウショッピング、っていうのもやってみたくて、それから──」

「ちょっと待て。多い多い、日が暮れるし何より俺の足がもたない」

「えへへ、すみません。でも、どれも行きたい場所です。……タクミさんと」


 また変な声が出そうになる。そんな上目遣いで見られて狼狽えない男がいるはずもなく。


「……じゃ、じゃあベタに動物園にでも行くか」

「はいっ!」



 こうして、俺とリリアは動物園へとやってきた。時間は昼過ぎ。平日なので人もまばらで、ゆっくりと楽しむにはもってこいだった。


「わぁ……動物がいっぱいです!」

「動物園だからな」

「それはそうですけど、でも実際に見ると興奮しますね!」

「それは確かに」


 リリアは目を輝かせ、あちこちに行ったり来たりしている。まるで小学生のようだ。


「動物園なんて久しぶりに来たな」

「そうなんですか?」

「まぁ動物なんて今やテレビやネットでも見れるしな」

「もしかして、あまり面白くない、ですか?」

「いや、そんなことは全然ない。むしろ連れてきてくれたことに感謝してる」

「感謝ですか?」

「あぁ。ネットだけだとどうしても肉感というか、動物が持ってる野性味を感じないしな。実際に見ることでしか感じれないものもあるってよく分かった。あぁ、写真を取っておくか。今度投稿する漫画に動物園のデートの話を入れるのもありか……お、あれは背景に使えそうな……」

「か、完全に漫画家さんモードですね」

「はっ! す、すまん」

「いえ。いいんです。真剣なタクミさんの表情、私は好きですから」


 好き、と言われて咄嗟に顔を背けた。きっと変な顔になっているに決まっているからだ。童貞の俺にとっては破壊力が強すぎる。


 なぜ顔を背けたのでしょう、と首を傾げるリリアだったが、自分の言った言葉を思い出したのか、みるみる顔が赤くなった。


「あ、あーあのあの! 好きっていうのは性的意味ではなく! あーいやそういうと語弊が! 性的意味を少しも含んでいないというのは嘘になるんですけど、一般的に好感を持てると言いますか……!」

「わ、分かった。分かったから落ち着いてくれ」

「は、はひ……」


 ぷしゅーと頭から湯気が出ている。見ているこっちまで茹でられそうだ。


「ほら、色々見てまわろう。モタモタしてると時間無くなるぞ」

「そ、そうですねっ」


 その場のぎこちない雰囲気を振り払うべく、半ば強引に動物園の中へと足を運んだ。



 色々な動物を見て回る。背景に使えそうな景色はすかさず写真を撮った。ライオンやゾウ、キリンなど定番な動物からナマケモノ、オランウータンなど動物園ならではの珍しい動物を見て回ったが、中でもリリアが気に入ったのはカピバラだった。


「あぁ〜。可愛いですねぇ」


 すっかり顔が蕩けてしまっている。どうやら淫魔も人と同じような感性らしい。俺としては動物を見て様々な反応をするリリアを見る方が面白かったりする。


「あ、あのカピバラちゃん」

「ん?」


 1匹のカピバラがゆっくりと歩いている後ろに、もう1匹ゆっくりと後をついていくカピバラがいた。


「ふふっ、仲良しなんですね」

「そうみたいだな」


 後ろのカピバラは岩や草に引っ掛かりながらも、一生懸命後をついていっている。何とも健気で可愛らしい。


「親子でしょうか」

「どうだろ、カップルってこともあるかもな」

「カップル……わ、私とタクミさんも、他の人から見たらそう見えるんでしょうか……」

「……ま、まぁ男と女だし、そう見られる可能性は全然無きにしも非ずだな、うん」


 実際、カップルと見られる男女はそこら中にいた。少し前なら陽キャ死ねとか黒い感情が漏れ出ていただろう。まさか自分がカップルに見られる側になるとは。


「あれ?」

「ん? どうしたんだ?」

「あのカピバラちゃん、乗っかっちゃいました」

「乗っかる?」


 見ると、確かに後ろにいたカピバラは追いついていた。追いついただけでなく、上に覆い被さっているような──。


「あ、こ、交尾してます!」

「ぶふぉっ!」


 思わず吹き出してしまう。後ろをついて行っていたのは親子や友人関係などではなく、雄と雌、すなわち求愛行動だったとは。


「わ……! あれがカピバラの交尾……! す、すごい……! 初めて見ました!」


 こ、ここに来て一番目がキラキラしている。やはり淫魔。性的な行為に関しては貪欲のようだ。


「ほ、ほら! 早く次行くぞ!」

「え、えぇ〜! ま、待ってくださいよ〜! まだ交尾が~!!」



 色々と歩き回り疲れてしまった。確実に運動不足だ。日も暮れて、いい時間となってきた。


「だ、大丈夫ですか?」

「いや、無理かもしれん……」


 情けないと思うが、職業柄座ってばかりなのでこればかりは許して欲しい。しかし中には漫画家でもムキムキな人もいたりするので、俺ももう少し運動した方がいいのかもしれない。


「タクミさんが疲れたなら、もう──」

「いや、まだ行けるぞ。うん。行きたいところに行こうじゃないか」


 正直かなりキツイが、疲れたので帰ってきたなんて言いたくない。もし聖也や恭子に知られようものなら言葉のナイフでめった刺しされるだろう。


「えっと……」

「ん……?」


 リリアの目線の先にあったのは観覧車だった。動物園に併設とは珍しい。今の時間ならギリギリ乗れるだろう。


「観覧車。乗りたいのか?」

「えっと……はい」


 モジモジしながら頷く姿は子供っぽく見えて可愛らしかった。


「そういえば俺乗ったことないかもな」

「そ、そうなんですか?」

「あぁ。乗る相手もいなかったしな」

「……それじゃあ、私がタクミさんの初めて、いただいちゃいますね」


 言い方エッッッ……! そう思ったが口には出さないし出せない。俺たちは観覧車へと足を向けた。



「わぁ……見てくださいタクミさん。私たちがいたところがあんなに小さく……!」

「おぉ……結構高いんだな」


 いざ乗ってみると、意外と高度があってびっくりする。リリアのいう通り俺たちがいたところは豆粒みたいになっており、何にも遮られない夕日が眩しかった。


「……」

「……」


 か、会話が続かねぇ! 気まずっ! こういう時自然と話題を振れたり話題に困らない男がモテる男性なんだろうなと嫌でも実感する。


「本で見た通りです」


 外の景色を眺めながらリリアはそっと呟いた。


「本?」

「あ、はい。私が小さい頃、よく読んでいた本です。その、簡単に言うと淫魔が人間と恋をするお話です」

「へぇ……」


 純粋に興味が湧いた。魔界での書物でも恋物語というものは存在しているらしい。


「リリアが恋愛事情に詳しいのはそういうことなのか」

「えへへ。はい。いっぱい本を読んで知識だけは豊富でした。知識だけ、ですけど……」


 目に見えて落ち込むリリア。


「い、いや。知識があってこその実践だからな。知識はあって困ることはない。むしろ大きな利点だぞ、うん」

「じ、実践……。そ、そうです、よね」


 自分で言っておいてしまったと思った。実践、それすなわち性行為そのものだ。気まずい空気にならないわけがない。


「あー、その、なんだ。俺も同じようなものだしな。知識はあるけど実践はない。だけど知識を存分に漫画を描くときに活用できてるわけだから結果オーライだな、うん」


 自分で言ってて少し悲しくなってきた。それに俺の場合知識と言っても少し歪んだ知識だし。


「……タクミさんは、実践したくないですか?」

「……え?」


 リリアがチラチラとこちらを見てくる。


「どう、だろうな。前にも言ったが、俺は童貞であるからこそ漫画が描けてると思ってるわけで簡単に童貞を捨てるわけには──」


「私以外に迫られたら、どう、ですか? 実践、したくなりますか?」


「な、何言って──」


「わ、私。タクミさんにシルシを付けたいです」


「な──んで、急にそんなこと」


「た、タクミさんが、別の誰かに魔力供給をするのは、嫌、なんです……だから、その……」


 真剣な表情に思わず口をつぐんでしまう。顔が赤いのは夕日のせい、などではない。夕日に負けないぐらい、耳まで真っ赤になっている。リリアは本気だ。本気の問いを俺にしてきているのだ。


「……そんな相手はいない。リリアぐらいだろ、俺に迫るのなんて」

「……! そ、そうですか……!」


 真剣な表情から一変して、パッと嬉しそうな顔になる。その笑顔の破壊力は計り知れない。可愛さを計測して数値化する機械があったのなら、木端微塵に吹き飛んでいるだろう。


「じゃ、じゃあシルシを……」

「ちょ、ちょっと待て!」

「んむっ!?」


 ググッと距離を詰めてきたリリアを片手で制する。むにゅっと柔らかな唇に手が触れてしまった。それだけで俺の理性は崩壊しそうだった。


 思うに、ここは最終防衛ラインだ。一度突破されれば歯止めは効かず、きっとなし崩し的に俺の初めて、生命線は消失するだろう。


 ヘタレだと思われてもいい。最後の確認をしたい。リリアの気持ちを、俺はまだ聞けていない。


「シルシを付けたいってことは……それは、その、なんだ? つまり、リリアは俺のことを──」

「……」

「……? リリア?」


 リリアの目はどこか遠くを見つめるような目になっていた。今朝もそんな目をしていたような気がする。


 そして、ふらっと体が前に倒れた。咄嗟の出来事だったが、何とかリリアの体を受け止めることができた。


「お、おい!? リリア!? 大丈夫か!?」

「……あ、あれ? 私、どうして……」

「いや、急に倒れたんだぞ……大丈夫か? これ何本に見える?」


 リリアの目の前で指を2本立てた。


「……ピース? でも、もう片方もピースしないとダブルピースにならないんじゃ……それに顔もアヘらないと──」

「こりゃ重症だわ。救急車呼ぶか」

「じょ、冗談です。3……いや、2本ですよね」


 冗談を言っている余裕はあるみたいだが、顔色があまり良くない。


「今日はもう帰ろう」

「え、でも……」

「体調、あんま良くないんだろ。今日はもう帰ってゆっくり休もう。ま、まぁまた一緒に来ればいいだけの話だしな」

「……えへ、分かりました」


 リリアは了承してくれた。観覧車を降りて、動物園から出てすぐに家へと帰った。家に帰っても、妙な胸騒ぎが収まることはなかった。

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