第9話 第二の淫魔登場
「……よし、こんなものかな」
リリアに教わったことをなるだけ忠実に再現し、何とかネームを仕上げることができた。
……0.5ページだけ。
「完成まで先は長そうだな……」
外を見るとすっかり真っ暗だった。時間を忘れて作業に没頭しすぎていたようだ。
筆が遅いのはどうにか克服したい。息抜きに描いているエロ漫画は筆が早いのに……。
作業が遅い理由は慣れない構成と描写。そして……リリアの手の感覚。柔らかく、華奢な手。
「……」
まずい。思い出したら愚息が元気になってきてしまった。思えば最近抜いてなかったかもしれない。
これでは部屋を出ることは愚か、歩く事さえままならないだろう。
「……抜くか」
ここは一発、スッキリしておいた方がいいだろう。
悶々とした状態でリリアと顔を合わせるのも嫌だし。
何よりこの状態だと身動きが取れないからね、しょうがないね。
手早くおかずになりそうな電子書籍を購入し、準備は万端だ。
「いざ……」
ズボンに手をかけ、下ろそうとしたその時だった。
「あー♡エッチなお兄さんはっけーん♡」
「っ!?」
突如聞こえてきた声。窓を見ると、そこにいたのは中学生ぐらいの女の子だった。髪をふたつ結んでハーフツインテールの髪型。幼ない顔立ちながらも豊満な胸。妖艶な雰囲気を纏わせている。
その少女が普通ではないことだけは分かる。なぜならここは2階。女の子がよじ登るのには無理が──ってこの展開、前にもあったような。それに彼女の服装、リリアと初めて会った時と同じぐらい破廉恥な格好だ。
「えっと……君は……」
「アタシのことはどうでもいいじゃん。ね、お兄さん、今何しようとしてたの?」
「いや、何と言われればナニだが……」
「あはは、お兄さん面白いね。ふぅん。見たとこ誰も手をつけてないみたいだし、アタシってばラッキーかも」
ぐるぐる、と体の周りを回られジロジロと舐めるように見られる。まるで品定めでもしているかのようだ。そして、耳元に近づかれたと思ったら──。
「ね、手伝ってあげようか?」
「っ!」
「あはは! 顔真っ赤だよ?」
完全に弄ばれている。このまましてやられるのは癪だ。
「お前、淫魔か?」
「あれ? アタシのこと知ってるの? ということはお兄さん、もしかしてシルシツキだったりする?」
「シルシツキ?」
「うん。私たち淫魔に搾精されたことがある人、契約を結んで定期的な精液の供給源になってる人間を私たちは”シルシツキ”って言ってるんだ」
「そういうことなら、俺は違うな」
「よかった♡じゃあ早速──」
サッと身を引き、中腰で警戒態勢を取る。ここまで同じ展開だと今から俺がされることは容易に予想ができた。
「ありゃ?」
「悪いが、童貞を捨てる気はない」
「え!? お兄さん、童貞なの!?」
「如何にも」
「そんな格好つけて言われてもなぁ。でもそっかぁ。それじゃますますアタシのものにしたいんだけど……いいよね?」
ヤバい。目がギラついている。獲物を目の前にした肉食獣のようだ。
「じゃ、俺はこの辺で──」
「あは、逃げちゃダーメ」
部屋を出て行く俺の行く手を阻まれる。そして、じりじりと距離を詰められる。今にも押し倒さんとする勢いだ。
「さぁ、観念しよ? 大人しく負けちゃお♡」
「……仕方ないな。この手だけは使いたくなかったんだけどな」
「あは、強がっちゃってカワイイ♡人間が淫魔の誘惑に耐えられるわけないのに」
「あまり人間を、舐めるなよっ!」
俺は思い切り床を足で叩きつけた。それも1度ではない、2度、3度。足が痛くなるぐらいに。
「な、何してるの……?」
「教えといてやる。これはな、”床ドン”だ」
「”床ドン”……? 馬鹿にしないで。私それ知ってるよ。男の子が女の子に床にドンされちゃうヤツでしょ?」
「馬鹿め。人間界に来てからの月日が浅いのが見え見えだな」
「言ってくれるじゃない」
「うわっ!?」
ヤバい。その場のノリで無駄に煽りすぎた。少女はすぐに距離を詰め、押し倒し、俺を見下ろすようなマウントを取った。
「何をしたか知らないけど、これでもうお終いだね」
「ま、まぁ待てよ。”床ドン”はただ床を叩くだけじゃない。……そろそろか」
「な、何……? この嫌な気配は……」
「来るぞっ! この家の、絶対的な権力者が!」
そして、ノックもせず問答無用で部屋の扉が開かれた。
「コラーっ! 拓巳さんっ! 壁ドンと床ドンはいけませーん!」
絶対的な権力者。まぁ家主である楓さんのことなんだけども。リリアは楓さんから嫌な気配を感じると言っていた。それは淫魔であるこの少女にも同じだったようだ。
「こ、この聖なる気配は……うぅ、力が出ない……」
ふらりと俺の胸元へと倒れ込む。
やった。これで助かっ──。
「た、拓巳さん……何、してるんですか……?」
……おや? 楓さんから汚物を見るような目で見られてる?
冷静に今の自分の状況を整理する。俺と見知らぬ幼い少女が同じ部屋、それも胸元に抱くような状態でいる。これは、側から見れば──事案、では……?
「待ってください楓さん。まずは話し合いましょう」
「う、うん……。私もそうしたいんですけど……」
よし、今ならまだ弁明することで俺の無実が証明されそうだ。
「あ、恭子ちゃん」
「楓さんも来てたんだ。私も床ドンするようなクソ漫画家を一発殴りたく、て──」
あ、これ終わったわ。床ドンは楓さんだけでなく、恭子まで呼び寄せてしまった。みんなも過度な床ドンはやめようね☆
「言い残すことはあるかしら?」
「弁明の余地ぐらいくれないか!?」
「弁明? できるの?」
「で、できらぁ!」
と、言いつつも内心は焦りまくっていた。この少女がとぼけた時点で俺の罪は確定して詰みである。
「ふあぁ……。みなさん、どうかしたんですか?」
あぁ……。今まさに眠ろうとしていたのだろうか。目を擦りながらパジャマ姿のゆるっとしたリリアまでやってきてしまった。というか淫魔なのに夜行性じゃないのか……。夜は起きてなさいよ。
「リリアちゃん。近づいたらダメ。ロリコンが移るわ」
「移るか!」
「ろりこん……? 拓巳さん、まさかそんな趣味が──って、リリイ!?」
「へ?」
俺に倒れかかっていた少女を居間に運んだ。楓さんから距離を取るとみるみる顔色が良くなっていった。
リリアが事情聴取を引き受けてくれたおかげで、事は穏便に済みそうだった。
楓さんはもう遅いから程々にね、と言い残して部屋に戻り、恭子は人殺しの目つきで睨まれ、再び修羅場(執筆作業)に向かっていった。怖い。
「皆さん、お騒がせしました」
2人の去り際にペコリとリリアが謝る。残るは俺、リリア、リリイの3人となった。
「よわよわな人間なんかに頭なんか下げることなかったのに」
「こらリリイ! 私たちと人間は共存関係。互いに歩み寄る必要があるって習ったでしょ!」
「相変わらず真面目だなぁお姉ちゃんは。あんなルール誰も守ってないって」
どうやらリリアとは違いリリイの方はかなりお転婆らしい。いわゆるメスガキというヤツだろう。
「すみません、拓巳さん。この子はリリイ。私の妹です」
「リリイでーすっ。よろしくお願いしまーす♡」
リリイはアイドルのような挨拶をした。見覚えがあると思ったら最近Tiktokで流行っているポーズだった。どうやら人間界のことはかなり知識があるみたいだ。
「それで、この子に襲われそうになっていたと」
「そうだよ。俺は無実だ」
「え〜。手伝ってあげようとしただけなのに〜。お兄さんのオナ──」
「おなかが痛くてねっ!? おなかが痛くてさすってたらこの子が助けようとしてくれたと思ったら急にあんなことになったんですねこれが!?」
「……? どうして急に早口になってるんです?」
早口にもなるわ。隣人に自慰行為をしていた様子を晒されるなんてゴメンだ。
「にひっ」
くそっ……! 清々しいほどのメスガキっぷりだ……! どうにかしてコイツの弱みを握らなくては防戦一方だ。
「リリイ。いつ頃人間界に来たんですか?」
「ついこの間だよ。適当にふらふら〜ってして情報収集してたんだ」
「もう、リリイはまだ人間界に降りる許可が出て間もないんだから、あまり目立つことはしちゃダメですよ?」
「は〜い」
なるほど。どうやら淫魔が人間界に来るにも許可がいるらしい。パスポートでもあるんだろうか。
「人間界って面白いね。魔界の教典で見た男よりもっと種類がいるし、何より退屈しないのが良き☆」
「へぇ。じゃあ……もしかして搾精もたくさんしてたり……?」
「あー……ま、まぁねっ! そりゃもう取っ替え引っ替えだしっ」
うん? 今……はぐらかしたか?
「え、えぇ〜!? そんなに……? す、すごいなぁ……」
「お姉ちゃんだってもうシルシつけたんじゃないの? このおにーさんに」
「た、タクミさんは中々手強くて……童貞は捨てるつもりないって一点張りですし……」
「そんなの嘘に決まってるじゃん。お兄さんぐらいの年なら童貞捨てたくてたまらなくなる時期だって教わったよ?」
「どんな教育を受けたか知らんが、俺はそんな考えなしに童貞捨てる気なんてないぞ」
「え……嘘……ありえなくない?」
「ありえなくない。リリアだって淫魔なのにまだ誰も搾精できてないらしいじゃないか。それと一緒だ」
「わ、私はしようと頑張ってるんですけどね!? 同じようで同じじゃないですからね!?」
「あははっ。お姉ちゃん相変わらず真面目だなぁ。お姉ちゃんの事だから、話が分かりそうな人で無理やり襲って来なさそうな人畜無害な人間選んで、じっくり攻略していこう、みたいな考えでいるんじゃない?」
「そ、そんなことないけどぉ?」
さすが妹。姉のことをよく分かっているようだ。リリア、口笛吹けてない。ヒューヒュー空しい音が鳴ってるだけだからやめた方がいいぞ。
「ま、まぁ? その反面私はよりどりみどり、選びたい放題っていうか? 夜のアイドル? 夜の女王? そう、ナイトクイーンって感じ!」
「へぇ。じゃあ例えばどんな男を相手にしたんだ?」
「へぇっ!? そ、それはねぇ〜ちょっと言うのは恥ずかしいっていうかぁ」
恥ずかしい……? 妙だな……。(名探偵)
この反応……ダメ元で聞いてみたが思わぬ情報が得られそうな予感がする。
「俺は童貞だから、その辺の事情に疎くてな、色々と聞いておきたいんだよ。夜の営みが盛んな男はどんなヤツかなーとか、どういうやりとりがあって行為に及ぶのかなー、とかな」
「そ、そっかぁ〜、お兄さん童貞だったねぇ……じゃあ知らなくても無理ないよねぇ」
「あぁ。ぜひ教えて欲しいところだ」
「わ、私も聞きたいかも」
「お姉ちゃんまで!?」
「しょ、しょうがないじゃない。私もまだ、その、経験ないんだし……」
逃げ場なし。ここまでお膳立てしたのだ。夜の女王なら鼻高々とお答えになってくれるに違いない。
「……お、覚えてないっ」
「はぁ?」
「い、色んな人間の男を搾精してきたから、そんなの一々覚えてないのっ!」
「じゃあ一番最近のヤツでいいよ。そんな衝撃的なエピソードとか期待してないからさ」
「う、うぐぐ……!」
ここまではぐらかす、ということは決まりだろう。
「お前……まだ誰も搾精したことないんじゃないか?」
「……」
リリイは何も言わず、ただゆっくりと顔を背けた。
「り、リリイ? そうなんですか?」
「答えないってことは、肯定とみなしていいのか?」
僅かな沈黙。そして──。
「わ」
「わ?」
「悪い!? 処女ですけど!? 何か悪いことでもあるのっ!? 人間にとってはゴホービなんじゃないの!? 違う!?」
「ついに認めたか。童貞童貞煽りやがって、自分も処女なんじゃないか。何がナイトクイーンだ。しかしまぁ、あれだけ煽っておいて処女とは……」
「……」
「まぁ、見た目からしてまだまだ子供だし? 年相応に見えるっていうか。そんな背伸びしなくても別に気にしな──」
「ぐすっ、うぅ……うぅぅぅぅ!」
「ええええ!? ちょ、何も泣かなくても──」
「う、ふえええええええ!!」
リリイはリリアの胸へと飛び込み、思いっきり泣いた。俺も罪悪感に苛まれて泣きたくなった。
「タクミさん。今のは私でも傷つきますよ? 確かに煽ったリリイも悪いですけど……淫魔にとって処女であることをコンプレックスに感じる子は多いんですから」
「そ、そうだったのか……」
「……いんだもん」
「え?」
「人間が悪いんだもん……! 私がせっかく誘ってるのに、みんな私を子供とはさすがに、って言って遠ざかっていくし!」
運が良かったのか悪かったのか、どうやらリリイはロリコン趣味の大人には巡り合わなかったらしい。まぁ、ロリにしては胸がデカすぎる気がするが。
「その……悪かったよ」
「……」
返事はない。リリイはリリアの胸に顔を埋めたままだ。うらやま──しいわけでは決してない。
「……やだ。許してあげない」
こっ、このメスガキ……っ! と怒ってしまうのは簡単だが俺も大人だ。ここは紳士に対応しなくては。
「じゃ、じゃあどうしたら許してくれるんだ?」
「お詫びに童貞ちょうだい」
「詫びで童貞をあげられるかっ! ソシャゲの詫び石とは違うんだぞ!」
「じゃあ許さないっ!」
ダメだ。コイツと仲直りするためには童貞を捨てるしかなさそうだ。もちろん捨てる気などないので仲直りは諦めるしかない。
「リリイ。男性経験がないということは恥じることではないと思いますよ」
「……でも、魔界では処女は誰にも相手にしてもらえない可哀想なヤツだって」
「魔界ではそうかもしれないですけど、人間界では貴重な存在らしいですよ」
「そ、そうなの?」
「えぇ。タクミさんの書物に処女厨という言葉がありました。間違いありません」
「いつの間に見たんだよ……」
「焦る必要はないんです。ゆっくり、人間と共依存の関係を築いていきましょう」
「……うん」
その後リリイはスヤスヤと眠ってしまった。嵐のようなメスガキであった。
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