第4話 淫魔再来

「……ど、どうぞ」

「あ、ど、どうも」


次の日。これほど気まずい朝食の時間は初めてだった。楓さんは俺とは目を合わしてくれない。原因は分かりきってはいるが。


「拓巳……楓さんに何したんだ?」


「何もしてねぇよ……むしろされたと言ってもいい」


2人きりだったら逃げ出していたところだが、聖也がいてくれたので首の皮一枚繋がっている状態だ。


「何もしてなかったらこんな空気にはならないだろ」

「本当に何もしてないんだ」

「……昨日、拓巳の部屋ちょっと騒がしかったよな、何か関係あるのか?」


こいつ、鋭い。というのも俺の住んでいる部屋の下が聖也の部屋だ。昨日の淫魔との死闘の余波が聖也の部屋にも影響していたとは。


「拓巳。とりあえず謝っておこう」

「悪いことしてないのに謝れるか」

「いや、謝罪をすることに意味があるんだ。形だけでも誠意を見せるんだ」

「いーや、謝らないね。意味のない謝罪なんて何の価値があるっていうんだ。それこそ楓さんに失礼だぞ。そもそもあれは俺のせいじゃなくて──」


「た、拓巳さんっ」


痺れを切らしたかのように楓さんが声をあげた。


「その……男の人ですから、どうしようもなくなる時は、あるとは思うんですけど……でも、せめて窓は閉めて、ね……? だ、誰かに見られたら拓巳さんも困るでしょうし……他の人もびっくりしてしまいますから……」


「申し訳ありませんでした」


結局、昨日の事は全て忘れてくれるという寛大な処置を施してもらい、楓さんとの関係は保たれたのだった。



「あの淫魔め……次きたらタダじゃおかねぇからな」


自室に戻り作業机と向かい合う。気を取り直して漫画を描こう。もちろん純愛は描くつもりはない。今回も女の子が辱められる話に決定だ。


「うーむ、淫魔をひどい目に合わせるか……」


昨日は散々な目に遭わされたし、筆が早くなりそうだ。



漫画を描きながらふと思う。


「それにしても、昨日のあいつは何で俺のところに来たんだ?」


その疑問がずっと引っかかっていた。精液が欲しいだけなら俺みたいな面倒くさい童貞を捕まえなくともその辺のヤリチン男でもいいはず。


まさかコイツなら簡単に精液くれるだろうと嘗められたのかもしれない。そう思うと余計に腹が立ってきた。


「ま、もう会うこともないだろ──」


「あ」


椅子を回転させてリラックスしようとしたその時だった。また窓からひょっこりと顔を出している淫魔がいた。


「うわああああああ!? 出たああああああああ!」


「ちょ! 淫魔を何だと思ってるんですか! しーっ! しーっ! 大声で騒がないでください!」


「何でまた来てるんだよ! それにこんな真っ昼間に!」


「た、拓巳さんこそ! この真っ昼間になぜ外に出ていないのですか! あなたぐらいの年齢の男性なら、今は死にそうな顔で会社にいるはずでしょう!?」


「日本社会の闇に気軽に触れやがって……。生憎だが俺は会社に行かなくてもできる仕事だからな」


「ぐぬぬ……疲れ果てて帰ったところに魅惑の淫魔大作戦が大失敗じゃないですか……!」


そんなことしようと思ってたのか……。性懲りも無く精液を絞りに来たらしい。


「ええい、帰れっ!」


「ちょっとぉ! 窓を閉めないでくださいよっ! とぉっ!」


くそっ、閉め切る前に部屋に入り込まれてしまった。昨日のような卑猥100%の格好ではなく、Tシャツにスカートというシンプルな格好だった。羽やら角やらは見えてますけども。


「何度でも言ってやるが、俺は童貞を捨てる気はない。他を当たってくれ」


「どうしてですか? お、男の人ってこういうの好きなんでしょ……?」


そう言って胸を強調するポーズを取る。ただでさえ大きな胸がさらに魅惑的に見えて、その胸に釘付けになる、と思ったがそれ以上に気になるポーズをとっていた。


「そのポーズ……何か古くね……?」


「そ、そんな! これが効くって教わったのに!」


「何年前の話だよ……とにかく帰ってくれ。俺は淫魔になど屈しないぞ」


「う、嘘です! そう言いながら私のお、おっぱい見てたじゃないですか!」


くそっ、バレたか。俺だって男だ。あんな大きな胸を見せられて見ないという方が無理な話だ。何だったら少し勃ってるし。


「今日こそ拓巳さんのど、童貞を奪うまで帰りませんからっ」


「勘弁してくれよ。こっちはやらなきゃならない仕事があるんだ」


「へ? お仕事? そういえば、家でもできる仕事って……」


そう言いながら淫魔は作業机の方を見た。


「わ、わわ……これ、もしかしてエッチな……」


「ふ、ふっふぅん。俺は成人向け漫画を描いているからな。そりゃもちろんエッチな描写を思いついては描きまくりよ」


どうだ。この発言で引かなかった女はいない。これでコイツも俺から童貞を奪おうなどとは思わぬはず──。


「す、すごい! 拓巳さん伝道師だったんですね!」

「は? 伝道師?」


全く予想外の反応をされた。どうしてそんな目をキラキラさせているのか。


「私、伝道師の方に会ったの初めてです! 拓巳さんのこと見直しちゃいました!」

「ま、待て待て。その伝道師ってなんだ?」

「え? そ、それはその……え、エッチの手順を書き記す偉大な人の事ですよね?」


うーむ、淫魔にはエロ漫画家はそう捉えられているのか。だとしたら俺、というよりエロ漫画家のほとんどはかなり歪んだ性行為の手順を描いていることになるのだが……。


「ほあぁ……」


キラキラした目でエロ漫画を見られたことなど生まれて初めてだ。妙にこそばゆい。


「……それ、描き途中だから。完成版、見るか?」


「い、いいんですか!?」


「あ、あぁ」


普通ならセクハラで訴えられてもおかしくないが、ここまで期待を寄せられては作家として答えないわけにはいくまい。俺は単行本化された成人コミックを渡した。


「こ、これが……ほぉほぉ……」


う……。目の前で自分の漫画を読まれるのも初めてだ。無性に恥ずかしくなってきた。


「ふむふ……む……? むむむ……? ……」


なんだ? 初めは興味深そうに、キラキラした目で見ていたのに徐々に目から光が消えている。


バタン、と少し強めに本が閉じられる。丁寧に扱ってくれ、初の単行本化したやつ何だから。


「拓巳さん……」


「な、何だよ」


口の中が乾く。どんな批評が来るのだろうか。ネットでの評価など腐るほど見て、華麗にスルーしてきたが、こうして目の前で、しかも女の子から感想を言われるのも初めてだ。


「どうして……」


「え?」


「どうして女の子と無理やりエッチさせてるんですか!?」


「……えぇ?」


そこ? 要するに何で凌辱モノかいてるんじゃボケ、と言いたいらしい。淫魔はその辺り寛容、というか淫魔が襲う側だからおあいこのようなものだと思っていたのだが……。


「み、見損ないましたっ! 女の子を無理やり……こ、こんなの……鬼! 悪魔! 童貞!」


「いや、悪魔はお前だろ!」


「女の子が可哀想だと思わないんですか!?」


「はっ。思わないね。その証拠にちゃんと女の子も気持ちよくなっちゃってる描写入れてるから。win-winだ」


「ぐぬぬぅ……」


そう、俺は凌辱モノを描くときに気を付けていることがある。それは、最終的に女の子が快楽に堕ちるようにすることだ。いわゆる快楽堕ち、というやつである。悔しい、でも感じちゃう、これ大事。


「……やだ」


「は?」


「やだやだ! こんなの嫌です!」


急に駄々っ子になった!?


「おいおい……淫魔がそんなんでいいのかよ……」


「淫魔とか関係ないですっ! か、改訂を要求します!」


「断る」


「描かないと本気で童貞奪いますよっ!?」


「こわっ!? 目が本気マジじゃねぇか!?」


このままでは前回の二の舞になってしまう。とりあえず何とかコイツを落ち着かせなくては。


「あのですね、描きたくても描けないんだよ。いいアイデアが思い浮かばないの。どうしても描いてほしけりゃ、アイデアの一つや二つ提供してもらわないとな」


「わ、分かりました。では、私がドキッとして悶絶しちゃうようなシチュエーションを伝授してあげましょう」


おぉ……まさか淫魔からご教授いただけるとは。これはどエロい展開を教えてもらえるに違いない。


「教えてください、淫魔先生」


「誰が淫魔先生ですか。リリア先生と呼んでください」


「わかりました、リリア先生」


そういえばリリアって名前だったな。すっかり忘れていた。


「こほん。では、いきますよ……!」


心構えは十分。いつでもこい……!


「えーっとぉ……ではデートのシチュエーションからいきましょうか」


「お願いします」


「ば、場所はどこがいいかな……あ、水族館とか、いいかもです」


「ほうほう、水族館」


魚とか描くのめんどくさいし大変そうだな……と一瞬で作画コストを考えてしまったが口に出さないでおく。


というか水族館か。かなりベタというか……。もしかして羞恥プレイか? 水族館で羞恥プレイはレベル高いかも……。


「えとえと、現地で待ち合わせるんですけど、待った? いや、今来たとこ、っていうお約束の会話をするんです」


「あー、あれな」


親の声より聞いたセリフかもしれない。まぁお約束だしセリフとして入れるべきだろう。一応メモメモ。


「そ、それからですね──」



そうしてリリア先生はモジモジしながらデートでドキドキするシチュエーションを事細かに教えてくれた。いちいちキャーとかワーとか照れられるせいでかなり時間がかかってしまった。


「わ、分かりましたか!? これが正しい愛の伝え方というものですよっ」


「……」


「た、拓巳さん?」


「あ……」


「あ?」


「甘過ぎるわああああああああああああああああああああああああああああ!!!」


「ひょわああああああ!?」


「我慢して聞いてたけどもう限界だ! 甘い! 甘過ぎる! というかエロい展開一個もなし! 考えられん! エロ漫画でいう所の導入シーンを永遠に見せられてムスコも萎えちゃってるってぐらい長い! お前本当に淫魔か!?」


「は、はあああああ!? ど、ドキドキするシチュエーションだったでしょう!?」


「手を繋ぐ、腕を絡める、デートから帰る頃には恋人繋ぎ、最後はほっぺにキスして終了……! アホか!? 俺は少女漫画描いてるんじゃねーんだよ!」


リリアから聞かされたのはただただ甘ったるいデートの内容だった。どれだけ頑張っってもR18指定など程遠い。せいぜいPG12指定が限度だろう。


「……もしかしたら、いや絶対ありえないと思って聞かなかったんだが」


「な、何ですか?」


「お前……男性経験皆無なんじゃないか?」


「……」


あ、図星だこれ。だって顔真っ赤にしてそっぽ向いてるんだもの。自白してるようなものじゃん。


「い、いけないんですか!? 淫魔が処女で悪いんですか!?」


「えぇ!? わ、悪くはないんじゃない……? 知らんけど……」


急に怒らないでくれ。びっくりするから。


「ぐすっ……次こそ童貞奪いに来ますから。絶対にやってやるんですからっ……」


「お願いだからそれだけは止めて」


泣きべそかきながら帰っていった。ご丁寧に入ってきた窓から帰っていきおった。


「うーん。この原稿どうするか……」


リリア先生が教えてくれた内容はバッチリメモしてしまったため、普通にSNSに投稿できそうなボリュームになっていた。


「ま、せっかく教えてくれたし、仕事してますよーアピールのために投稿するか。えーと、ビッチそうな女がめちゃくちゃウブなデートをしてきた件、と。こんなもんでいいか」


適当に文章を考えて漫画と共に投稿した。この時俺は知らなかった。この投稿がめちゃくちゃな反響を及ぼしてしまったことを。

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