雨降る国に一つの傘を

三ノ神龍司

プロローグ 雨降る国で

 雨降りしきる灰色の世界。


 分厚い雲は雨を吐き出し続け、何もかもを冷たく凍えさせる。


 ここは雨の国ヴォダマイム。一年のほとんどを雨が降り続ける。太陽が姿を見せる期間はごくわずかだ。


 そんな薄暗い陰気な土地でも、人は住むことを選ぶようだ。


 片側に強い傾斜がついた屋根の家屋が連なり、その横――地面には幅数メートルもある排水路が作られ雨が流れ込み、激しい水流となっている。


 排水路の上にかけられた橋から、異様な傘を差した少女がぼんやりと水流を眺める。時折道路を走ってくる蒸気車に水をかけられたりもしているが、撥水性が高い分厚いコートを着ているためか気にする様子はない。というより、そもそも全身がぐっしょり濡れている。


 少女の傘は柄が異様に太く、雨を弾く生地には明らかに通常では使用しないような革製のものが張られている。


 ――それは見る人が見れば魔法使いが用いる『魔杖』であると容易く看破できるであろう。そしてそれを持つ少女が只者ではないということと、ついでに言えば軍に規制されている魔道具を持っているために犯罪者、もしくは軍関係者だと想像することだろう。


 そのため今にも激流に飛び込みそうな少女には誰も近寄らない。


 美しい水色をした髪と不気味なほど妖しく綺麗な黄金色の目をした少女は、呟く。


 「……お腹減った」


 少女――シウはちょっとだけ舌を突き出し、傘の外に顔を出す。ぴしゃぴしゃと鼻先に水が跳ね、そのまま口まで伝っていき、舌に触れると――彼女はすぐさま吐き出す。


 「まじゅい……」


 この国は水分が過多とあるが、雨水は飲料には向かないほど不味い。それは雨中に含まれる魔力による影響ではと言われている。


 さらに飲み過ぎると魔力障害という病気を引き起こすことから、少なくともこの国に住む者で雨水を飲もうとする者はいない。それにシウがぽつりと漏らしたように限りなく不味いため、知らない者でも一度口にすれば飲み続けようとする者はいないだろう。


 シウは肩を落としながら、歩き始める。


 夜半を周り、通り過ぎる人も蒸気車もまばらだ。それでも蒸気機関と魔法の発達により、歩行者用に所々設置された雨よけの屋根の下には街路灯があり、薄暗い世界を照らしている。


 ただそれも後数時間したら、消えてしまうだろう。


 本来なら宿で休むか、その前にディナーをと洒落込むのだが、シウはどちらも逃してしまった。というより、今先ほどこの国に入ったばかりだったのだ。それも割と違法な手段で。


 疲れと空腹により、覚束ない足取りでふらふらと歩いて行く。


 どこか遅くまでやっている飲食店があれば、と思いわずかな望みをかけていたが、残念ながら土地勘もないせいで完全なる住宅街へと迷い込んでしまっていたのだ。


 途方に暮れ、ゴミでも漁ろうかと考えていたが無駄に綺麗な町のせいでそれも出来なかった。 ――ちなみにこの国は水に困らない故にトイレ事情などの衛生環境が他国よりも良かったりもする。


 ただ蒸気機関が生まれ、急速に便利になっていったために廃棄物が増えてしまう。そのため家の裏手にある排水溝に様々なモノを捨てられ水路が詰まることが社会問題となっている。


 先ほどは一縷の望みをかけてゴミが流されているらしい排水路を眺めていたが、一度入ったら気軽に這い上がれないような激流だった。少なくとも『二度と』入りたいとは思えない。


 ゴミでも漁ろうかと考えたが、そもそも全てが排水路に流されるので家先は綺麗だった。


 「ふぁっきん、衛生環境良好な国め」


 雨と生物の香りが入り交じった生臭い匂いが、空腹な今はさらに気分を悪くさせる。


――そんな苛々も増してきたシウの鼻が、彼女にとって嗅ぎ慣れた匂いを捉えた。


 それは血の香り。


 傭兵である彼女は誰よりもその臭いを間近で嗅いだことがあり、微かであろうと間違えるはずはなかった。


 ――ただこの国は軍が取り仕切っており、その手の犯罪者などにはことのほか厳しい。それか軍自体が関係していることを考えたが――しかし軍用車などのそれらしい物は見当たらない。


 シウの目がわずかに細まり、鋭くなる。周囲を見渡し、街頭の明かりが届かない暗がりを探す。


 見当をつけ、幽鬼の如く足音を立てずにそこへ向かって行く。路地を奥に入り込んだ後に男と思しき声が聞こえてくる。


 「見――た――」


 雨音に遮られ、しっかりと聞こえないが声のする方に駆けていき、角にてわずかに顔を出すと二人の人間がいた。


 どちらもコートを纏い、フードを被っているため男女の判別がつかない。だが、シウに後ろ姿を見せている方は鋼杖と呼ばれる非魔法使い用の武器を持っており、相手に銃口を向けている。


 鋼杖は魔法使いの杖とは違い鉄製で様々な機構があり嵩張るものの、それでも魔法使いが使う杖と同等の威力を発揮出来る。少なくとも今持っている小型のものでも数メートル離れている相手でも直撃すれば、その部位を挽肉にする威力がある。無論、本来は完全非魔法の銃器同様、軍の許可がなければ携帯出来ないものだ。たとえ許可が出ていたとしても安易に町中で出すことは禁じられている。


 対して鋼杖持ちに相対するのは、白いローブとフードを纏った者だ。こちらは鋼杖のような武器は持っているようには見えない。しかし、ローブの前面は血が塗りたくられたかのように真っ赤に染まり、袖が長く手が見えないもののそこから血が滴っている。


 そしてその足元には血塗れの少女と思しき死体が転がっていた。


 二人がどういう関係で、どんなことをしているのかシウには分からなかった。ただ少なくともどちらも危険で、さらにどちらがより危険か把握出来たくらいだった。


 白いローブを着た方がわずかに動く。


 鋼杖を持つ方も力を込めるが――如何せん、遅い。


 少なくとも『魔法使い』を相手にしているなら、致命的なほど。


 白いローブが消え、鋼杖を構える方の後ろに一瞬にして現れる。振り上げた片手の袖が下がると血の滴るナイフが露わになり、ほんのわずかな明かりに文様が入った刀身が鈍く輝く。


 ――鋼杖を持つ方はまだ気付けない。命の灯火はあとわずかで吹き消されそうになり――。


 瞬間、どんっ、と鈍く響く音が二人の背後で鳴る。


 「――!」


 二人がとっさに振り返る。鋼杖を持つ方は背後に立つ白ローブに驚いた顔を向けるが、硬直して攻撃はしない。


 白ローブは背後から高速で迫る乱入者――シウを見つける。


 そしてシウが放った脳天を狙った閉じた傘の一撃を白ローブはとっさにナイフの側面で受けて防ぐ。――だが、思ったよりも衝撃は強く、重い。押し潰されそうになるが、白ローブは瞬時に姿を消すと、シウの後ろに出現する。


 白ローブはナイフを横薙ぎでシウの首を狙うが、彼女はすぐさま振り返り、傘で受ける。


 鋭い刃が傘の布地や木製の柄を切り裂くかと思われたが、布で止まり、それどころか繊維は一ミリとも破れない。


 「!」


 「防刃。ついでに魔法耐性あり。簡単に斬れないよ。あと――」


 「――っ」


 白ローブがまた姿を消すが、シウは魔杖の先端をまだ空っぽの中空に向ける。


 すると一瞬後、白ローブがそこに姿を現し――魔杖を向けられていることに微かに息を呑んだ。


 「瞬間移動は魔法使い同士のタイマンだとあまり意味ないどころか、危険」


 魔杖の先端に二つ開いた銃口の一つから、球状に硬質化された数多の魔力の塊が爆音と共に吐き出される。


 全弾をその身に受けて白ローブは吹っ飛ぶ。数メートル転がるも――即座に立ち上がる。ローブに防弾効果でもあるのか、肉が弾け飛んだ様子はない。しかし衝撃までは消すように出来ていないのか、わずかにふらついている。


 「…………」


 白ローブは、シウを一瞬睨むかのように見つめると、踵を返し、逃げていった。


 シウは、奇襲されることを警戒して集中していたが、本当に逃げたことを確認すると振り返る。


 鋼杖を持った人間は、今まで固まっていたのか、先ほどの姿勢のままビクッと動くと慌てて銃口をシウに向ける。だが殺気はない。


 シウもそれを分かっていたため、魔杖は向けず、ただ小首を傾げた。


 「やりたいの?」


 「…………。……いや、俺は殺人鬼じゃない」


 そう言って鋼杖を持った『男』は銃口を降ろす。


 「そう。……あ――」


 ――同時にシウが膝から力を失い、崩れ落ちた。


 「ちょっ――おまっ……!」


 男は慌ててシウを受け止める。何か大きなダメージでも食らったのかと焦るが――、


 シウが震える声で呟く。


 「お腹空いて、もう無理。一歩も動けない……」


 「は? 待て待て待て! もうちょっと我慢しろ! あんな爆音立てたんだから、警察がすぐにでも――」


 そう男が言っている間に表通りの方がにわかに騒がしくなる。どうやら野次馬が集まってきたらしい。夜遅くにずいぶんと物好きなものだ。この調子だと警察もすぐにやってくるだろう。


 しかしシウはぐったりと動かなかった。テコでも動きそうにない。それどころか男の服を片手でがっちりと掴んで離さない。一歩も動けないという割に無駄に力が強く、全体重をかけてきて振り払って逃げられないようにする悪質さ。


 「もぉ、むぅりぃ」


 「この糞がっ!」


 男はシウを振りほどけないと悟り、肩に抱えると、一目散にその場から逃げ出す。シウは見た目以上に無駄に重かったため、男はかなりの苦労を強いられることになった。けれど、ある意味命の恩人であるし、そもそも振り払うことが出来なかったため、ただ必死に走るのだった。


 ――この二人の出会いがこの国を大きく揺るがす事件の始まりでもあった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

雨降る国に一つの傘を 三ノ神龍司 @minokami-ryuji89

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る