CLOSE FRIEND――フロリダの黎明
シェパード
不安を隠せぬ一人旅
第1話 フロリダ・ジョージア道路
登場人物
―リヴィーナ・ヴァンマークス・シュワイツァー…軍人、魔術師、友を探すドミネイターの少女。
二一三五年、五月七日:北アメリカ大陸、ミシシッピ川条約機構議長国『新アメリカ連邦』領、旧フロリダ州地域、暫定グレーター・セミノール保留地から北西に三一マイル地点
二〇九一年のあの大事件は、当時は文字通り消え去っていた人類の諸紛争――つまり言い方を変えればそれだけ『平和』であった――を塗り潰し、否が応でも全人類は『時代』が変わった、生きている世界観が変わったという事を認識せざるを得なかった。
しかし、人類はやってのけたのだ。犠牲を払い、しかしその果てに地球を奪還した。
リヴィーナ・ヴァンマークス・シュワイツァーはふとその場で回転しながら歩み、周囲を見渡した。少し前まで死に絶えていた街道を歩いていたところであり、罅割れたコンクリートの感触がどことなく平和を感じさせた。
湿地帯とその森林は今でも美しかった。まあ、確かに不気味な色合いをした内臓器官じみたものがそこらに存在しているが、それらすらこの大地は受け止め、一部としていた。
ここの辺りはもしかすると古戦場であったかも知れなかった。旧合衆国はセミノール・インディアンや彼らの元へ逃げ込んだ黒人らと戦った。
合衆国側の圧倒的な優勢にも関わらず、しかしセミノールはこの地において命脈を保ち続け、今に至る。
そして今度は異次元の生物がこの地に現れたが、セミノールはそれをも生き抜いた。
母、そして父それぞれへの敬意から母方のヴァンマークス姓、そして父方のシュワイツァー姓を両方名乗っているリヴィーナは、腫瘍じみた脈動するものに侵食されているかのような外套で蒸し暑さを防いでいた。
しかしそれでも、被っているフードの下から、この包容力のある半島部の驚異を感じ取る事は容易かった。
彼女が今足を踏み入れた地点は、道路のコンクリート上に奇妙なピンクや紫、その他毒々しい色合いをした奇怪な根のようなものが張り巡らされていたが、実際にはそれらがある種の植物でしかない事も知っていた。
この地の動植物を巡る環境は明らかに、永遠に戻る事ができないぐらい変化したであろう。異次元の動植物が現れた以上は。
戦争は終わり、既に人類はそのような事を議論するまでに余裕を取り戻しつつあった。
だが、この地はそれすら受け入れていくのであろう。湿地帯の小腸じみた蒼い脈動する物体の上に、苔が生えているのが見えた。
調査の結果、いわゆる『時空歪曲ポイント』が正常に戻った事で、異次元の動植物はある種の排他的侵食性を停止させたと判明していた。
ドーン・ライトと呼ばれる異次元との不幸なファーストコンタクトは望み得る最良の形で決着した。
人類の悲願は叶ったのだ。
そこでふと、ドーン・ライトから来た肉食獣と目が合った。体高十五フィートの成獣のジャイアント・ファイブ・レッグスが水辺にいた。
白い高温の息を吐き、口元が赤い筋繊維あるいは
それの犠牲者は、少なくとも人を襲うようになった状態のグリズリーの犠牲者ぐらいには悲惨な目に遭うのかも知れなかった。
かと言ってリヴィーナは、特に戦闘態勢に入るでもなかった。それが別段奇妙な振る舞いをする生物ではないと知っていた。
あれは知的生命体ではない。話し合いではどうこうできそうにない。だが彼女が❘
かつてはSF映画の怪物じみた獰猛さを持っていたそれらの生物も、今では大人しかった。
リヴィーナはその奇妙な獣の事を、可愛いとすら思った。彼女の眼前を畸形の昆虫じみた何かが飛び、ドーン・ライト側の小動物の死体に他の生物が集っていた。
人類の欲望によって繋がってしまった二つの世界は、少なくとも地球側について言えば今はこうして平穏に戻りつつあった。
新しい生態系が生まれ、それすらもこの大地は己の上の出来事として受け止めていた。
フラマン人とアルザス人の血を引くドミネイターの少女は、外套から垂れた触腕じみたものを靡かせて再び目的地へと歩いて行った。
だが、その心にはどうにも暗澹たるものがあった。
彼女は消息を断った親友を探しに、グレーター・セミノール保留地に向かう途中であった。
アメリカが主導していた異次元への門を開く実験は、言ってしまえば繁栄を極めた人類の余興なのかも知れなかった。
人類はそれだけの力を持ち、知識を持ち、それをどうにも活用したくなった。ある一点に目を瞑れば全体的には日々豊かになりゆく中で、かつてはある種の冷戦関係にあった国々が手を取り合う事すらできた。
となれば、余暇の中でやる事は決まっているように思われた。宇宙開発等と平行し、新たな論文や研究の行く末を見定める。
人類は既に、異なる位相へとアクセスする事を可能にしていた。人類、及びその他様々な知的生命体が住んでいるであろう起点の位相から、それと重なる別の位相へと移動する技術だ。
それらは主に魔術結社等が管理していた知識ではあったが、事実として二〇世紀後半の人類は異位相の月面に重犯罪者、例えば何かしらの異能や魔術、超科学を用いる危険な犯罪者を収監できるソリチュード刑務所を持っていた。
時は流れ二一世紀、異位相へと移動するテクノロジーの応用から異次元到達の研究が始まった。
人類は既に、異次元からの来訪者――残念ながら大抵は平和的な接触ではなかったが――を経験として記憶していた。
故にそのような、位相レベルではなく真に異なる宇宙を認知していたのだ。位相はあくまで、一つの宇宙に複数重なっている異なる層や膜に過ぎない。
一方で、異なる時間線の存在もまた認知されていたところであるが、しかし『そのような異宇宙への干渉はある種の歴史改変のような危険行為ではないか』という見方が優勢であった。
時間線同士は同じ構造の宇宙であるものの、互いに異なる歴史を持つ別個の宇宙であった。時間旅行者との闘争を経て、人類は時間や『歴史』に関わる事柄の危険性や不確かさを知っていた。
ソヴリンと名乗る男が仕掛けた『ゲーム』によって、人類が二〇世紀後半以降に被った被害は甚大であり、流れるべきではない血が流れ、あってはならない対立が世界中を覆った。
その全ての悲劇の『歴史』と経験が、ソヴリンとその敵対者達のごく個人的な因縁及び『ゲーム』に起因するなど、なんと悍しい話であろうか。
二一世紀の人類科学における、そのような『歴史』を書き換えてしまう行為への忌避感は、ソヴリンらの真相が明かされた事で醸成された感情であった。
時間そのもの及び異なる時間線への干渉に関わる研究は国連で全面的に禁じられ、地球上の全ての国家がこれに同意した――そのような全面的な同意は、それまでの人類の纏まりの無さを思えば驚異とさえ言えた。
人類はかようにして不可能を可能にしつつ、その余暇において異時間線とは異なる種類の宇宙へと目を向け、それが異次元と称される領域であった。
話を整理すると、定義を特に定めなければ異宇宙・異時間線は異次元と言えるし、あるいは異次元もまた異宇宙・異時間線と言えた。
しかし人類の定めた定義によれば、『我々の棲むこの宇宙』と比較して歴史に差異があるものの同じ物理法則や同じような『風景』――つまり恒星の周りに各々の天体があって、恒星の集まりがより大きな星団であるとか銀河であるとかを形成しているような――を共有しているのが異宇宙あるいは異時間線と呼ばれる領域である。
それに対して、『我々の棲むこの宇宙』と比較して異なる物理法則や異なる風景――アドゥムブラリ事件にて判明した、あまりに狂った風景が広がる異次元は象徴的であった――を持つのが異次元という領域である。
さて、異次元への干渉は理論上、相互にある種の『歴史』の改変が発生するものではないとわかっていたが、しかしそれでもなお危険性は指摘されていた。
時間旅行者によって互いに殺し合う事を強いられたアレルギー反応とも言えたが、とは言え無難そうな研究もあった。
具体的に言えば、こちらとあちらに門というよりは、ある種のパイプを繋ぐような形であれば、そしてそれによって高純度のエネルギーをこちら側に供給できれば。
もしかすると、それによって核エネルギーに頼らずとも、より安全な手段で人類の生活を支える事ができるかも知れなかった。
実際複数の研究で、過去に接触のあった幾つかの次元はそのような有用なエネルギーを有している事が判明していた。
やがてアメリカ合衆国が中心となり、ニューヨーク沖の研究施設『フューチャー・コンプレックス』で次元間パイプ、あるいはトンネルのようなものの研究が始まった。
行き来するのではなく、あくまでエネルギー問題の解決へ向けて…。
ソヴリンに引き起こされた歴史的な大変動と少子化によって小康状態に入っていた人類の人口を考えれば、既存の発電設備でも問題は無かった。
しかし電気という形のエネルギーに頼る以上は、ある程度研究は頭打ちになっており、ややぎりぎりであった。
あと少し人口バランスが崩れれば、またどこかの国や地域が貧しくなる。食料問題は概ね解決していたものの、あらゆる活動に必要なエネルギー、それを生み出す設備は、石油枯渇後に悪化していた。
核分裂の類いによる発電は世界中がそれまでに体験した様々な事件によって賛否両論に分かれた。
新規の原子力発電施設は結局作られず、騙し騙しの状態で人類は飢えを凌いでいるとも言えた。
だがもし実験が成功すれば、人類は向こう何世紀もの平和を約束されるかも知れなかった。
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