第17話 スパークル・デイ

 かつて両親を亡くした心廻にとって、瞳に映る世界の色彩はなく、ショックで失われた記憶は自他を曖昧にし、自身を霧のような朧げな浮遊感だと感じさせた。


 事件の後、葬儀等の諸々の手続きなどは子供には難しいと親戚だと名乗る大人達に言われるがまま任せていた心廻は、ただ日がな一日ただぼんやりと過ごしていた。

 それは、葬儀後も警察による事件の調査後も変わらず、俗に言ってありふれた茫然自失の少年がかつての心廻だった。

 失った生への意味を、家族の死で追憶し、空虚を広げる日々。

 だがそのうろはそう長くは続かなかった。


「やぁ、ついさっきお隣に引っ越してきた伊豆ナズナと言います!───早速だけど友達になろう!」


 それは唐突だった。未解決殺人事件で少なくない世帯が街を去っていくのと入れ替わるかのようにその少女はやってきた。白のワンピースとよく映える錦糸のような金髪を翻し、腰に手を当てて堂々と立つ少女に、心廻は思わず気圧される。


「ねぇ心廻、また泣いているの?………なら私のお手製クッキーをあげる。料理は得意だけどこれは君の為に覚えたんだよ!」


 こっちの事情も知ってか知らずか、来る日も来る日もナズナは友達になろうと心廻の家を訪ね、会いに来た。最初こそは素っ気ない態度をとっていた心廻だったが、次第に心を開き、彼女の訪れを楽しみにしていた。いつしか夕暮れで茜色に染まる部屋でただ無為に過ごすだけだった我が家が、彼女と過ごす無二の憩いの場となった。


「心廻、今日は一緒に買い物に行かない?今日は卵の特売日なの!一人一個までだから……お願い!!お礼にオムライス作るから!」


 日々の過ごし方は様々だった。持ってきた菓子を振る舞われたり、ナズナの家で一緒に作りに行ったり、買い物に付き添ったり、そんなごく普通の日々の営みを彼女と過ごす。笑いかけてくれる彼女の明るさに少しづつ心廻も心の霧を晴らし、次第に生を実感できるようになった。

 ───だから、やはりこれはありふれた話なのだ。


「ナズナ、どうして俺に声をかけてくれたんだ?」


 いつだったか心廻は、──その頃には既にかけがえのない恩人となっていた──ナズナに訊ねた事がある。


「うーん、そうだね……『一番の理由はひとりぼっちに見えたから』かな?

 孤独は駄目だ。どんなに強い意志もそれ自体を曖昧にしちゃう」

「………でも両親はいるんだろ?」

「一人なのは変わらないよ、滅多に家に帰ってこないし………」


 事件後一年が過ぎた頃には、ナズナには心廻は自身の事を打ち明けていた。その時に───仕事の都合上という違いはあれど───彼女も家では一人だと知った。


「だから、私は君を助けるのと同時に自分の事を助けたんだ。利己的だけど孤独から逃れる為には、私には誰かが隣に居て欲しいの………願わくば、心廻も同じだったら嬉しいな。………始めはともかく今も君が大切なのは変わらないから」


 その言葉を聞いて心廻は、失うことが怖い自分だが、彼女の為なら自分の全て失っても構わないとそんな事を思った。

 心廻にとっても、ナズナは大切な人だったから。それはきっと何があっても変わらない想いだ。

 ───例え彼女の正体が、死の運命を司る神だったとしも。



 ──────



 ───恩人ナズナに報いる機会に恵まれた自分は幸福なんだろうな。


 濛々もうもうと煙を上げながら燃える自身の身体を見下ろしながら、心廻はそんなことを思った。

 どうやら幾分か気を失っていたらしい。勢いよく啖呵を切ったところまで覚えているが、その先の記憶がない。

 指先を見やると炭化すら通り越し、燃え尽きた灰をボロボロと溢している。

 どれだけ気を失っていたのだろうか。全身を焼かれる痛みで思考が鈍いせいか経過した時間が十数秒にも数時間にも思えた。

 心臓から巡る血が、弱弱しくも徐々に身体に活力を取り戻させ、懸命に生きようと再生されていくのを感じる。

 膝をついた脚は力を入れても微塵も動かなかったが、辛うじて首だけは動かせた。

 チラリと自分が燃えている原因となる少女ナズナを見やる。


 ナズナは、照準を絞るかのように手をかざし立っていた。恐らく心廻を焼く天の光を維持するために必要な動作なのだろう。

 その顔ばせには涙が伝った跡があれど、悲しみもなく、後悔もない。かといって毅然としているわけでもなく、ただ能面のような無表情で淡々と死を裁定する光を降り注がせていた。その厳かな面持ちはまるで、人を導く神の如き宣託じみて見える。


 人の顔をしているのに人じゃない。日常での明るく笑う彼女を知っていればこそ、余計にそれは『神秘』………否、『殺人機しにがみ』としての側面を際立たせた。


(あぁ、本当はこっちがなのか………)


 心廻はぼんやりと彼女の根源を知る。規則的に機械的に生物の死を、終焉を、運命を定める『裁定者システム』。

 そんな大それた存在がすくいを見出し、「伊豆ナズナ」として、一人の少女として、『恋』に落ちた。

 その時の衝撃とは如何程のものだったのだろうか、察するに余りある。


(きっと、この身を燃やす業火とは比べられないほどの情動ねつだったんだろうな。)

 

 そんな彼女が自分の大切なものを手放し、また孤独しにがみに戻ろうとしている。

 否、ナズナの様子を見るに既に人間性が消えつつある。このまま心廻が何の抵抗もせず、ナズナの光に肉体だけでなく、精神すらも焼き尽くされたら、その悲劇は現実となるだろう。

 ………それだけは阻止しなければならない。


 ────彼女の事が好きだから?

 それはまだ分からない、………ただ大切なのは変わらない。


 ────彼女が両親の仇だから?

 それも分からない、何せまだ実感が湧かない。


 ────ならば何のために?

 彼女に願われたから。だから彼女の殺意を受け止める。

 だが死ぬつもりもない。それは彼女が忌避する未来だから。

 そう、もう一度光を……希望を見せなければいいのだ。要するに………


「今度は俺が頑張ればいい話だ」


 激痛で焼かれる神経の痛みを堪え、立ち上がろうと身体を奮い立たせる。片膝をつくだけで全身から燃え尽きた灰が零れ落ちる。だが構わず少しずつ、少しずつふらつきながらも立ち上がる。揺らぎ霞む視界、ただ進むべき道は見据えられている。


 ────ならば心廻、命懸けなんてものは私が代わってあげるから、一人の少女の告白ぐらいは君自身で受け取ってあげたまえ。


 幻聴か願望か、耳元で自分を励ます『死霊使い』の囁きが聞こえた気がした。



 ────



 傷だらけながらも立ち上がった心廻の様子に、ナズナがその表情を変えずとも、僅かに瞳を揺れたように見えたのは心廻の気のせいだろうか。

 かざした手を下して、突き放すように彼女は告げる。


「立ち上がってくれたのは嬉しいよ、でも振り出しに戻っただけだよ心廻?」

「……ぁ、……っ!」


 喉が焼け、咄嗟に苦し紛れの反論もすることができない。だが冷や水のような言葉は、無慈悲にも現実を突きつけると共に、心廻の現在の状況を理解させた。

 彼女の言葉が正しいの百も承知だ。だからこそ、すべきことになけなしの死力を尽くす。


「ッ!?」


 否、他者の尊厳すらも、掛け金として上乗せする。そのために心廻は傍らのかつて臓腐クロエであった遺灰に手を突っ込んだ。

 切っ掛けは形代だ。ナズナの光線を受けた際、最初はケイトの言葉通り、クロエの心臓が己の遺骸を形代として肩代わりさせたのかと思っていた。だが形代の存在にはもう一つ可能性がある。


 ───クロエの遺骸の中に自分の形代もあるのではないか?


 もし、それが心廻が望んだもの通りならば、まだ抵抗の余地はある。

 そう一縷の望みを掛けて灰山をかき分ける。人の遺灰に手を差し込む背徳感と不快感に身の毛がよだつ。心の中でクロエに全力で詫びながらも手は探り続けた。

 かくして心廻は吐き気を堪えながらも、を見つけ出した。


「ヒントは灰……ね、ケイトさんも酷いアドバイスをする」


 己の不死性で回復しつつある喉で、唐突だった訪問者への不満を独り言ちる。

 その手に握られていたのは、一つの臓器だ。


 それは濡れた鈍色の光沢を放ちながら、嫌に瑞々しい鮮血を彷彿とさせる赤色を纏い尋常ならざる存在感を放っていた。神の光を受けながらも、健在しているそれは、一目で生物が有するものではないと分かる。


 心臓。クロエの身体から出て来たのは、彼女の物ではない心臓だった。


「──ッ、それは………!」

「見た目はともかく、自分の心臓を掴むなんてそうそうないよな」


 そう、それこそが『願望機』。神へと至る『神秘』の『聖遺物』。

 ───亥飼心廻の心臓だった。


 最初にナズナのあの光に焼かれた時、ケイトはクロエの形代によって助かったと心廻に告げた。だが実際は彼女の形代だけではなかった。同じクロエの亡骸を依り代として心廻の形代も存在していた。

 単純に計算してしまえば複数の形代には相乗効果があったことを意味する。───不死殺しの力にすら抵抗できるほどに力を。

 ………もしかしたら、それも見越したうえで、クロエは自身の身体に心臓を隠したのだろうか?もしそうならば助かったのは彼女の意志だ。

 考えても、真意を知ることはもうできない。それを唯一答えられる少女は、愛を謡い恋に殉じてしまった。


 その手に握られた己の心臓に目を向ける。妖しげな雰囲気を漂わせているそれは、生理的な忌避感を催させる。だが不思議と心廻自身はなんともなく、妙な落ち着きを感じた。

 対するナズナは、握られた心臓を警戒しながら目を細める。


「六年前、今この時に様に、君はあの時死ななければならなかった。否、死ぬさだめだった。だけど心廻、君はそれを覆そうとしてくれている。かつてはクロエの手によって、今度は君自身の力で。───でもそれだけじゃ駄目。六年前の再演じゃあ、ただの引き延ばしになるだけ」


 根本的な問題の解決には至らないというナズナの指摘に心廻は首肯する。


「そうだね、今この手に、人の願いを叶える『願望機』があるといっても、それは六年前の自分に戻っただけ。………それでもやれることはやる」


 ならば辛い結末が待ってようと成さなければならない。

 責任だの使命だの高尚なものでもない。心廻は胸の内から燃え上がるかのような激情に突き動かされてナズナを見つめ返す。

 心廻の視線を受け止めながらもナズナは続けて指摘する。


「心廻、確かに私は君に『神秘』の存在を教えた。心臓は確かに心廻自身のモノ。けれど本質は何もわかってない。扱えるわけがない」


 至極当然の指摘だ。『願望機』は確かに心廻自身のものだ。だが『神秘』については素人も同然である。実際、この手に握られた心臓の扱い方も代償があるかも全く見当がつかない。だがそれでも心廻には関係の無い事だった。


「ナズナ、『神秘』は理外の力だって言ったけれど、俺にとっては少し違うんだ。俺が感じたのは『神秘』とは人の願いと夢想の具現化だと思うんだ」


 ────触れられないからこそ惹かれ、手を伸ばし届かないからこそ目を奪われる、いつかその時をと夢想し続ける。その想いを現実にする一抹の夢。

 それが心廻の『神秘』の解釈。


「だから、その夢想に辿り着いてしまったのなら、今度は俺が人を導く光になるべきだ。例え焼きつくような瞬光にしかなれないとしても」


 焼き付いた喉が未だ酷く痛むが、伝えたいことは告げた。後は心身共に全霊を燃やす尽くすのみ。………なに、この身体は灰になっても動き続けるのだから代償には値しない。


「……ッ、『願望機』、その主たる神骸が告げる!」


 だから歌う。心廻の、これまで失う事を恐れた少年の、すべてを投げうつ祝詞を。


「────俺達に夜空を照らす煌めく星の輝きを、もう二度と極光に目を焼かれなくても良いように」


 心廻の言葉と共に願望機の輝きはより強くなっていく。

 今度こそ、少女が北極星ポラリスに縋らず、綺羅星に見守られるように。


うつつ見つめる悲しき神よ、夜闇を過ぎ行き、明星に至ろう暗夜の終わりナイトエンド


 そして心臓こころは砕かれた。


 ───


 次の瞬間、握り締められた心臓が放つ眩い光が、その場に居た者の目を等しく焼いた。あまりの眩しさにナズナは一瞬身動きが取れなくなる。

 光を放っていた心臓は、次第に勢いを無くし、力尽きたかのように輝くのを止め、形が崩れて粒子となっていく。

 その一連の流れを横目に見ながら、その隙に心廻は駆け出した。

 僅か三メートルにも満たない距離が縮まっていく。

 ほんの数秒で辿り着く距離だが、その数秒は光速には遅すぎた。

 ナズナが再び上空から展開した必滅の光が、秒速約30万kmという圧倒的は速さのレーザー光線となって襲い掛かってくる。

 自分へと照準されて光速は、どうあっても避ける事はできない、正面から視界を覆いつくさんと収束照射された光を受け止める。

 今はただ、自分の心臓こころに賭けた願いを頼りに心廻は、疾駆する。


 、たった二秒で全身が炭化する。形代もなく、不死性も弱り切っている。気絶しなかったのは奇跡だった。

 ただ瞬きの様に命を燃やして、ただ明星の為に疾駆する身体は遂に光の柱をくぐり抜けた。


 そして決死の直滑降を抜けて、目の前には伊豆ナズナが立っていた。

 今この時でさえも泰然とした様子で、こちらに冷たい眼差しを向けている。


 間髪入れずに心廻は懐に隠し持っていた釜無のナイフを振りかぶる。

 肉ではなく神秘を断つナイフ、これを彼女に突き立てれば、有効打となりうる。

 ナズナは運命を受け入れるが如く、静かに目を閉じた。

 千載一遇のチャンス、これを逃せば二度と反撃の機会を失うだろう。


 


「…………え?」


 幾人も倒れ今や死屍累々と化した部屋でカランッと軽い金属音を響いた。驚きのあまりナズナの目線は投げ捨てられたナイフを追いかけてしまう。

 だからいきなり、ナズナは何も抵抗することができなかったのは至極当然だった。

 仕方がないのだ。赤熱し煙を上げる腕を精一杯回す好きな人の抱擁は、もう力が残っていないのか簡単に振りほどけそうに弱弱しく、逆に動くのを憚られた。


「驚いたか?意外だったか?心外だったか?……なに、これが勝ち戦だったのはわかっていたさ」


 息も絶え絶えで荒い息を吐きながら心廻はしっかりと告げる。

 ヒントはあからさまにあった。目に見えて衰えた『光の柱』。そして未だ死に絶えない自分。まるで表情が素面に戻る程取り繕えない何か。


「無理して『神秘』を使ってたんだろ?昔使えてた権能だとしても、人の手に余る力なんか、すぐに身体にガタが来て当然だ」


 ────そう、ナズナがただ無防備にその抱擁を振りほどけないのには、その実、単純に振りほどく余力がナズナ本人にも残っていなかった。


「………ナズナ、お前は元神様で凄いのかもしれない。けど不死なんかじゃないただの人間だ。ただの俺の恩人にして親しい少女でしかないよ」


 故にこれは出来レース。

 伊豆ナズナはただの恋する少女であるが故に、不死しょうねんを殺せるほどの力を持ってても、それだけの力は振るいきる前に力尽きる。

 ただの恋する少女であるが故に、恋慕する心廻を殺すことができなかった。


「………だから、また人生を始めよう。今度は隠し事なしで、対等に一から積み上げていって………」


 それが分かってしまえば、心廻がすべきことは彼女を殺すことではなく、これ以上『何か』が失われないよう縫い止めることだ。


「それでようやく俺は、『人間』伊豆ナズナの告白を受けられる。───だから、『遺人』伊豆ナズナ、君の想いは受け取れない」


 真意を説き明かされるに続き、心廻に想いを告げられたナズナは観念したかのように一瞬目を伏せたが、すぐに顔を上げハッキリと告げた。


「………おめでとう心廻、君によって私の『神秘』は開拓された。解明された謎は消えて散りゆくのみ。───苦難は打ち負かされた」

「それは……よかったのかな?」


 その言葉を聞き届けると、限界が訪れたのか心廻の意識は微睡んでいく、お互い立つことすらできず、ナズナをも巻き込みながら倒れ込む。辛うじて体を滑り込ませてナズナを受け止める事には成功するが、倒れた衝撃で完全に心廻の意識は急速に遠のいていく。


「よかったとも、さようなら心廻、私の大切な明星。私を飛び越え、ただ一人の大好きな光────そしてさようなら『死神わたし』」


 そうして伊豆ナズナの告白は遂げられた。


 ふと、自分はやり遂げられたのだろうか?と消えゆく意識の中、そんな考えが心廻の頭の中を通りすぎていった。 

 静寂が包まれる広間で動けるものはおらず、皆倒れ伏している。光の柱で貫かれた天井から覗く夕焼けはとっくに暮れ落ち、夜空に星々が輝いていた。


 ───やっぱり星は一つだけじゃ寂しすぎる。


 眩い北極星は潰えたが、これは悲劇ではない。ただ明るすぎる光が消え、周りの星々に目を向けられるようになっただけだ。

 夜空を見上げてそんな事を思いながら、意識は暗闇へと落ちた。胸の中で目を閉じる少女をしっかりと抱きとめながら。

 願わくば、この寒空の下で少女の大切なものがこれ以上失われないように。ただ強く、強く自分の体温を伝わるようにきつく抱きしめた。

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