第15話 心の在処
彼と出会ったのは六年前だ。
私は十二歳、彼は十歳、なんて事のない場所で、何でもないように友達になった。
一緒にいたバリーも私にすぐ懐いてくれたので、すぐ仲良くなれた。
犬は好きだ。ゾンビと一緒で従順だ。当時の私は、そんなところが彼も好きなのだと、勘違いしていた。だが彼のそれは、ひとえに長く共に過ごしてきた故の普遍的な愛だった。
『遺人』というのは、根本的に人と相容れず、中途半端に人の心がある。
だからあんな悲劇が起きた。
数ヶ月後、凍える様な寒さの冬、バリーが亡くなった、老衰だ。彼が生まれた時から一緒であったらしいので、何もおかしな事はなかった。
だが彼はそうはいかなかった。
いつも遊んでいた公園で彼は毎日泣いていた。そんな彼が可哀想で、そんな彼に何かしてあげられるのではと、嬉しかった。
ある曇りの日、彼に私は見せつけた。
ゾンビとなった、バリー。死骸を見慣れた自分には、普通死体とは子供にそう見せるべきではないと分からなかった。それがかつての愛犬となればなおのこと。
故に彼は激怒した。
「なんてことをしてくれたんだ!これはもうかつての家族ではない。ただの動く
彼の怒りの意味も分からずただ呆然とする私に彼は続けてこう言った。
「分からないのか!?心臓を失い
その時の言葉は今でも思い出しては胸を刺す。あの時は私は何を言ったのか覚えていないけれど。その時自分のようなもの人でなしは人の世に存在してはいけないと子供ながら理解した。
そしてすぐ、他の『
悲しみは無く、ただただ自分を育んだ物を破棄していく。
彼を傷つけた分を救おうと使命に従い、進んで進んで最後に私は……
────
「…………ッ!?」
絶句した。
臓腐クロエにはあるべき筈の心臓が無かった。それはつまり今目の前で倒れている彼女はゾンビだという事実。
しかしその虚の空いた左胸から血の代わりに無色の液体が溢れ出して来た。
何もわからないがただ目の前の少女の命が消えつつあるのは理解できてしまい思考が止まる、放心した心廻を他所にナズナが隣まで歩いてくる。
「クロエ、君はやはり……」
「うるさい、……私を語らないで。────間違っても助けないでよ」
ナズナの言葉をクロエは顏をしかめて拒絶する。それはこれまで本心を見せない彼女がはっきりと見せた嫌悪の意思だった。
そんなクロエの様子にナズナは嘆息すると目を閉じて、こちらから背を向ける。
「君の心臓が無いならタネは割れた。死んでる奴を助ける方法も、今際の際を邪魔する通りもない」
そしてその場を譲るかの様にナズナは釜無が警備している廊下まで戻っていった。
再び二人だけにされた心廻はただ異様な現実に怒りと憎しみの前にただ困惑でありそれがつい口漏らしてしまう。
「分からない、何故心臓がない?何故人を不死にする?臓腐クロエ、俺はお前の動機が分からない」
心廻の疑念の眼差しに虚空を映していたクロエの赤い瞳がこちらへ向く。
「心廻……気づいてないの?それとも見落としたのか、不死の君が何で失われた心臓に気づかなかった?」
「…………何をだよ?」
「何でゾンビの筈の君が生者を襲わず、人として健やかに生きてこれたのか」
────続く言葉に全身が総毛立った。
「そうだよ心廻。君の心臓は、私の心臓。───君が刻む鼓動こそが私なんだよ」
ゾンビは失われた心臓を求めて彷徨うというのがナズナの
直視し難い現実に動悸が激しくなる。しかしその胸の苦しさも仇の心臓のおかげだと否応なく突きつけられる。
「………今お前は目の前にいるだろ」
「……やるべきことをやってたんだ。でもそれもたった六年で限界が来ちゃった。いくら不死のゾンビといっても、自分を分割し続けるのは無茶だったみたい」
明かされる答えに、さらに疑問が浮かび上がる。人の事を殺して不死にしておいてその実、人に戻す為に自分は死を選ぶ。そんなもの初めからやらなければいい。
心廻は保身的な人間だ。それが物だろうと心だろうと、変わらない。それは目の前の少女によって家族を亡くした喪失が由来する。だからこそ……
「ッ……、何で………何でそんなことしたんだ」
「君が言ったんじゃないか。『死んだら人はそこまでだって』。だけど私は君が死ぬ運命を認めなかった。そして私は君を殺して不死にした。死が決まっているなら死を通過点にすればいい」
返された言葉に愕然とする。言葉自体に心当たりはない。ただ六年前の事件で失った記憶の中でそう言ったのかもしれない。
だから思い起こされるのは別の事。先日ナズナに告げた内容だ。
────死んだ者は正しく死んでいなければならない。
この言葉は、あの時あの場所で出した結論だ。
しかし既に一度幼い自分はその結論に達していたという……失う前だろうが後だろうが自分はきっとそういう人間で、クロエは心廻よりもそのことを深く理解していた。
「でも君は不死の自分を人とは認めない。そういう人間なのは分かってた。だったら人の定義そのものを不死に変えればいい。そうすれば君も認めざるを得ない」
そして彼女は骸の身体で決意した。自死を選ぶしかない少年に、曲がりなりにも生を享受させる為に。
「ただ、君を一人にしたくなかった。───そう、君が言った通り『不死』というのはもう人じゃない。だけどもし人類がみんな『不死』になったとしたらそれはもう異端にはならないんじゃないか?『不死』が当たり前の世界なら君は孤独じゃない。そう思って…………」
「失敗してるじゃないか……」
「別に失敗しても良かったんだよ。死骸の私が死ねば、残った私の心臓が私として君の心臓となり生き存える。ただの遠回りな心臓移植にすぎない。これまで通り君は人のままだ。───何なら復讐を遂げて、より充実した人生を送れるかもね?」
最後にクロエは冗談めかして笑って誤魔化すが、その間にも彼女の身体は、端から徐々に陶器のようなひび割れが広がっていく。しかし当人はそんな事を気にも留めてないのか微笑みに悲壮さなど微塵もなかった。
だからこの時、心廻は素直に知りたいと思った。
「それは、俺を『不死』にした事自体の理由にならない。あの日初めて会った時も、その次の時もそうだ。お前は俺に対して詭弁ばかりだ。答えてくれ臓腐クロエ、君の意図は何処にある」
本当は半ば予想はできている。けれど確信が持てず問い詰めずにはいられない。
クロエはゆっくりとこちらに顔を向ける。それまで焦点が定まっていなかった赤い瞳がはっきりとこちらを見据える。その瞳は燃え尽きる前の灯火の輝きを想起させたが、その赤は確かにこの時燃えていた。
「なら二度は言わないよ、なんせもう二度と来ない機会なんだから」
その言葉は残り少ない自身の命に対してなのか、それとも本心を告げる機会そのものなのか、心廻には分からなかった。理解しようにも少女との記憶は失われてしまっているのだから。
クロエは頼りなげな、今にも折れてしまいそうなか細い腕でナイフを握ったままだった心廻の手を上から重ねる。
「君を殺し、あまつさえその死を弄び不死にした稀代の『死霊遣い』の私が敢えて言おう」
重ねられた手は、優しく暖かい。だがそんなことはお構いなしに、少女の手はひび割れていく。少しでも力を入れてしまったら崩れてしまうのではないか。
「………どんな真実があろうと心廻、君は『人間』で『人間』として生きた。それだけは保証する。なにせその為に私は駆け抜けたんだから」
だがその手はまるで目に見えないものを託すかのように、ただ大事な人に大事なことを伝えるかのような慈愛を持って優しく握られた。
手の平から伝わる熱と共に仇敵にして恩人の少女は告げる。
「心廻、私は君のことが大好きです」
「───全てを捧げるほどに、貴方を愛してます」
見張られた心廻の瞳と視線を交わせながら、クロエは輝かんばかりの満面の笑みを浮かべる。それは人に寄り添う篝火の様に暖かく眩しい。しかしすぐに告白を最期に燃えるような少女の赤い瞳は光を失われた。
「……言うだけ言って返事すらさせてくれないんだな」
少ない時間が過ぎ、そんな悪態がこぼれ落ちた。だが少女は返事をすることは、二度となく正しく骸となった。
「やっぱり受け入れられるわけがない。お前が俺を殺したことそう簡単に………」
心廻の拒絶は、言葉とは裏腹に覇気がない。今や自分でも驚くほどに怒りや憎しみはなく、困惑と正体の分からない悲しみの感情しか湧かなかった。
目の前には、骸の少女が横たわる。引き取る息を持たない身体が代わりに熱を失っていく。生きた痕跡さえ失い、残ったのは子供一人分の亡骸だ。
ふと頭をよぎるのは朧げな記憶、かつて愛犬を弄んだ事を糾弾した自分に、彼女はこう言ったのだ。
「なら君が許さなくとも私が君の鼓動を大切にするよ、これから何があろうと、君の心臓を、心を伽藍にすることはない。そうやって私は贖罪していくよ」
そして彼女は約束を違えなかった。だが今更思い出しても、当の少女は灰へと還り、もう何事も伝えることはできない。後悔する事もできず、まるで伽藍の心臓の代わりに消えない傷を焼きつけられた気持ちだった。
されど胸の鼓動は変わらず時を刻み、少女の不死性を証明していた。
───
「暗く腐した陰謀を胎に隠し、他者の秘部を暴き立てるのが死霊使い。けれど彼女は、臓腐クロエは、代わりに情愛を秘め最期には心の蔵を開き、愛を告げた」
後ろからいつの間にか戻って来ていた少女に声をかけられる。
「そして彼女は何一つ曇りなく、誇り高く想いに殉じきった……」
振り返るとナズナがこちらを見据えていた。一緒だった筈の釜無は伴っておらず、彼女一人だった。ナズナは続きを告げるか少し躊躇っている様子だったが、最後には伏せていた顔を上げ、淀みなく宣言した。
「ならば私も始めよう、六年前の続きを、クロエと同じく君に胸を張って告白するために過去の清算を。心廻、君の死の運命を再び回し始めよう」
クロエは己の課した使命を何一つ恥じる事なく殉じきった。ならば自分も使命に向き合わなければと。
「初めまして、猪飼心廻。私は伊豆ナズナ改め、『
使命に決着を、六年前の続きをしよう。私が貴方にふさわしくいられるために、対等であるために」
「──そうか俺を殺すのか」
声音は自分でも意外なほど落ち着いていた。
茫然自失にはなっている。ナズナの理屈も分からない。だが彼女が本気なのは分かった。鈍い自分でも何年もの付き合いだ、それくらいのことは分かる。
「はい。親睦の果てに、友愛の末に、慕情の幕引きにて、それ等一切を断ち切って貴方を殺すのです。
それはまるで祝詞の様に誓願で神事の様に荘厳で、彼女にとってこれは儀式なのだろう。
───貴方を殺して責務を果たし、貴方の隣に私は立ちたい。
そうして彼女は立ちはだかった。
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