第18話 貴女はとてもいい仲間

「私、どう評価されてるのでしょうか?」


「寮委員長の新市ちゃんもいい新入寮生で良かったってほっとしてたし、みんな美希ちゃんのことを好きなのよ」


「私、人に好意を持たれるようなことを特にしていないと思うのですが……」


「私たちが美希ちゃんを好きなのは、美希ちゃんが特に何かをしたからしなかったからって訳じゃないわ」


「……」


 例えば、と由梨さんがこの夏のトラブルを話し始める。


「新市ちゃん、303号室の人に手を焼いていたでしょう?」


「ああ、西都大の人でしたよね。旅行先で鈴付きの壁飾りをお土産に買ってきてドアにぶら下げていた……」


 その鈴がドアの開閉の度に鳴るので、同じフロアの人から苦情が寮委員会に来ていたのだ。


 美希なら騒音で迷惑をかけているならすぐに外すと思うが、その人は「可愛い音色なんだから皆も楽しめばいいのに」と言い張り、寮委員長の要請を拒もうとした。


「新市ちゃんが『周囲が迷惑だと言っているのに、なんで外してくれないのよ』と嘆いてたわ。で、そんな困った人に比べて美希ちゃんや藤原さん達今年の新入寮生はアタリだって言ってた。ちゃんと共同生活のマナーは心得ていてくれるもの」


「そうなんですか……」


「あの人は西都大生なことにプライドがあって、それで同立大の新市ちゃんを軽く見てる節があるのよね。同じ西都大生の河合ちゃんからなら渋々言うことをきくし」


 同立大も関西の私立では有名な大学だし、そもそも大事なのは寮委員長としての力量のはずだ。


「新市さんはしっかりした人です」


「この人みたいに、西都大生を筆頭に自分より偏差値低い大学の人とちゃんと付き合わない人もいるのよ」


「へえ?」


 美希にはよく分からない感覚だ。


「炭ちゃんや筧ちゃんとかね。それから朝子ちゃんも……」


「……」


「美希ちゃんは炭ちゃんが漫画を熱く語るのを楽しそうに聞いているわよね。しかもちゃんと内容を覚えてる。例えば、炭ちゃんがいないときに藤原さんが『歴史漫画で面白いのないかな』って呟いたとたん、美希ちゃんが解説を始めたことがあったでしょう?」


「炭川さんの受け売りです」


「そう、受け売り。それができるほどちゃんと炭ちゃんの話を咀嚼しているって話。でも炭ちゃんをうっすら馬鹿にしている寮生もいるの」


「え?」


 そっちの方が不思議だ。娯楽室の漫画のクォリティの高さはひとえに彼女のおかげなのに。


「未だに漫画なんて下らない低俗なものだって思ってる人もいるもの。岩波文庫しか読みませんって声高に主張してね。ええと103号室の人だけど」


「高尚なご趣味ですね」


「そんな人は筧ちゃんとも話さない。でも、美希ちゃんは筧ちゃんに勧められた家計簿アプリをちゃんと続けてるわね」


「FPの筧さんに必要性を説かれてお金の管理は大切だと思って。あ、由梨さんもきちんと続けてますよね?」


「私は病的なくらいに自分の生活をコントロールしたいと思う性格だもの。自分の体重にこだわり過ぎるのは良くないけど、お金の管理はちゃんとしないとね?」


 もちろんだ。そして身体へのこだわりと違って、家計管理で健康を損ねる可能性もあまりない。むしろお金の問題は一生ついて回るのだから、若い内からFPと知り合えて由梨さんも自分もラッキーだったと思う。


「それからね、藤原さんが史跡巡りをした話をしたら、美希ちゃんも時間を見つけて同じ所に行ったりするわよね」


「せっかく京都に住んでいるんですから」


 東京から京都に観光旅行に来るなら何万円かかることやら。住んでいる間に見ておかないともったいない。


「藤原さんから聞いた史跡以外にも……祇園祭の宵山でパニックになった時の『小さな東京駅』。あれだって、建築家の辰野金吾について調べてたじゃない」


「京都の名建築を紹介する本が何冊か北大路の大垣書店に平積みになっていたので……」


 自転車で行けるイオンモール北大路には、今でもありがたいことにそこそこの広さの書店がある。


「朝子ちゃんにも看護師の生活を興味津々で尋ねてたじゃない? 朝子ちゃんが『救急外来にいると、取り乱してる患者さんやご家族に出来るだけ落ち着いて見せなきゃいけないから自然とゆっくりした話し方になるんだよ~』って話したら、とても感心した様子だったわ」


「切羽詰まった救急外来こそのんびりした話し方が求められる点が、逆説的で面白いんです」


「朝子ちゃんが寂しそうに言っていたけど、看護師はは社会的評価が低い歴史があってね。医師との対比で知的レベルが低いとか、汚物を扱う仕事だとか、患者のお世話係に過ぎないとか、今でも賤業視する人もいるのよ」


「そんな! 医療は人の命を預かる立派な仕事です。その中でも一番身近でお世話になる機会の多い看護師さんを賤しいと思うなんて!」


 由梨さんはにっこりと笑みを深くする。


「自然にそう考えることができるのが、美希ちゃんのいいところ。素直で、偉ぶらないで、相手に興味を持って……普通にそうできる美希ちゃんはとっても素敵な人よ」


「私はごくごく常識的に行動しているだけに過ぎないのですが……」


 由梨さんは深々とため息をついた。


「皆が美希ちゃんの常識を守ってくれるなら、新市ちゃんをはじめ歴代寮委員長の苦労もなかっただろうし、この世から差別やいがみ合いもかーなり減ると思うわ」


「は、い……ありがとう……ございます」


「単に常識的だという以上に、美希ちゃんには美希ちゃんならではの良さもあると思ってるの」


 私の良さ。それはいったい何だろう?


「美希ちゃんは人や物事に好奇心が旺盛で、偏見なく色んな立場の人の話を聞いて、その会話の内容を身に着けていく。更に、そうして自分のものとした内容を人に話してくれるから会話するのが楽しいの」


「そうですか?」


「言われたことない?」


「ありません」


「大学以降、そう褒められることが増えると思うわ。大学には単に大卒の学歴だけ欲しい人もいるけど、何かを探求したいから入学するのであって、知的好奇心が高い人が多いの。美希ちゃんみたいな『解像度が高い人』は好かれるわよ」


「解像度……ですか」


「うん。話していてそう思う。すでに河合ちゃんが言ってた。美希ちゃんと同じテーブルだと話が弾み過ぎて勉強が進まないって」


 美希はふと心配になる。


「私、喋り過ぎですか?」


「違う違う。美希ちゃんも喋るけど、美希ちゃんが人から会話を引き出すのも上手いの。不自然にそう仕向けているわけでなく、美希ちゃんは単に相手への関心から質問してるだけなんだけど」


「私は知らないことばかりですから……」


「自分の関心領域に興味を示してくれると、相手も楽しい。筧ちゃん、藤原さん、それから寮生じゃないけど東京駅の謎を解いてくれた武田という人も、自分が持っている知識に関心を向けてくれたらとても嬉しいと思う」


「……」


「河合ちゃんは今研究が立て込んでるから楽しすぎる美希ちゃんを避けざるを得ないけど、皆、食堂に美希ちゃんがいるとそのテーブルに自然と集まるわ。これは金ちゃんが発見した事実だけど」


「たまたまじゃないなら光栄です」


「偶然じゃないわ。金ちゃんは美希ちゃんをこの寮に連れてきた責任を感じているから、ずっと見守っているもの」


 そうか。金田さんは入寮後もずっと気に掛けてくれていたのだ。そんないい人なのに美希は……。


「私、金田さんに悪いことをしてしまって」


「何?」


「あんなに良い人なのに、私ったら最初は怖い人だと思ってしまって。外見で判断して申し訳なかったって反省しているんです」


 由梨さんが笑いながら首を振った。


「まさにそう思われたくてああいう外見にしているのだから、それでいいのよ。わざと『一見さんお断り』をアピールしているの」


「わざと?」


「金ちゃんは根が優しいでしょう? だから人に親切なんだけど……。世の中、他人の親切に慣れ切って、受取るのを当然だと思うようになる人も結構いるのよ。そうね、美希ちゃんの毒親も同じタイプかもしれない」


「……」


「金ちゃんが無理して頑張って、その上で『もうこれ以上は出来ない』って相手に伝えると相手が怒るの。『今までやってくれたのにどうしてダメなの? 貴女って冷たい人ね』って」


「そんな……。そこはこれまでの親切にお礼を述べるべき場面では?」


「そうよね」


 由梨さんは少し間を空けた。


「金ちゃんの場合、そこに別の事情も絡むの。金ちゃんはいわゆる在日コリアンでね」


「……」


「『自分は差別なんかしてない』と思っていても、心の奥底で『被差別者と仲良くしてやってる』と見下している人もいる。そんな人ほど金ちゃんから親切を受け取るのが当然で、金ちゃんの都合で打ち切られると自分の温情が裏切られたって腹が立つみたい」


「金田さんにとってはあまりに理不尽です」


「そうよね。だから金ちゃんも中学生で自我が強くなってきた頃、そんな相手と闘おうとしたの。だけど反対にイジメに遭ってね」


「イジメ……」


「で、高校生でいわゆる不良グループに近づいてみたんですって。ノリが違うからすぐ抜けたんだけど、そこで一つ大きな収穫があったって言ってたわ。それは外見を不良っぽくしておくと、そうね、本人の言葉で言えば『ナメられなくなる』」


「ああ……」


「金ちゃん、美希ちゃんを心配してた。清水さんは美希ちゃんを『優しそうだから』『大人しそうだから』という理由で好きになったって言ってたでしょう? でも、『あなたは優しい』という言葉を『お前は都合がいい』と同じ意味で使う人っているわ。金ちゃんはそれをよく知っている」


「その『都合がいい』が『安くてチョロい』なんですね」


 由梨さんは美希から視線を外し、窓から夜の闇を見つめた。


「悲しいわね。優しくあろうとするのは良いことのはずなのに。そして女性に期待されがちなことで、私たちは望ましい生き方をしてきたはずなのにね」


「私はともかく、金田さんが気の毒です」


「美希ちゃんもよ。そして朝子ちゃんも」


「長田さんも?」


「看護師は立派な医療従事者なのに『医療界の最底辺』なんて蔑む人もいる。そして『優しそう』にしていると、とことん酷い扱いをする人もいる。男性患者からナースコールで呼び出されて、レイプまがいの性犯罪に遭いかけて……」


「酷いです! 酷すぎます! 金田さんも、長田さんも何も悪くないのに! 由梨さんだって素敵な頑張り屋さんなのに! どうして誰かに傷つけられなければならないんですか!」


「私たちを……この寮の仲間を、誰から傷つけられるいわれのない、価値のある人間だと、美希ちゃんはそう思ってくれるわよね?」


 美希は力を込めて言い切った。


「もちろんですっ!!!」


 夜中にしては声が大きいかもしれないが、この胸の内を表すのにこれ以上声を小さくは出来ない。


「私たちは外の世界で色んなことに傷つけられるわ。でも一緒に憤慨してくれたり、愚痴を聞いてくれたり、そしてその後も挨拶や世間話で変わらない態度で接し続けてくれたり、そういう仲間がいるととても励まされる」


 そうか。だから美希も宵山の夜に「寮に帰りたい」と思ったのだ。そして、武田氏の「君のために怒ってくれる友人を大切にしろ」という言葉の意味も今なら分かる。


「美希ちゃんも仲間にそうしてあげられる人でしょう? 現に今みんなのために怒ってくれたのだし」


「はい」


「美希ちゃんはウチの寮の大切な仲間よ。毒親に植え付けられた『歪んだ認知』は一朝一夕には改められないかもしれない。けれど、この寮の仲間とのコミュニケーションの中でだんだん自分が人に好かれる人間なんだって自信を持てるようになると思う」


 由梨さんは何かを思いついた様子で「そうだ、ちょっと待ってて」と言い置くと、玄関横の受付室に入り、そして太マジックを手に戻って来た。


「金ちゃんが私にしてくれたことを、今度は私が美希ちゃんにしてあげたいわ」


 由梨さんは、白河さんが筆で「女子寮へようこそ」としたため、金田さんが「彼氏がクソでも仲間がいれば大丈夫」と書き加えた黄ばんだ紙に、マジックでギュギュっと「親が毒でも」と書き足した。


「どう?」


 こうして見ると、その紙はサブタイトル付きの小説の表紙に見える。


「京都市左京区下鴨女子寮へようこそ。親が毒でも彼氏がクソでも仲間がいれば大丈夫!」

 

*****

この小説は鷲生の実体験がベースにあります。

その辺のエッセイもございますので、よろしければお立ち寄りくださいませ。

「(略)下鴨女子寮へようこそ」へようこそ!」

https://kakuyomu.jp/works/16817139557002643221

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