第14話 食堂で大立ち回り

 清水さんと美希は何も話し合うこともないまま九月に入った。


 この時期に起こったこととしては、母から「衣料品を送ります」と荷物が届いたことくらいだ。父はけっきょく定期的に通院しているだけで勤務先も変わらないという。


 母が送ってきたのは叔母から貰い受けた高級ブランドの服だが、布地が薄すぎたり、着丈が短かったり、スパンコールが派手過ぎたり……これは学校に着ていけない。


 それでも誰か着るかもしれないと、寮の物置を管理する筧さんに持って行ってみる。


「あのさ、悪いけど処分させてもらうよ。これを着る人はいないわ」


 筧さんは呆れていた。


「お母さんは自分が着ない服を娘に押し付けたんだね。ブランドものを捨てるのは勇気がいるし、最近は物を捨てるにもお金かかるし」


「母は自分が着なくても、私の好みには合うかもと思ったんでしょう」


「美希ちゃんの服の好みってどんなの?」


「考えたことありません。制服がありましたからそればかりで。それに私みたいな不美人が着飾っても……」


 筧さんは「FPとして言わせてもらうけど」と言いながら大きなため息をついた。


「生きてりゃ買わなきゃならないものはどうしてもある。なら、自分の好みで選ぼう。それなら愛着も湧いて長く使う。それが節約とSDGsだよ」


 そして真剣な口調で付け加えた。


「服だけじゃなくて男だってそう。選んでもらうんじゃなくて、美希ちゃんが選ぶんだよ?」

 

 大学が始まった。


 美希は本部構内から東一条通りを挟んで南のキャンパスで全学共通科目を受講する。そのエリアの南図書館の前で金田さんに出会った。今日も金髪のウィッグだ。


「あれ? 金田さんも南の図書館使うんですか?」


 三回生以上は北の本部構内の中央図書館を使うのが普通だが。


「専門外のことをざっくり把握しておく必要があって新書を借りに来た。ねえ、これからお昼だけど一緒にどう? 私もいつも本部の中央食堂だから南の食堂で食べるの久しぶり」


 美希は「はい」と答えて思いついた。この食堂は二階建てで一階はいかにも学食と言う雰囲気だが二階は少しお洒落なカフェ風になっている。全般にややお値段は高めだが、目玉焼きをミンチで囲んだハンバーグだけは何故か二百円というお安さなのだ。


「金田さん、二階で目玉焼きハンバーグを食べましょう。安くておいしいんです」


 階段を上がったところのカウンターで注文し、その端のレジで会計を済ませ、そして空いている座席を探す。


 すると、「北村さん」という声がした。


「清水さん!」


 清水さんがニコニコと……本当に何の邪気もない穏やかな笑みで小さく手を振っていた。どうしよう。話をしたいようなしたくないような。だけど、ここで避けるわけにもいかない。


 金田さんが無言で清水さんの席に向かって歩き出し、その斜め向かいにトレイを置く。だから美希もその隣、つまり清水さんの真向かいに座った。


「なんだか久しぶりやね」


 清水さんは金田さんを全く気に留めない。混んでいるから、たまたま同じタイミングで美希と関係ない女性が斜め前に座ったとしか思っていないのだろう。


「祇園さんの時はごめんなあ」


 飄々と軽く謝る。


「はあ……」


「あれから全然連絡くれへんかったけど」


 金田さんがぐいっと頭を持ち上げる。金田さんはわざわざこちらから連絡することないと言っていた。だけど、清水さんは美希からの連絡を待ってたのかもしれない。


「スミマセン」


「ええよ。僕がほったらかしにしてしまったから、北村さんも怒ってしもたんやね」


「怒っている訳じゃ……」


「黒田さんは、あれ、お父さんと一緒やったんや」


「そうだったんですか」


「黒田さんに叱られてしもた。ちゃんと彼女を安心させなきゃダメだって」


「はあ……」


「でも……僕、黒田さんに北村さんのことを相談してて思たんやけど、僕はあまり器用やないから、女の子と上手くやっていかれへんと思う。もう別れよう」


「は?」


 どうして?


「私、別に怒ってなんかいません。そんな……私から連絡した方が良かったんだったら謝ります。これからだって私の方からこまめに電話しますし……。私、清水さんが好きですから……努力します……」


 清水さんは「ごめんね」としか言わず、その顔はどこまでも柔らかい。何の感情の揺れもなく淡々としている。恋人と別れるってこんなに平穏な顔をするものだろうか……。


 美希の頭は想定外の事態に混乱してしまう。寮の皆に説明したように、清水さんは少々美希に不満があってもお付き合いを解消するほど大きな決断をするとは思えなかった。何しろ清水さんは今後も女性と縁があるような男性ではないのだから。


 炭川さんが「ケンカップル」と表現したように、展開次第で喧嘩になる可能性についてなら少しは考えていた。険悪なやりとりが拗れれば最終的には「別れる」なんてこともあるかもしれないとぼんやり思ったこともある。けれど、それはそれなりにトラブルを抱えて時間を過ごしたずっと先の話じゃないだろうか。どうして今、こんなに突然決まってしまうのだろう?


 宵山以降初めて顔を合わせた清水さんは、微笑みながらきっぱりと「別れよう」と繰り返す。


「もう、決めたし。黒田さんともちゃんと相談した上で決心したんや」


 どうして? 別れる前に「私と」いろいろ何かあるものじゃないの?


「北村さんが納得いかへんなら、黒田さんに説明して貰ったら分かりやすいかもなあ」


 だから、黒田さんは関係なくて……。


「でも……」


 横から「美希ちゃん」と肩を掴まれた。


「金田さん……」


 金田さんは物凄く険しい表情で清水さんを睨みつけた。


「あんた、ちょっと勝手すぎるんじゃないの!」


 清水さんはあからさまに狼狽して、美希に尋ねる。


「この金髪の怖そうな人、知り合い?」


 美希が答える間もなく、金田さんがドスを利かせる。


「そう、知り合い。あんたも知り合い呼んでもいいわよ、その黒田って女を」


「黒田さんは……」


「黒田さん黒田さん黒田さんって、あんた何考えてんのよ? 別れるなら美希ちゃんと話し合うべきでしょ。その美希ちゃんには何も連絡寄越さないのに、その間に黒田って女には相談してたのね?」


「だって……黒田さんは大人の女性やし……。母性があるっていうのかな、うん。だから信頼できる女友達で。その黒田さんが言うには……」


「知るかあっ!」


 金田さんはコップの水を掴むや、そのまままっすぐ清水さんの頬にぶっかけた。美希は言葉も出ない。清水さんもまた。自分の頬から水滴がポタオタ落ちても、自分が水を掛けられたとは思い至らない様子で呆気に取られている。


「あんたね! 彼女を無視しといて、他の女に『母性がある』なんてすり寄ってんじゃないわよ!」


「すり寄るなんて……。黒田さんはいい友達で……とても知的で尊敬できる人だよ。僕はやましい気持ちなんか無い。ただ、人間として素晴らしい女性だなあと思ってて」


「そうだ」と清水さんは口調を変えて、美希に笑みを作った。


「だけど、黒田さんは近づきがたい女性でもあって。その点、北村さんは優しそうやし。それで好きになったのに……本当はこんな怖い人と仲間やったんやね」


「君は僕の思ったような人じゃなかった」という落胆を、はっきりそれと分かるように滲ませた言い方だ。そんな言い方は何かずるいと思う。だけど、何と言っていいのか分からない。


 ピシャッと再び水音がした。金田さんが今度は美希のコップの水をぶっかけていた。


「あんたって奴は! 黒田さんが『高い女』で手が出ないから、だから『安くてチョロい』と思って美希ちゃんに近づいたでしょ!」


「そんな悪く受け取らないで欲しいんやけど。同じ文系で同じように長くて黒い髪が綺麗で、だけど北村さんの方が大人しくて優しそうで……せやから可愛いなあと。ただ、本当に申し訳ないけど、僕は面倒くさがりで女の子の相手が出来ひんつまらん男やから。きっと北村さんにはもっといい男性がいると思うし……」


「ナメてんじゃないわよ! 面倒くさいが言い訳になると思ってんの?」


 ガッシャーン。


 金田さんは本当に激昂しているらしい。目の前のトレイを横に薙ぎ払ってしまい、美希のランチが床に落ちてしまった。目玉焼き入りハンバーグがころころと床を転がる。 そして、そのハンバーグを目で追った美希がふと視線を上げると、食堂中が静まり返って美希たちを見ているのに気づいた。昼休みの人混みのピークは過ぎても、まだ午後の講義が始まっていないからかなりの人がこちらを凝視している。


 恥ずかしい。穴があったら入りたい。金田さんにはやめてもらおう。どうせこんなことだろうと思った。自分みたい価値のない女性に恋人なんかできるわけがなかったのだ。


 どうして始まった仲なのかも、どうして終わる仲なのかも理解できないが、それもこれも自分なんかに彼氏ができるわけがないと思うと納得がいく。悲しいけれど仕方ない。自分は身の程を思い知らされただけ……。


 清水さんの斜め後ろの通路側にいた男性が、腰を浮かして腕を伸ばし床に転がったハンバーグを拾い上げてくれた。その側にお皿とフォークも散らばっている。その男性は椅子から滑り降りるとそれも拾ってくれようとする。


 美希も慌ててしゃがみ込んで「あ……」と声を漏らした。武田氏だ。


「席が近いからやり取りが耳に入ったんだけど。宵山はあの男性と一緒だったの?」


「え、ええ、そうなんです」


 美希はそうとだけ答えてリノリウムの床の上にばらばらと散らばってしまったキャベツのみじん切りをかき集める。氏もトマトの切れ端を摘まみ上げると渡してくれた。


「俺から一言言わせてもらうが」


「はい?」


 全く関係ないこの人が何を?


「学校は休むなよ。学生の本分は学問なんだからな」


「……は? はい」


 文脈はさっぱり分からないが、正論以外の何物でもないので美希もそう答えるしかない。


「それから友人に感謝するべきだ。君のために怒ってくれているんだから」


「……はい」

 

 美希と武田氏がしゃがんでいる傍を、ジーンズを履いた脚が走り抜けていく。清水さんだ。


「ちょっと待ちなさいよ!」


 金田さんの怒声が階段にまで響く。だが、清水さんは振り返りもせず、階段を駆け下りて逃げて行ってしまった。それでも、金田さんは引き下がらない。自分のバッグをひっつかむと追いかけていく。


 ポン、と肩を優しく叩かれた。振り向くと寮の人だった。


「午後に講義ある? 私は午後の予定ないから一緒に寮に帰ろ?」


 ひょっとしたらその寮生は、本当は午後にも用事があるのかもしれない。ただ、食堂で注目を浴びてしまった美希に気を使って、この場から誘い出してくれようとしているのかもしれなかった。


*****

この小説は鷲生の実体験がベースにあります。

その辺のエッセイもございますので、よろしければお立ち寄りくださいませ。

「(略)下鴨女子寮へようこそ」へようこそ!」

https://kakuyomu.jp/works/16817139557002643221

第14話  「母性を感じさせる特別な女友達」を持つ男

https://kakuyomu.jp/works/16817139557002643221/episodes/16817139558535057926


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