第6話 女子寮の夜は更けて
新市さんがスクっと立ち上がる。
「さて、急いでお風呂を済ませないと。この寮のお風呂はボイラーの関係で十二時までなのよ」
美希はハッとする。
「私、いろんなものを持っていなくて……」
ホテルに泊まるつもりだったから着替えとかはあるが、タオルなどホテルをあてにしていたものは持ち歩いていない。
筧さんが「大丈夫。収納整理アドバイザー2級の私に任せて!」と胸を叩いた。は? この人FP以外にそんな資格も持っているの?
「三階の奥の空き部屋を物置にしてるのよ。今は環境問題もあるからね。退寮した人が残したものをキープして皆で使うの。さ、急ごう」
筧さんが席を立ってドアに向かい、美希もついていく。背後から新市さんの声がかかった。
「そうだ、筧ちゃん! 北村さんに、和田さんの許可もとったから客用の部屋じゃなくて今晩から二階の202号室使うって三階に行きながら教えてあげて!」
「了解!」
和田さん? 202号室? 地階から三階まで四フロア分の階段を上りながら筧さんが説明してくれる。
「この寮は二人一部屋でね。で、北村さんが到着するまでに寮生委員会で和田さんと同室がいいんじゃないかって決まったの」
「和田さん?」
「西都大学法学部四回生。ウチの寮は大体専門が近い人どうしで同室にしてる。専門書を共有したり議論したりできるから」
「へえ! いかにも大学生って感じで知的です! でも、私なんかが西都大学四回生のお相手できるでしょうか……」
「貴女だって西都大生じゃん。自己評価の低い人だねえ」
「……」
「ま、別に寮に帰って来てまで勉強の話をしたいって奇特な人はあまりいないよ。和田さんも堅苦しくない明るくて朗らかなだよ」
「それは安心しました……」
「もう卒業に必要な単位は取ってて、後は大学院入試に必要な勉強を滋賀の自宅で頑張るんだって。今年度は大学で用事があったらときどき寮に泊まるくらいの予定。それ以外は北村さんが一人で部屋を使えるよ」
そして二人は三階の一番奥の部屋についた。筧さんが「じゃーん」と言いながら大きくそのドアを開ける。
「どうよ、収納整理の有資格者によるこのこの整頓ぶり」
「凄いです!」
その部屋には退寮した人たちの残していったものがとてもきちんと整理されていた。部屋に入ってもどこに何があるか一目瞭然だ。
衣装掛けには様々な衣類が整然と掛けられている。扇風機や電気ストーブが床に並び、カラーボックスの収納ケースには文房具や延長コード、ドライバーや巻き尺など細々したものがきちんと分類されていた。
「まずは布団を一組202号室に持って下ろそうか。この間干したばかりだからふかふかだよ~。客用寝室にあるのは何年も使い古したせんべい布団だからこっちの方が絶対いいって」
「はい」
敷布団を美希が、掛け布団を筧さんが持って二階に降りる。
「あの、筧さんは色んな資格をお持ちなんですね?」
「うん。ウチの大学は天下の西都大学ほど就職良くないもの。少しでも有利になりそうな資格は取っとかないとって思っててね。今はITパスポートとかも考えてる」
「偉いですねえ」
「でも、私に司法試験は無理だからさ。その点は西都大生の北村さん凄いよ。ぜひ合格して弁護士になってね。同じ釜の飯を食った仲間が弁護士だなんて、もし私が個人で起業したら強力なビジネスパートナーができてすごく助かりそう!」
筧さんが笑顔で布団を抱えたままサムズアップした拳を美希に向けた。つい美希もつられて同じように返す。こういう期待のされ方は嬉しい。美希の能力をあてにするのは同じでも、母と違って気持ちがいいのは、筧さんは筧さん自身で頑張る意思が明確だからだろう。
筧さんは202号室の入口の電気のスイッチを入れた。正面には大きな窓があるようで、今はカーテンが閉じられている。片方は白っぽく、片方は茶色い。
筧さんが「あ、カーテンだけは前の住人のままなんだよ。気に入らなかったら自分の好みのものに買い換えてね」と説明してくれた。
窓際には両側の壁に向かってそれぞれ勉強机が置かれている。その手前にはベッド。右側のベッドには布団が敷かれているが左側はからっぽだ。
「見てのとおり右が和田さんのベッド。さ、左のベッドに布団を敷くよ」
ベッドの足元には片開きの収納庫があった。季節外の衣類やその他生活用品はここに収納することになるのだろう。
「八畳を二人でシェアするの。まあ、今どき相部屋の寮ってのも滅多にないけどね。どうしても相手と合わなくて部屋替えする人もときどきいるし、退寮する人もいる。でも、北村さんと和田さんどちらも穏やかそうだから問題ないと思うし、それに今年は和田さんがほとんど寮にいないから一人暮らしのようなものだよ」
「はい。でも、和田さんとおっしゃる方とお話できるのも楽しみです」
筧さんが微笑む。
「うん。寮生活は人間関係が煩わしいこともあるけど、一人じゃないのもいいもんだよ。愚痴をこぼしあえたり、生活に役立つ情報を教えあえたりするから。今年は和田さんいないけど、一人が寂しくて人と話したくなったら食堂や娯楽室で相手を見つけたらいいよ」
娯楽室とは何だろう?
「一階の受付の向かいの部屋。この寮はまだテレビが贅沢品の時に造られたからさ。その部屋に共用のテレビを置いて皆で見てたの」
「ええと、昭和史に出てくる街頭テレビみたいな……」
「まあ、平成になっても令和になってもこの寮ではテレビは共用だったんだけどね。そのうちネットの時代になって。ネット関係は勉学にも必要なインフラだから、それはきちんと整えられてる。だから最近は娯楽室でテレビを見る人も減ったなあ。今はそこに置いてある本や漫画を読みに来る人が大半だね。宝華大漫画学科の炭川さんが来てからは特に蔵書が充実したし。あ、そうだ」
「何ですか?」
「今は電子書籍の時代だけど。北村さんも本や漫画を買う時は紙にして欲しいんだ。そしたら娯楽室で共有しやすいから」
はいと美希が答える間に、筧さんは共有という言葉で別のことを思い出したらしい。
「そういえば、自転車乗れないんだって?」
「え? ええ……」
「和田さんが、自分が京都にいない時は寮の駐輪場に置いてある自分の自転車を練習に使っていいって言ってたよ。本当、京都で自転車に乗れないと何かと不便だから早く乗れるようになりなよ」
「はい」
ここで廊下から声が聞こえた。マイクを使った館内放送のようだ。
「下鴨女子寮の受付です。皆さん十一時になりました。館内を消灯します」
筧さんが慌てて早口で説明してくれる。
「ウチの寮は十一時に消灯。つっても玄関と食堂の電灯を消すだけだけど。一応受付室の全館放送でアナウンスはすることになってる。ってか、お風呂は十二時までの時間帯が一番混むから、急いで入ろう」
「あ、筧さんお先にどうぞ。私、三階の物置部屋で洗面器とかシャンプーとかタオルとかの置き場所見つけましたし」
「わ、ありがと! 助かるよ。じゃあ、お先にお風呂もらいまーす!」
美希はもう一度三階に上がって必要なものを揃え、地下の浴室に向かった。共用のお風呂は、美希が中高の修学旅行で泊まった旅館の大浴場をオンボロにしたような感じだ。
どの蛇口も塞がっていて、浴室の中ほどをうろうろしていると由梨さんの声が聞こえた。
「北村さん?」
こうして見ると改めて由梨さんは本当に細い。「骨と皮」の少し手前くらいだ。
由梨さんが「私、もうこの蛇口使い終えたから。次どうぞ」と場所を譲ってくれたので、美希もそこをありがたく使わせてもらった。
お風呂を終えて脱衣場で身体を拭こうとすると、炭川さんがパジャマのボタンを閉めている。
「混んでたねー。私は文系だから寮に帰ってくるのも早いし普段は夕食前に入ってんの。その時間だと空いてるよ。やっぱり理系の人とかは帰ってくるのも遅いからこの時間は避ける方がいいね」
「私も明日から早い時間に入ります。その方が皆さんにもいいでしょうし」
「うんうん、そうだね」
十二時を回ると、寮のあちこちから潜められた声で「おやすみ」「おやすみなさい」と夜の挨拶が聞こえてくる。
美希も自室の電気を消して布団に入った。つい先月まで見知らぬ人が使っていたお布団。けれども、今日一日はあまりにも多くの出来事が立て続けに起こり、美希は枕が変わろうが何だろうが気になることなど一切なく、あっという間に寝付いてしまったのだった。
*****
この小説は鷲生の実体験がベースにあります。
その辺のエッセイもございますので、よろしければお立ち寄りくださいませ。
「(略)下鴨女子寮へようこそ」へようこそ!」
https://kakuyomu.jp/works/16817139557002643221
第6話 某国立T大学のオンボロ女子寮
https://kakuyomu.jp/works/16817139557002643221/episodes/16817139558201551363
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