ヒサを見送ってすぐに、栄ちゃんが「帰る」と言いだした。

「僕も、実家に戻るよ。借りてる部屋は、退去するつもり」

「そうだ。そもそも栄ちゃんは、どうして、俺のところに来たんだよ」

「親とケンカして……。『大学院なんかに行ったから、就職先がなくなったんだ』って、言われて……。でも、違うんだ。本当はコロナのせいだって、僕も親も、わかってる。内定を取り消されたのは、僕のせいじゃない……と、思う」

「それ……。なんで、言わなかったの」

「言っても、どうしようもない。研究したかったのは事実だし……。栃木の大学院にしたのは、少しでも家族のそばにいたかったから……。

 こんなことになるって知ってたら、きっと、院は諦めてた」

「間違ってないよ。その選択が正しかったって思える日が、ちゃんと来るから」

「だと、いいね……。『フリーターにさせるために、院まで行かせたんじゃない』って言われて、切れちゃって。学費も生活費も、全部親持ちで、東京まで出てきて……。その結果が、これってね。僕が親だったら、がっかりするだろうなって。

 親の気持ちがわかるから、余計につらかった……」

「頑張れよ。たまには、帰ってきていいから。まあ……数ヶ月とかなら」

「いいね。それ。東京の方が、時給も高いしね。

 ありがとう! またね!」


 岡田と俺だけが残された部屋で、とほうに暮れた。

 岡田は、疲れたような顔をして座りこんでいる。向かい合うように腰を下ろした。

「お前は、帰らない……よな」

「んだな」

「家、どうなったんだよ。全壊したのか?」

「わがんね。まー建てかえになるべな。でごじゃれちったんだ。しゃーあんめー」

「お前の言葉って、雰囲気で受けとめてるけど、まじで意味不明な時あるぞ」

「かまねよ。好きなよーに、聞いてくれっけ」

 どこか投げやりに聞こえた。

 ふっと顔を上げて、岡田が俺を見る。

「コロナが人だったら、ひゃっぺんくれー、殺してやりてーな」

「おい。岡田……」

「ウイルスだかんな。なじょーにも、できねーな」

 狂気をはらんだ目をしていた。ぼんやりしているように見えて、実のところ、岡田はとても鋭い。大学の頃から、わかっていた。

「就職、どこか決めてるのか」

「なんも」

「そう、か」

 殺気のようにも感じられた気配が、岡田からはがれ落ちていく。

 視線を下に落とした姿は、ひどく弱々しく見えた。

「俺の会社は、まだ体力ありそうだからさ。不本意かもしれないけど、バイトとかから始めて……。また就職するまでは、ここにいていいから」

「そげなわけには……」

「いいから。家が建つまで、家族は仮設住まいなんだろ? ここの方が気楽……かもしれないだろ」

「んー」

「家事とか、してくれれば」

「家事は、すっけど。ふつうに」

「つらい思いをしてるのは、お前だけじゃないからな。バカなこと、考えるなよ」

「んだ、な」

「ヒサも、栄ちゃんも、お前自身も、忘れてるみたいだけど……。

 お前は女の子なんだから。ほんとは、俺のところになんか、来ちゃだめだったんだよ」

「ほーかい」

「仕事してた時の写真とか、ある?」

「……ん」

 スマートフォンをいじって、画面を俺に向けた。

 マスクをしていない岡田薫が、口をあけて、楽しそうに笑っていた。紺色の小さな帽子をかぶって。同じ色の、ジャケットとスカートの制服を着て。

「美人……だよな」

「いや、どーも」

「かわいい」

「……」

「どうして、俺に会いに来てくれたの?」

「会いたかったから。そんだけ」

「嬉しい」

「そんなら、いがった」

 空気の色が変わった。落ちつかない気分だった。

 二人きりになってから、手汗がひどい。

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