旅立つ彼に渡した悪戯な餞別

金石みずき

旅立つ彼に渡した悪戯な餞別

 世間は春と言うけれど、早朝に頬を撫でていく風はまだまだ春の陽気とはとても言えないくらい肌寒い。

 ここに来る道中に見た桜も、蕾が綻んで花が開き始めた頃合いで、まだまだ雀だってついばみやしない。

 春というのは花が開くように優しく、暖かで、心がほんわかとするような季節であって欲しいというのは私の贅沢なのだろうか。


 今日は三月三〇日。なんでもない春休みの中の一日だ。

 でも私にとってはなんでもない日とはとても言えない。だって今日は――。


 私の二年間に及ぶ片想いに終止符を打つ日だからだ。



「お、来てくれたんだ」


 改札前にある太い柱に身体を寄りかけていると、私の想い人――須崎の声が聞こえた。

 私は柱から身体を離し、声の方向へと向ける。

 すると須崎が「よっ」と眼鏡の奥に人の良さそうな笑みを浮かべながら、こちらに向かって右手を挙げていた。


「そりゃあ、あれだけ『今日出発だ』って言われたら来るよ」

「ははっ。そう言って本当に来てくれるのは梅内だけだよ」


 そんなわけないでしょ、と言いかけて口を噤む。どうせならそういうことにしておいた方が、私だけ特別って感じがして気分がいい。

 何せ今日、須崎は遠方へと引っ越してしまうのだから。


「ほら、切符受け取っておいで。須崎のことだから予約はしてるんだろうけど、発券しないと乗れないでしょ」

「知識が古いな、梅内。今はこれで乗れるんだよ」

「……知らなかった」


 そう言って見せられたのは交通系ICカードだ。私の認識だと、新幹線で指定席に乗るときは使えないはずだったんだけど……。

 時代に乗り遅れたお年寄りみたいで、少し恥ずかしい。


「ま、俺もついこの前知ったんだけどな。もしかしてと思って調べたらいけるっぽかった」


 すげーよな、と須崎が笑う。そこには別に馬鹿にするような色は浮かんでいなくて、私も純粋に笑みで返すことが出来た。


「いつまでもここで話してるのもなんだし、早いとこ駅の構内に入っちゃおうか。乗り遅れるわけにはいかないでしょ」

「あ、でも俺、おにぎり買いたい。朝から何も食べてないし」


 私は「中でも買えるでしょ」と、須崎の背中を改札の方へと押す。

 その行動に、須崎は慌てたような声を出した。


「わかった! わかったから押すなって!」

「はいはい、行くよ」


 須崎の声を無視して私はぐいぐいと背中を押し続ける。最初は抵抗していた須崎だったがすぐに諦めて歩き出したので、私も押す手を下げて少し後ろを歩いていく。

 さっさと落ち着いた場所に行き、二人きりで話かったのだ。



 駅構内のキヨスクでおにぎりと飲み物とちょっとしたお菓子を購入し、目的の新幹線が発着するホームまでやってきた。

 平日の朝の早い時間とあってか、同じ新幹線に乗るであろう人の姿はそれほど見受けられない。

 私と須崎は並んでベンチに座った。真っすぐ前に視線を向けると、向かい側のがらんどうのホームが見えてしまうのがなんだか物寂しい。

 だからちょっとセンチメンタルな気分になってしまって、普段はあまりしない昔話をしてしまうのは仕方のないことだ。


「まさか梅内とこんなに仲良くなるとは思わなかったわ」

「それはこっちの台詞。最初は正直言って、『なんだこいつ』と思ってたからね」

「マジ? 普通にいつも笑顔で対応してくれたから、『ひょっとして俺のこと好きなのかも……』とか思ってたわ」

「そんなわけないでしょ。ちょっとその考え方はおめでたすぎ」


 須崎の冗談にちょっとドキリとしたが、外には出さないように気を付けながら言葉を紡いだ。実際、初めは本当に『なんだこいつ』と思っていたのだ。そこに嘘はない。


「だって教室で本読んでたら突然、『俺もそれ読んだことあるぜ! おもしれーよな!』とか言ってネタバレ始めるんだもん。しかもあのとき読んでたの、ミステリだよ? ぶっ飛ばしてやろうかと思ったよね」

「あのときのことは大変申し訳なく……!」


 土下座でもしそうな勢いで頭を下げる須崎の姿が滑稽で、ふふっと笑いが込み上げる。須崎はいつもこうだ。何も考えずに行動するからよく失敗するけれど、こうやってすぐに謝るからなんだか憎めない。


「でもまぁ、お詫びじゃないけどその後で紹介した本はどれも面白かっただろ?」

「そこは、まぁ。でも私の紹介した本だって楽しそうに読んでたじゃん」

「そうそう! やっぱ女子目線って言うの? 本屋に売ってても絶対読まない本だったから、本当、得したわ」


 また須崎は「ははっ」と笑う。目端に皺が寄り、頬が綺麗に上がって白い歯が顔を覗かせる。

 これだ。この笑顔だ。

 この笑顔を初めて間近で見て以来、私は須崎から目が離せなくなってしまった。


 そんな話をしていると、やがて目的の新幹線の到来を告げるアナウンスが流れた。

 須崎は顔をあげると、ゆっくり立ち上がって荷物を手に持った。

 それをきっかけに会話が止まる。

 一〇秒、三〇秒、一分、と無言の時間が流れていく。


 そして線路の先に新幹線が見え、こちらに向かって確実に進んで来る。

 もうすぐお別れだ。


 だが、その前に私にはやらなければならないことがある。

 覚悟を決めて、鞄から『あるもの』を取り出して立ち上がり、須崎の胸に押し付けた。


「――っと。何?」

「これ! あげる」


 押し付けたのは一冊の文庫本だ。


「新幹線に乗ってる間、暇でしょ? これでも読んで時間潰しなよ」

「……おお。気が利いてるな」


 須崎は一瞬戸惑ったようだったが、渡されたのが本だとわかると相好を崩して受け取ってくれた。


「でもいいのか? 俺、何も用意してないんだけど」

「いいよ、別に。ただの餞別だから。向こうでもうまくやんなよ」

「おう! 任せとけ。こう見えても俺、結構友達作るのうまいんだぜ」


 ――知ってるよ。私がこれだけ心を開いた相手は須崎しかいないんだから。


 新幹線がホームに着いて扉が開かれる。降車する人に続いて、須崎も乗り込む。

 須崎が車内を移動するのに合わせて私もホームを歩いて着いて行き、辿り着いた指定席の窓の横に並び立った。


 荷物を片づけることもせずに須崎はこちらに向かって、まるで子供みたいにぶんぶんと手を振っている。

 別れの余韻なんて全くないその様子に苦笑しつつ、私も顔の横で小さく手を振った。

 そして最後に窓の向こうで「じゃあな」と唇の動きだけで私に伝え、須崎は旅立っていった。



 それから三時間ほど経った頃、スマートフォンが『ピコン!』とデフォルトのままの通知音を鳴らした。

 鞄から取り出して画面を見ると、そこにはメッセージアプリを開くまでもなく、通知内容が表示されていた。


『ちょっとこれはズルくねぇ?』


 それを見た瞬間、思わず「あははっ」と笑いが零れる。今は外にいるから周りには奇異の視線で見られているかもしれないが、そんなことはお構いなしだ。

 それよりも私の仕掛けた悪戯がきちんと働いてくれたことが嬉しくて仕方がない。

 先ほど渡した文庫本こそが、その正体だ。



 あの文庫本は女性向けの作品が多いレーベルから出版されており、ああいう小説を須崎は絶対に自分から手に取ることはない。

 だからあの本を読んだことがないということは聞くまでもなくわかっていた。


 あの小説では大人しい少女が恋をすることをきっかけにだんだんと成長していく姿を一冊に渡って描いている。

 最初は他人に話しかけることすら覚束ない少女だったが、屈託なく話しかけてくれる彼の姿に惹かれていき、やがて恋をする。

 その恋を成就させるために頑張って自分を変え……という話なのだが、正直言ってそれ自体はどうでもいい。


 もちろん内容もおすすめできるものだったけれど、私があの小説に目を付けたのは、最後のシーンが告白の言葉で終わり、結局付き合えたかどうかわからないというところにある。

 要するにあの小説は少女が成長していく姿を描くことが目的であり、恋の結末は読者の想像に任せるというスタンスをとっているのだ。

 そしてその告白を際立たせるために最後の一ページは、少女が意中の彼に告白する言葉一つが真ん中に書かれているだけで、他には何も書かれていない。


 だから私はその告白の言葉――


 『ずっとずっと、大好きでした。私と……付き合ってください!』


 という台詞の前後に、

 少々ズルいような気がしたが、これが最後まで素直になれなかった――この物語の少女のようには成長できなかった私にとっての精一杯のラブレター。

 それが意図した通りの形で須崎に届いてくれたのだ。



『ちゃんと読んでくれたんだ?』


 私の返信に、即座に須崎の返事が返ってくる。


『読んだよ、読んだ。言い逃げもいいところだろ、こんなの』


 きっと画面の奥で、須崎は頭を抱えているのだろう。この二年間、見続けてきた彼のことだ。その様子が手に取るように分かった。

 だから私はいつも通りに返信する。


『勝手にいなくなったのはそっちでしょ』

『そうだけどさ……』


 少しだけ間が空き、私の返信を待たずに須崎からメッセージがやってきた。


『また必ず会いに行くから、返事はそのときな』


 それはつまり……そういうことだろうか。

 私は僅かにメッセージを送る。


『わざわざフるために帰ってくるの?』


 そしてたっぷり一分ほど経って、スマホが『ピコン!』と音を立てた。


『そんなわけないだろ、ばーか』


 通知画面でそれを確認した私は思わず「やったー!」と叫んでしまった後で、ここが外だと思いだし、誰にでもなく「す、すみません……」と小さく頭を下げた。

 普段ならめちゃくちゃ恥ずかしいんだろうけど、今の私の心はすっかり浮き立っており、そんなものを感じていられるような隙間なんてなかった。


 須崎とすぐには会えなくなった。

 でもいつでもこうやってやり取りできるし、電話だって出来る。

 これはお別れだけど最後じゃない。きっとまた会えるし、これからも私たちは続いていく。



 今の季節は春。

 早朝から昼にかけてぐんぐんと気温は上がり、この時間はもうコートなんていらないくらいにぽかぽかとした陽気に包まれている。

 今朝は蕾が目立った桜も、きっとより多くの花を咲かせるだろう。

 そんな麗らかな春の日差しが眩しく、山笑う今日この頃。


 私の二年間に及ぶ片想いは最高の形で終止符を打たれた。――ってことでいいんだよね? 多分。返事聞いてないけど。

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