第69話 帝国の姫と無能力者
「さぁリリレット、マルクトア! 今の内に行くわよ!」
「ひ、姫様。本気ですか?」
「ええ。次の予定までまだ時間があるでしょう? 今の間に皇都を散策よ!」
ヴィオルガはリリレット、マルクトアを引き連れてお忍びで皇都を散策しようと準備を進めていた。
せっかく遠路はるばる来たのだ、皇国貴族に案内されるよりも、素の皇都の風景をこの目に収めておきたい。そう考えての事だった。
「フィアーナには上手く言っておくように伝えてあるから大丈夫よ。さ、はやくこのローブを羽織ってフードで顔を隠しなさい。ここでは私たちの姿は目立つもの」
「あ……あの。何故自分も……?」
マルクトアは恐る恐るという様子で手を挙げる。姫のお忍び散策に付き合わされる理由は分からないし、何なら止める側ではないだろうかとも悩んでいた。
「あなたはリリレットの護衛よ。私なら大丈夫だけれど、リリレットは魔術師じゃないから。それにあなた、聖騎士の中で一番若いでしょ? せっかくの機会よ、あなたも皇国の都というものをよく見ておきなさい。きっといつか役に立つわ」
「は、はい」
ヴィオルガは上手く丸め込んだ手ごたえを感じ、皇都へ繰り出す。帝都にいた頃も時折、こうして下町へ遊びに出かけていた。この悪癖はフィアーナを始め、幾人かの貴族には知られている。
皇国へは行きたくなかったが、来てしまったからには好奇心を抑えられない。少々面倒な性格の持ち主である。
そして後から何か言われた時に備えて、ちゃっかり聖騎士も共犯にする。フードを目深く被り、ヴィオルガは先頭を行く。
「さぁ行くわよ!」
■
昼を迎えた頃、俺は早朝の釣りから皇都に帰ってきた。釣果はゼロだ。せっかく早起きしたのに。
まぁ終わった事は仕方ない、俺はすっかり空っぽになってしまった腹を慰めるために飯処に入った。この店は入店時に食べたい物を伝えると、座った机まで持ってきてくれる。
俺は店員が運んで来た蕎麦と、握り飯の味に感動を覚えながらよく噛み締めていた。ああ、やはり調理された食材というのは素晴らしい。
ところで俺が今、座っているのは店内に設置された長机の一角だ。隣や正面に他人が座っている事は何も珍しくはない。
だが俺の正面には、見るからに怪しいゆったりとした服を身に付け、その服に付いている頭巾を被った三人の男女が座っていた。さらに俺の両隣には町人に扮した偕と涼香がスッと腰を下ろす。
「……おい。お前ら……」
「しっ! 静かに!」
「すみません、兄さま。そのですね……」
偕も遠慮がちに小声で話してくる。正面の怪しい三人を見て何となく事情を察する。三人の顔は伺えないが、食事をとるその手は白い肌をしているのだ。
それに正面の女。顔を隠しているとはいえ、いくらか金色の髪が流れ出ている。この時期に皇都にいる帝国人に、近くに控える近衛と武人。これだけでいくつか想定ができる。
「いや、いい。聞きたくない。お前らの仕事だろ? 俺を巻き込むなよ」
「なによ。ちょっとくらい手伝ってくれてもいいじゃない」
「名うての近衛に武人が控えているんだ。十分だろ」
偕も涼香もなるべく三人に気づかれたくはないようだ。まさか帝国人の犯罪者、という訳ではないだろう。どちらかというと、何かしでかさないか見守っている感じだ。
(……秘密裏に護衛しているってところか。間違いなく関わると面倒な事になるな)
さっさと食って立ち去るに限る。偕と涼香も運ばれてきた蕎麦を食べ始めたが、俺は二人に合わせる事なくさっさと胃に詰め込んでいく。
「く……。これ、どう使うのでしょう……」
「あら。調べてこなかったの? これは箸といって、皇国で使われているものよ。まぁこっちで出される食事はその辺り、気を使われているみたいだしね。初めて見たでしょうけれど」
……なんだか事情が分かってしまいそうな会話が繰り広げられている。とにかくこいつらに積極的に関わる必要はない。もう少し味わって食べたかったが、面倒事とは距離を置きたい。店ならまた来ればいいしな。
俺は食べ終わった食器を手にその場を立つ。
「あ! ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」
「やなこった。俺は先に行くが、お前らはしっかりお務めを果たせよ」
そう言ってその場を去ろうとした時だった。涼香が俺の服を割と強めの力で掴んでいた。まさか掴まれているとは気づかず、俺の立ち去ろうとした足は逆に引っ張られる。
「あ……」
これは運が悪かった。普段ならまずそうはならない。だがこの時の俺は逸る気持ちに加え、両手に食器を持っていたのだ。
体幹が定まっていない頃合いに、涼香の引っ張る力と俺の立ち去ろうとする力。相反する力は俺からあっけなく体幹の調和を奪う。
そしてその蕎麦汁の入った器は、そのまま正面の女に向かって落ちて行った。器は女の前に落ち、中に入っていた汁が遠慮なく女に襲い掛かる。汁は瞬く間に女の腕を、服を蹂躙し、食べかけの食事にも降りかかった。
「え……」
誰が発した言葉か。大勢で賑わう店内において、この場所だけ喧噪から切り離された様に静寂が訪れていた。
一つ言っておくと、俺は悪くない。だがはた目から見れば誰がどう見ても悪いのは俺だろう。涼香もいつの間にか俺の服から手を離して、気まずそうに目を逸らしている。おい。
「あー……。その。すまん。手が……滑ってしまって……」
まぁ手が滑ったのは事実。葉桐一派には割の良い仕事を紹介してもらっているし、偕や涼香に気を使って穏便に済ます方向に持っていっても良いだろう。そう思って正面の女を見ると、僅かに身じろいでいた。
「何なら代わりの食事をご馳走しよう。まぁ不幸な事故だったと思って……」
「なぁにが! 不幸な! 事故よ! あなた、よくも私の食事の邪魔どころか、服まで汚してくれたわね!?」
女はバンッと立ち上がると俺を強く睨みつける。正面から見えるその顔の肌はやはり白く、その目は青色だった。
やはり帝国人、それもおそらくはそこそこの御身分。何しろ皇族を護る近衛たる偕が、わざわざ護衛に付いているくらいなのだから。
「だからすまんて言ってるだろ。なんだ? 服代も弁償すればいいのか?」
「無礼を働いておきながら、金で解決しようとするその態度! 増々許せないわ! 大体あなた、その言い草はなに!? もっと言い方というものがあるでしょう! そもそも! あなたから全く申し訳なさが伝わってこないのだけれど!?」
「それはお前の感じ方の問題だろう。俺はちゃんと謝ったし、何なら詫びに食事をおごろうとまで言った。一体何が不満なんだ」
俺の返しに女は益々声を荒げる。
「謝ったですって!? どこがよ! 謝罪の意思を示すのなら少しは申し訳なさそうに話しなさい! あとお詫びというのなら、土地か家に伝わる家宝の一つや二つ、用意するのが普通でしょう!」
「はぁ!? 一体どこの普通だ、そりゃ。第一俺には土地もなけりゃ家もねぇよ。残念だったなぁ?」
「く……! 私に無礼を働きながら反省のないその態度! もはや許す事は……!」
「あ、あの~」
「なによ!?」
女の後ろから近づいて来た店員が、恐る恐る声をかける。
「け、喧嘩なら外でお願いします……」
「……喧嘩じゃないわよ。この身の程を弁えない無礼者に、常識というのを授けてあげているのよ」
「まさか詫びといえば土地を寄越すのが普通とのたまう女から、常識を授かっていたとは。この世はまだ俺の知らない事であふれているな」
俺の呟きが聞こえたのか、女はさっきよりもかなり強めに睨んできた。だがさすがにこれ以上店内で声を荒げるのは他の迷惑になると思ったのか、先ほどよりも声量を落とす。
「……いいわ。外にでましょう。あなた、付いてきなさい」
そう言って女は先に店を出る。続いて二人の男女もそれに続いた。ああ、これは出入口で待たれているな。避ける事はできないようだ。
「あ、あの、兄さま。あの方は……」
「いや、いい。言うな。聞きたくない」
聞いたらもう後に引けない気がする。
「あと涼香。覚えてろよ」
「うう……。わ、私のせい?」
「…………半分は」
流石に全部、涼香の責任でもないだろう。より怒らせたのはどうやら俺みたいだし。俺はため息を吐くと外に向かって足を進めた。
■
「出てきたわね。怖くなってお店に立てこもるかと思ったわ」
「え? 誰が何に怖くなるって? まさか俺がお前に? はっはっは、面白い冗談だ」
確実に葉桐一派を巻き込む案件な以上、よせばいいのにと思いつつも煽ってしまう。煽っている自覚はあるが、ここで止めると俺が葉桐一派に遠慮したみたいでしゃくだ。いつもの変な意地が表に出てきている。
「……いいわ。私も学のない平民の態度でいちいち声を荒げるのはやめましょう。ただしあなたは私の食事を邪魔したばかりか、服を汚し、さらにその事に対して反省の色までないときている。異国とはいえ、これは到底見逃せる事ではありません」
「食事の邪魔をした事、服を汚した事は謝罪しただろ。反省の色がないというのはお前がそう思っているだけだ。俺はしっかりと悪い事をしたと反省している」
「嘘よ! 本当に反省しているのなら今、ここで地に頭をつけ、私に許しを請いなさい!」
「おいおい、さっそく平民相手に声を荒げているじゃねぇか。帝国の偉いさんだか何だか知らねぇが、たかだか汁をかけたくらいで地に頭を付ける事はねぇな」
俺の態度が気に入らないのは隣にいた女も同様で、一歩前に出てくる。
「無礼な……! この方は本来であればお前如き、言葉を交わす事もできないお方なのですよ!」
「へぇ? ならなんでそんなお偉いお方がこんな下町にいるんだ? おかしいじゃねぇか、それほど高貴なお方が蕎麦屋で飯食ってるなんてよぉ」
「そ、それは……」
服や態度を見ていれば分かる。おそらく黙って下町に来たのだろう。だが皇国側も放っておく事ができず、秘密裏に偕達が護衛に付いていた。そんなところか。
こいつがただの帝国貴族でない事は、その身に宿す魔力からも分かる。だがそれと俺が遠慮するのは全く別の話。お忍びで来ている分、目立って困るのは向こうだ。
俺はあえて相手の身分を疑いにかかる。
「な、なら、このお方の身分が証明できればあなたは謝罪しますか!?」
「だから謝罪ならさっきからしているだろうが。聞き入れていないのはお前たちの方だ。それに身分が証明できたところで、これ以上俺にどうしろってんだ?」
まったく変わらない俺の態度に何を思ったのか、服を汚された女は大きくため息を吐いた。
「そこまで堂々とできるのも逆に大したものね。ここが帝国であれば、あなたは死刑になっているところよ」
「はは。帝国じゃなくて良かったよ」
「皇国には皇国の法がある。それは理解しています。ですが今後、あなたが帝国の地に降り立てば、即座に罪人として処します」
「なんだと……」
それはちょっと困る。何しろ俺は遠からず帝国に行くつもりだからだ。流石に余計な面倒は背負いたくない。
(また俺の意地が悪い方に働いたか……?)
いや。まだ諦めるのは早い。将来の面倒をどう減らすか、頭を回転させる。
「おいおい、帝国はあんな事で処断される、狭量な国なのか? それじゃ偉い人が下町に来たら平民はたまったもんじゃないなぁ?」
「何とでも言いなさい。どうせあなたが帝国に来る事はないでしょう?」
いや、あるんだよ。確かに普通の皇国民であればそうそう帝国に渡る奴はいないが。どう崩していくかと考えていると、背後から別の声が届いた。
「き、貴様! 陸立理玖! 皇都の往来で騒ぎを起こしているのは貴様か!」
「あん?」
振り向くとそこに立っていたのは誠臣の弟、誠彦だった。久しぶりに見たな。というかお前も下町で何してんだ。だが誠彦の言葉に女は興味を示した。
「だいたいお前がこの皇都で暮らしているなんて……!」
「もし。そこの方。皇国の武人とお見受けしますが」
女の発言に誠彦は目線を俺から移動させる。おおよその特徴から、誠彦も女が帝国人であると気づいたようだ。
「はっ! 賀上家が次男、賀上誠彦と申します」
この時期に皇都にいる帝国人なんて、思い当たる節は一つしかない。誠彦は女に恭しく答えた。
誠彦の名乗りと態度に満足したのか、女は被り物を脱ぐとその顔を露わにする。歳の頃は俺と同じかやや下くらいか。もしかしたら偕と同じくらいかもしれない。
日の下で見るその女の青い眼からは、意思と気の強さが伺えた。帝国人だからか、皇国人とはまた違う美しさがある。おそらくは帝国内においても、眉目秀麗と評される顔立ちだろう。
「故合ってここにおりますが、私はヴィオルガ・ガリアード。帝国使節団の責任者を務めています」
女の名乗りを聞き、誠彦は目を大きく見開いている。まさかとは思ったが、本当に帝国の姫だったとは。というか、なんでそんな奴が下町に来ているんだ。
「そこの男は何者ですか? なにやらお知り合いの様子でしたが」
「は、はい。この男の名は陸立理玖! 皇国においては罪人の身、御身の眼に入れて良い人物ではございません!」
「クガタチ……? 家名があるという事は貴族ですか?」
「元貴族です。武家の生まれでありながら霊力を持たず、あまつさえ盗みを働いて罪人に身を落とした武家の恥! 無能者でございます!」
「ああ……。どうりで……」
女は俺が貴族なのに、霊力を持たない事に合点がいった様だった。しかし誠彦の奴、好き勝手言いやがって。まぁ実際どれも事実なのだが。
「なら罪人をどう裁こうが私の自由よね」
「なんでそうなる」
「それはもう! この男、どの様な無礼を働いたのでしょう!? 事と次第によっては死罪もありうるかと!」
「んな訳ないだろ」
皇国の法に則って、帝国人が勝手に罪人を裁いていいはずがない。女といい誠彦といい、なんでそんな単純な事も分からないのか。
高貴な身分とやらを手にすると、その辺りも自由に振る舞えると勘違いしているのか? さてどうするかと考えていると、今度は別の声が上がった。
「お待ちを!」
そう言って俺と女の間に入ったのは偕と涼香だった。誠彦が話を変な方向に持っていこうとしたので、さすがに看過できなくなったらしい。
「私は陸立偕。近衛でございます」
「葉桐家が次女、葉桐涼香でございます。清香の妹になります」
「まぁ。近衛にキヨカの妹! 一体どうしたのかしら?」
「はい。この者、確かに我が兄、陸立理玖は皇国においては罪人の身分でございます」
「兄……? そういえば家名が同じね」
「兄は皇国にとっての恩人であり、これまでも大きく貢献をしてきております。そのため、皇族より皇都に住む事が許された身なのです。罪人ではありますが、決して文字通りの罪人という訳ではございません」
偕も涼香も俺を庇う様に女の前に立つ。その口調から退く気はないのだと伝わってくる。
「ならどうして罪人なのかしら? 本当にそれほどの人物であれば、恩赦を受けているはずでしょう?」
これに答えたのは涼香だった。こちらも強い口調で話す。
「おっしゃる通り、指月様からは何度も恩赦を授けると言われております。それを一方的に断っているのです。……この通りの変人、偏屈者でございますから。いわば罪人でありながら罪人ではない、そういう特殊な人物だとお考え下さい」
おい。
「ふぅん。何か事情がある人物だという事は分かったわ。そっちの武人さんとは全然話している事が違うのが気にはなるけど、ね」
そう言って女は誠彦に視線を向けた。誠彦は何も言わずにオロオロしている。
流石に近衛と葉桐家の人間に出て来られたら何も言えなくなるか。女もそこは理解したのか、まぁいいでしょうと呟いた。
「近衛に葉桐の者がそろって庇うのです。一先ずは不問といたしましょう」
「ありがとうございます。我が兄の無礼、弟の私が変わって謝罪いたします」
「わ、私も、心からの謝罪を……」
「? あなたが? 何故?」
「え? あ、あはは……」
まぁそこの事情を話すと、自分たちが女をつけていた事までばれる可能性があるからな。難しいところだろう。
「何だかしらないけれど、命拾いしたわね?」
「どうやらその様で」
「……まったくそう思ってなさそうなのだけれど? もういいわ、こっちも時間が限られているもの。リリレット、マルクトア。行きましょう」
「私たちもご一緒させていただきます」
偕と涼香は俺に軽く視線を送ると、そのまま女達と帰って行った。誠彦はというと、何だか悔しそうな表情を浮かべながら何も言わずに去って行く。あいつもよく分からん奴だな。
「……む。そういえばあの女。帝国の姫なら奴の事を聞けばよかったか」
まぁそんな時間が取れたのかも分からないが。とりあえず偕と涼香のおかげで事なきを得たんだ、後で二人には礼を言っておくか。
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