第53話 ナイスタイミング~

 それからしばらく、二人は市場のあちこちを回った。

 露店を覗き、商人に声を掛け、時には裏路地の道具屋まで足を運ぶ。

 しかし、どこを探してもオシュタンの皮は見つからなかった。


 陽が少し傾き始めたころ、ハジメはとうとう歩みを止める。

 広場のベンチに腰を下ろし、背もたれに身を預けて空を見上げた。


「はぁ……完全に空振りだな」


 雲ひとつない青空が広がっているのに気持ちはどこか曇っていた。

 隣で控えていたヴェルトハルトがゆっくりと口を開く。


「主。ギルドで尋ねてみるのはどうだ? 素材の取引情報や討伐依頼ならば記録が残っているはずだ」


 その提案にハジメははっと顔を上げた。


「……そうか、冒険者ギルドか! そっちのほうが確実だ!」


 すぐに立ち上がり、ヴェルトハルトとともに足早に歩き出す。

 迷っている時間などなかった。


 冒険者ギルドに到着したのは昼過ぎ。

 多くの冒険者はすでに依頼へ出払っており、室内には依頼書の掲示板を眺める者が数人いるだけだった。

 ハジメは空いている受付嬢の元へ向かい、丁寧に頭を下げた。


「すみません。オシュタンという魔物についてお聞きしたいのですが」


 受付嬢は少し驚いたように目を瞬かせ、それから小さく頷いた。


「オシュタンですか? ああ、知っています。水辺に棲む蛇型の魔物で、その皮が非常に高価なんですよ。実はギルドでも常時捕獲依頼を出しているんです」

「常時……? ということは、今も依頼があるんですか?」

「はい。ただ……Bランク以上でないと受けられません」

「Bランク?」

「ええ。理由は簡単です。オシュタンの皮は少しでも傷がつくと価値が落ちるんです。ですから、確実に捕獲できる腕前と経験が必要でして……」


 受付嬢の説明を聞きながら、ハジメは肩を落とした。

 自分の冒険者カードを見つめる。

 そこに刻まれているのはまだFランクの文字。


「……そうですか。やっぱり、僕のランクじゃ無理ですよね」

「申し訳ありません。ですが、もし知り合いにBランク以上の冒険者がいれば同行する形で依頼に参加することもできますよ」

「なるほど……」


 ハジメはお礼を言い、受付を離れた。

 背後でヴェルトハルトが静かに歩みを揃える。


「残念だったな、主」

「うん。でも、仕方ない。まだ俺は駆け出しだし、Bランクなんて雲の上の存在だ」

「それでも、いずれ辿り着ける。焦るな。主の歩みは確かだ」


 ヴェルトハルトの言葉にハジメは小さく笑みを浮かべた。


「ありがとな、ヴェルト。ま、こうなったら……素材探しは一旦保留だな。他に代用できるものがないか、考えてみよう」


 ハジメは再び前を向き、工房へと歩き出した。

 まだ理想には届かない。

 だが、職人としての挑戦は決して止まらない。


 ギルドを出たハジメはどこか気落ちした足取りで石畳の通りを歩いていた。

 昼下がりの街は相変わらず賑やかで行き交う人々の笑い声や呼び込みの声が響いている。

 だが、そんな喧噪の中でもハジメの表情は沈んでいた。


「はぁ……結局、ランクの壁か」


 ため息まじりに呟いたその時――


「あれっ? ハジメくんじゃん!」


 元気な声が通りの向こうから飛んできた。

 顔を上げると焼き串を片手に嬉しそうな笑みを浮かべたミリアがいた。

 彼女はひらひらと手を振りながら、軽やかに駆け寄ってくる。


「ミリアさん……こんにちは」


 ハジメは挨拶を返したが、その表情はどこか浮かない。

 それを見たミリアはすぐに眉をひそめた。


「ん~? なんか元気ないね。どうしたの? また爆発でもした?」

「いや、爆発はしてませんよ……」


 ハジメは苦笑しつつも正直に事情を話すことにした。


「実は今、開発中の魔道具に使う素材を探してるんです。どうしてもオシュタンの皮が必要で……」


 その名を聞いた瞬間、ミリアはピタリと動きを止め、目を丸くした。


「オシュタン!? あの水辺の臆病蛇の!?」

「そうです。希少素材らしいですね」

「うん、知ってる。てことは……もしかして、捕獲しに行こうとしたけどランク不足で断られた?」

「……まさに、その通りです」


 ハジメが肩を落とすとミリアは少し考えてから、にっこりと笑った。


「じゃあ、私が同行してあげる!」

「えっ?」


「私はBランクだから、ギルドも文句ないでしょ? 同行扱いなら依頼を受けられるし、それに――」


 ミリアは焼き串を軽く振って笑う。


「面白そうじゃない? 新しい魔道具のための素材集めなんて!」

「そ、それは……助かりますけど……」

「決まり! ほら、そんな顔しないで。素材探しも冒険のうちだよ?」


 あっけらかんとした笑顔にハジメは思わず苦笑を漏らす。

 ヴェルトハルトもそんな二人を見て、小さく頷いた。


「主、彼女が同行してくれるなら確かに条件は満たせる。この好機、逃す手はないな」

「……うん。本当にいいんですか、ミリアさん?」

「もちろん! お礼は……また美味しいごはんでいいからね!」


 彼女は悪戯っぽく笑い、焼き串を食べきると串をひょいとゴミ箱に放り込んだ。

 その仕草があまりに自然でハジメは思わず笑ってしまう。


「ありがとうございます。じゃあ、明日、ギルドで集合ってことでいいですか?」

「うん! 朝イチね! 楽しみにしてる!」


 ミリアは軽く手を振ると人混みの中へ消えていった。

 その背中を見送りながらハジメは小さく息を吐く。


「……ほんと、タイミングが良すぎる人だな」

「うむ。だが、主には運がある。この流れ、間違いなく良い兆しだ」


 ヴェルトハルトの言葉にハジメはふっと笑みを浮かべた。


「そうだな。じゃあ、明日に備えて準備しないとな」


 二人は並んで歩き出す。

 夕方の陽射しの中、次なる冒険の始まりを感じながら。

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