第42話 初勝利
ハジメは息を殺し、木の陰に身を潜めていた。
風が一瞬止まり、森に静寂が広がる。
その瞬間、ヴェルトハルトが低く囁く。
「今だ、主」
ハジメは地を蹴った。
足元の落ち葉が舞い上がり、木陰から飛び出す。
驚いたゴブリンがこちらを振り向くより早く、剣を振り抜いた。
ザシュッ、と鈍い音とともに、一匹目の首が刎ね飛んだ。
血飛沫が宙に散り、ゴブリンの体がぐらりと崩れ落ちる。
「よ、よし……!」
一瞬の成功に胸が高鳴る。
だが、安堵する暇などなかった。
「ギィィィッ!!」
仲間を殺されたことで、残りのゴブリンたちが一斉に叫び声を上げる。
怒りと恐怖が混ざったその咆哮が森に響き渡った。
「来るぞ!」
ヴェルトハルトの声に反応し、ハジメは次の一匹へと駆け込んだ。
動揺している今が好機。
そう信じて、剣を振り下ろす。
だが、刃はわずかに逸れ、肩口を浅く切り裂いただけだった。
「くっ……!」
ゴブリンが怒り狂い、棍棒を振り上げる。
咄嗟に盾を構えるも重い衝撃が腕を伝ってきた。
鈍い痛みが腕に走り、ハジメは苦悶の表情を浮かべる。
「ぐっ……!」
盾越しに痺れる痛み。
もう一匹が背後から迫る。
ハジメは慌てて身を翻したが二匹目の棍棒が脇腹をかすめた。
鈍い痛みとともに息が詰まる。
「……っ!」
体勢を崩したところへ、さらに別のゴブリンが襲いかかってきた。
数で押され、押し返す余裕がない。
焦りが喉を焼き、呼吸が乱れる。
「落ち着け、主!」
ヴェルトハルトの声が飛ぶ。
ハジメは必死に意識を引き戻し、盾を前に突き出した。
鍛錬で何度も教えられた動きを思い出す。
「防御の姿勢を崩すな。どんなに不利でも、まずは生き残れ!」
その言葉を胸に迫りくる棍棒を受け止める。
衝撃で膝が沈み、盾が軋む。
「うぐっ……!」
痛みをこらえて立ち上がるが、腕からは血が滲み、視界がわずかに霞む。
それでもハジメの瞳はまだ死んでいなかった。
「主、ここは我に任せろ!」
ヴェルトハルトの声が鋭く響く。
彼の目が戦士の光を宿し、次の瞬間、地面を蹴った。
ヴェルトハルトが一歩前へ出る。
その瞬間、彼の全身から放たれる威圧感が空気を震わせた。
残ったゴブリンたちが一斉に後退するが、もう遅い。
「終わりだ」
風が鳴った。
ヴェルトハルトの剣が閃いたかと思うと三匹のゴブリンが同時に崩れ落ちる。
血飛沫さえ追いつけぬ速さだった。
あっという間の瞬殺。
だが、一匹だけが震えながら後退していた。
ヴェルトハルトは剣を下ろし、ちらりとハジメを振り返る。
「最後の一匹は主に譲ろう」
「えっ……!?」
「さあ、一対一だ。恐れるな」
そう言って後ろへ下がるヴェルトハルトの声には信頼がこもっていた。
ハジメは息を吸い込み、震える手を握りしめた。
先ほどの傷がまだ痛む。
それでも、ここで退いたら何も変わらない。
「……わかった。やってみる」
深呼吸を一度。
剣を構え、ゴブリンと正面から対峙した。
ゴブリンが咆哮を上げ、棍棒を振り上げる。
ハジメはその一撃を盾で受け止め、すかさず反撃に転じた。
金属と木がぶつかり合い、火花が散る。
焦りから踏み込みが浅くなり、刃はわずかに逸れた。
「くっ……!」
ゴブリンが反撃に出る。
ハジメは咄嗟に身を低くし、棍棒を避けざまに剣を振り抜いた。
鋭い感触が腕に伝わる。
ゴブリンの体がよろめき、倒れ込んだ。
しばらくの沈黙。
やがて、森の中に静寂が戻る。
ハジメは剣を見つめ、そしてゆっくりと息を吐いた。
「……終わった、のか」
緊張の糸が切れ、膝が少し笑う。
ヴェルトハルトが近づき、静かに頷いた。
「よくやった、主」
「……多少、危なかったけどな」
「戦とはそういうものだ。だが、今の一撃に迷いはなかった」
その言葉にハジメは小さく笑みを浮かべた。
確かに体は痛み、息も荒い。
けれど、胸の奥には確かな実感があった。
自分は、少しだけ強くなれた。
初めての討伐依頼。
痛みと恐怖を乗り越えたその先にハジメは小さな成長の手応えを掴んでいた。
戦いを終えたハジメはしばらくその場に座っていた。
やがて息を整えると倒れたゴブリンたちへと歩み寄る。
「……これが討伐の証、か」
気持ち悪いがゴブリンの胸を剣で開く。
その中心に小さな青黒い結晶、魔石が現れる。
それはスライムのものよりも硬質で、手のひらに載せると微かに温もりを感じた。
「こんな小さいのに、これが動力源になるんだよな……」
ハジメはポーチから小袋を取り出し、慎重に魔石を集めていく。
五匹分で合わせて五つの魔石。
どれも掌に乗るほどの小さな屑魔石だ。
袋の口を縛りながら、ハジメはふと呟いた。
「これ……魔導コンロの動力源にも使えるんだよな。今なら売値も上がってるし、ひょっとしたら結構な儲けになるかも」
すると、ヴェルトハルトがゆっくりと首を振った。
「いや、まだそこまでの需要はないだろう。魔導コンロはようやく市場に出回り始めたばかり。普及するまでには時間がかかる。魔石そのものの価値は……今のところは小さなものだ」
その現実的な言葉にハジメは苦笑しながら肩を落とした。
「……だよなぁ。商売ってそう簡単にいくもんじゃないか」
その肩にヴェルトハルトの大きな手が置かれる。
「だが――」
ハジメが顔を上げるとヴェルトハルトは穏やかな笑みを浮かべていた。
「その魔石の価値は、主が自らの力で勝ち取った証でもある。金銭的な価値は小さくとも……初めての勝利という意味では何よりも重い宝だ」
その言葉にハジメの胸の奥がじんわりと温かくなった。
彼は小さな魔石を見つめ、しばらく黙っていたが、やがて小さく笑った。
「……そうだな。初めての報酬だもんな。大事に取っておこう」
「うむ。それで良い」
ハジメは魔石の入った袋を胸ポケットに仕舞い込む。
それは決して高価なものではない。
けれど、彼にとっては“努力の証”であり、冒険者としての第一歩を刻む宝だった。
風が木々を揺らし、柔らかな陽光が差し込む。
ハジメとヴェルトハルトは再び街へと歩き出す。
その背中には確かな成長の影が宿っていた。
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