第27話 司書は熱い人だった!?

 それから、ハジメはデニスに魔法瓶を大急ぎで用意するからと告げ、急いで工房へと戻る。

 工房で錬金術を用いて、注文されていた以上の魔法瓶を作成。

 大量に作っているおかげで錬金術についての熟練度が上がり、僅かな時間で完成した。

 魔法瓶を五百個作り終え、ヴェルトハルトと汗を拭いながら梱包を終えると、ハジメは大きく伸びをした。


「ふぅ……。これで当面は大丈夫かな」

「うむ。後は売れるのみだ」

「それじゃ、夕食までの時間は勉強に行くとするか。ついでに魔道具についても学んでおこう」

「そうだな。閃きが生まれるかもしれない。いい考えだ」


 二人は工房を後にし、図書館へと足を運ぶ。

 石造りの荘厳な建物に足を踏み入れると、紙とインクの香りに満ちた空気が迎えてくれる。


 魔道具についての本を探していたハジメは、書架の前で立ち止まった。

 革張りの背表紙に「魔導工学入門」と刻まれている。

 思わず手を伸ばした、その時――


「……あら?」


 横から伸びた白い指。視線を向けると、そこにいたのは――セリナ・アルベルト。

 以前、受付で対応してくれた司書の女性だった。


 深い青髪を後ろでまとめ、紫紺の瞳で静かにこちらを見つめている。

 相変わらず、近寄りがたいほどの冷静さと美貌を纏っていた。


 ハジメは少し驚いたが、すぐに「ああ、仕事中なんだ」と納得し、軽く会釈してその場を離れようとした。


 しかし――


「待ちなさい」


 凛とした声に足を止める。

 振り返ると、セリナが手にした本を胸に抱えながらこちらを見ていた。


「魔道具に興味があるのかしら?」


 紫紺の瞳が、真っ直ぐにハジメを射抜く。

 ただの質問のはずなのに、その眼差しにはどこか鋭さと、試すような気配があった。


 ハジメは一瞬の逡巡もなく頷いた。


「はい。魔道具に興味があって……知識が足りないので勉強したいんです」


 セリナは驚いたように目を瞬かせたが、すぐに本棚へと歩み寄った。

 指先が背表紙を撫で、何冊かを引き抜く。


「なら、このあたりがいいわ。基礎理論、素材の性質、魔力伝導率についての研究……。どれも、最初の一歩には悪くない」


 本を差し出す彼女に、ハジメは深く頭を下げた。


「ありがとうございます! すごく助かります」


 そのまま本を抱えて立ち去ろうとした瞬間――


「待ちなさい」


 再び声が飛ぶ。

 振り返ると、セリナがじっとこちらを見据えていた。


「あなた、名前は?」


 思わず首を傾げたが、隠す理由もないので答える。


「……ハジメです」


 その答えに、セリナの紫紺の瞳が細められる。

 冷たい光が一瞬だけ宿った。


「――やはり。名匠ゴードンが子供を弟子に取ったと、職人ギルドで噂になっていたの。竜人族を伴った少年……まさか、あなたがその本人だとはね」


 ハジメは思わず息を呑んだ。

 どうやらただの司書では済まない相手だったらしい。


 セリナは一歩、二歩と近づいてきた。

 その長い青黒の髪が揺れ、紫紺の瞳がハジメを射抜く。


「名はハジメ……間違いない。あなた、ゴードン様の弟子になったそうね」

「えっ……? あ、はい。そうですけど……」


 曖昧に答えるハジメに、セリナの声が鋭さを増す。


「どうやって!? ゴードン様は名匠と呼ばれる伝説級の職人。誰もが弟子入りを望み、私自身もかつて頭を下げたけれど、全て断られたわ」


 紫紺の瞳が細められる。

 そこには嫉妬だけでなく、真実を求める知識欲が滲んでいた。


「なのに……なぜ、あなたは認められたの?」


 机に積んだ本を抱えたまま、ハジメは一歩後ずさる。


「そ、それは……俺がお願いしたというより……ゴードンさんが、勝手に決めたっていうか……」

「勝手に?」

「はい。弟子として丸投げされて、工房まで譲られちゃって……」


 セリナの眉がぴくりと動く。


「ありえない……。あの偏屈な人が、見ず知らずの子供に工房を渡した? 理由があるはずよ」


 彼女はさらに一歩踏み込み、身をかがめてハジメを見つめた。


「ハジメ。あなた、一体ゴードン様に何を見せたの?」


 ハジメが答えに窮していると、セリナがさらに詰め寄る。

 紫紺の瞳に宿る光は、執念とも言えるほどのものだった。


 その瞬間、低い唸り声のような息が空気を震わせた。

 セリナの目の前に立ち塞がったのは、黄金の瞳を持つヴェルトハルトだ。


「これ以上、主に近づくな」


 冷然とした声音に、空気が一変する。

 竜人族特有の威圧感が放たれ、図書館の静謐な空間に重圧のようにのしかかった。


「もし、これ以上踏み込むならば……主の敵として、お前を排除しなければならぬ」


 紫紺の瞳と黄金の瞳が真っ向からぶつかり合う。

 セリナの背筋に冷たい汗が伝う。

 竜人族の気迫は人間の比ではない。

 だが――彼女は唇を噛み、視線を逸らさなかった。


「……怖気づけって言うの? そんなものに屈していたら、私は夢に手が届かない」


 揺るぎない声。

 セリナは一歩も退かず、むしろヴェルトハルトを睨み返した。


「私は……全ての人が幸せに暮らせる魔道具を作りたい。そのためには、真実が必要なの!」


 図書館の一角で、竜人族と才女が火花を散らす。

 ハジメは二人の間に流れる緊張に、冷や汗をかきながらも心の奥で強い衝撃を受けていた。


 にらみ合う二人の間に、ハジメは慌てて割って入った。


「ま、待って、ヴェルト! セリナさんも落ち着いて!」


 両手を広げて二人の間に立つ。

 黄金の瞳と紫紺の瞳がなおも火花を散らす中、ハジメは深呼吸して言葉を選んだ。


「セリナさん……あなたの夢はすごいと思う。最初に会ったときは、もっと冷たい人だと思ってた。けど、今は分かりました。誰よりも熱くて、真剣に未来を考えてる人なんだって」


 セリナの目が一瞬揺れる。

 その横顔を見て、ヴェルトハルトもわずかに肩の力を抜いた。


「だから……僕も、できることなら本当のことを話したいと思ってます」


 ハジメは小さく拳を握り、真っ直ぐにセリナを見た。


「けど……軽々しく秘密を明かすわけにはいきません。つい最近、ゴードンさんにだけは打ち明けました。でも、それだってヴェルトに指摘されて、僕が浅はかだったと反省したんです」


 言葉を区切り、慎重に続ける。


「――だから提案です。ゴードンさんにしたのと同じように、契約魔法で口外しないって約束をしてもらえませんか? その条件を受け入れてもらえるなら……どうして僕がゴードンさんの弟子になれたのか、お話します」


 セリナは息を呑んだ。

 その紫紺の瞳に、強い光が宿る。


「……契約魔法、ね」


 彼女は拳を握りしめ、しばし逡巡した後、静かに頷いた。


「いいわ。私の夢を叶えるためなら、それくらい安いもの。――必ず口外しないと誓う」


 その声には、揺るぎない決意が込められていた。

 ヴェルトハルトは無言のままハジメを見つめ、最終判断を主に委ねていた。


 セリナはハジメの言葉を聞き終えると、間髪入れずに言った。


「……今すぐに契約しましょう」


 その眼差しは燃えるように真剣で、一歩も退く気配はない。


「え、い、今すぐ!?」

「ええ。私には時間を無駄にする余裕はないの。夢のために、一刻も早く知りたい」


 ハジメが戸惑っていると、セリナは踵を返し、迷いなく言った。


「私の作業場へ来て。契約魔法の準備はすぐにできる」


 彼女に導かれ、図書館の奥へと進む。

 普段、魔道具職人として活動している作業場――壁には整然と並ぶ設計図、机の上には未完成の魔道具や工具が置かれていた。


「ここなら集中できる」


 セリナは慣れた手つきで羊皮紙を広げ、インクを用意する。

 魔力を込めた指先で羊皮紙に紋章を刻んでいくと、契約魔法の淡い光が浮かび上がった。


「内容は単純よ」


 セリナはさらさらと文字を走らせる。


『ハジメが持つ秘密を、セリナ・アルベルトは一切口外しない』


 実に単純で明快な内容であった。

 これならば、ハジメが秘密にしていることは全て、契約魔法によってセリナは口外できなくなる。

 もちろん、紙に書いて伝えるなどといった方法も含まれる。


「これにお互いがサインすれば、契約は成立する。違えれば、魂が罰を受けるわ」


 契約書を差し出すセリナの紫紺の瞳は、ひと欠片の迷いもなかった。

 ヴェルトハルトが隣で腕を組み、低く問う。


「主よ……どうする?」


 ハジメはごくりと唾を飲み込み、契約書とセリナを交互に見つめた。


「契約します……」


 ヴェルトハルトは何も言わなかった。

 ハジメの意思を尊重し、その選択を見守ったのである。

 そして、ハジメは震える手でペンを取り、羊皮紙に自分の名を書き込んだ。

 同時に、セリナも流麗な筆致で署名する。


 次の瞬間、羊皮紙に刻まれた契約紋章が白銀に輝き、淡く弾けるように消えた。


「……これで契約は成立したわ」


 セリナの紫紺の瞳が真っ直ぐにハジメを射抜く。

 その強さに押され、ハジメは深く息を吐いた。


「……ありがとうございます。それでは、話します」


 椅子に腰を下ろし、両手を膝に置いたまま、ハジメは言葉を選びながら語り出した。


「俺は……この世界の人間じゃない。稀人なんだ。神様からチートみたいな力を与えられて転生してきた」

「……!」


 セリナの指先がわずかに震える。

 だが、言葉を挟まずに聞き続けた。


「与えられた力は三つ。錬金術と、回復魔法と、空間魔法。その中でも、特に錬金術は万能すぎる。望めば何でも生み出せる。けど、それを知られれば必ず命を狙われる。だから、隠す必要があったんだ」


 拳を握りしめ、続ける。


「ゴードンさんの弟子になったのも、そのためだ。名匠の弟子っていう肩書きがあれば、錬金術を隠しても怪しまれない。セリナさんからすれば、ずるいと思うかもしれないけど」


 正直に吐き出すと、胸の奥がすっと軽くなった。

 しかし同時に、セリナがどう受け止めるのかという不安が押し寄せてくる。


 視線を上げると、セリナは沈黙のままじっとハジメを見ていた。

 深い青の髪が揺れ、紫紺の瞳が強い光を宿す。


「……確かに、ずるいわ」


 その言葉に、ハジメの心臓が跳ねた。


 しかし、セリナはすぐに続けた。


「でも、それを思いついて実行に移せるのもまた、才覚の一つよ。普通の子供なら、命を守るために隠れるしかできなかったはず。あなたは選んだ。自分の力を守るために、生きるために」


 セリナの声は冷静だったが、その奥には熱があった。


「それに……何でも作れる錬金術なんて、正直羨ましいわね。私が求めてきた夢に、一番近い力だから」

「夢……?」

「ええ。全ての人が幸せに生きられるような魔道具を作る。それが私の夢。そのために私は学術院を首席で出て、職人ギルドに籍を置いている。けど、限界があるの。費用、技術、理論。すべての壁を乗り越えることは、たった一人じゃ不可能よ」


 セリナは一歩、ハジメへ踏み出した。


「だから……あなたに興味を持った。あなたの力なら、もしかしたら私が夢に描く道具を、この世に形にできるかもしれない」


 言葉は熱を帯び、紫紺の瞳は一切揺らがなかった。

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