第26話 確かなもの

 ◇◇◇◇ 


 翌朝。

 まだ日が昇りきらないうちから、工房の庭に剣を振る音が響いた。


「ふっ……! はっ!」


 ハジメとヴェルトハルトはいつものように鍛錬を行い、汗を流す。

 朝の冷たい空気が、次第に熱気を帯びていく。


「……ふぅ、いい汗かいた」

「主よ、剣筋が昨日よりも冴えているな。確かな積み重ねの証だ」


 互いに短く頷き合い、工房に戻ると、用意していた朝食を平らげた。

 だが、今日はここからがいつもと違う。


「さて……今日は冒険者ギルドに行く前に、魔法瓶を作らなきゃ」


 ハジメは腰を上げ、工房の奥――新しく整えた作業場へ向かう。


「百個……。正直、気が遠くなる数だけど……! 俺の錬金術ならできる!」


 ハジメは深呼吸をし、両手を合わせた。

 神から授かった反則級の力。

 錬金術を行使する。

 体の中から何かが失われていく感覚を覚えるが、大して気になるものでもない。


 恐らくは魔力だろうとハジメは理解していた。

 並みの人間なら、ハジメが使う錬金術を使えば、魔力が足りずに昏倒してしまう。

 それほどまでに異常な力なのだ。


 ――カチリ。


 一つ、机の上に完成した魔法瓶が現れる。

 それは昨日のものと寸分違わぬ仕上がりだった。


「よし……! この調子で」


 ハジメは集中を切らさず、錬金術を繰り返す。

 瞬く間に魔法瓶が机を埋め、次々と箱へ詰められていった。


「……ふぅ、百個、完了!」


 汗を拭いながら、積み上がった木箱を見て、ハジメは満足げに微笑んだ。

 横で見守っていたヴェルトハルトが、ゆっくりと頷く。


「主の力、まさに神業よな。だが、これを表に出しすぎれば、必ず狙われる」

「わかってる。だから、あくまで職人として売るだけさ」


 二人は木箱を台車に積み込み、街へと向かう準備を整えた。

 デニスの店へ、百個の魔法瓶を届けるために――。


 朝日が街を金色に照らす頃、ハジメとヴェルトハルトは台車を押してデニスの店へとやって来た。

 積み込まれた木箱には、昨日徹夜の勢いで仕上げた百個の魔法瓶が詰め込まれている。


「おはようございます!」

「やあ、待ってたよ!」


 店の前で既に準備を整えていたデニスが、にやりと笑って出迎えた。

 店内に案内されると、昨日とは比べ物にならないほど大きな棚が壁際に据えられており、そこに商品を並べるスペースが確保されていた。


「ここに百個並べれば……目立つだろうな」

「ふふ、安心して。昼までには売り切れてるさ」


 自信満々のデニスの言葉に、ハジメは思わず苦笑する。


「そうだったらいいですねぇ~」

「いいや、必ずそうなるとも!」


 デニスは力強く断言し、早速、商品の箱を開けて並べ始めた。

 整然と並ぶ魔法瓶は、まるで新時代の象徴のように光を放っている。


 ハジメは軽く一礼すると、ヴェルトハルトと共に店を後にした。


「さて……俺たちは俺たちの仕事をしようか」

「うむ。冒険者としての依頼もまた、主の糧となる」


 二人は石畳の大通りを抜け、冒険者ギルドへと向かった。

 掲示板にはさまざまな依頼が貼られている。


「どれにしようかな……」


 ハジメは迷った末、低級の依頼を三つ選んだ。

 薬草の採取、森の浅い場所に出没する角兎の討伐、それから街道沿いで人々を困らせている野犬の群れの追い払い。


「全部、初心者向けだね」

「だが、侮るなよ。積み重ねは決して無駄にはならぬ」

「うん。油断しないようにいこう」


 受付で依頼を受け、ギルドを出た二人は街道を歩き、やがて森の入口へとたどり着いた。

 木々の間から差し込む朝の光が、湿った土を照らす。


「よし……今日も頑張ろう」


 ハジメは腰の剣を握り直し、森の中へと足を踏み入れていった。

 午前中の森は、湿った土と草の匂いに包まれていた。

 薬草を摘み取りつつ、角兎を追い払い――時に突進にヒヤリとしながらも、ハジメは何とか剣を振るい、依頼を果たすことができた。


「ふぅ……! 結構、疲れるな」

「だが、確実に成長しているぞ」


 ヴェルトハルトの言葉に励まされ、昼食を済ませた二人はデニスの店へと向かう。

 街の大通りを曲がった瞬間、ハジメは思わず足を止めた。


「……えっ?」


 店の前には人だかりができ、ざわめきが絶えない。

 新しい商品を求めて並ぶ客たちの列は、通りの先まで伸びていた。


「な、なんだこれ……」

「……予想通りだな」


 ハジメが目を丸くする一方、ヴェルトハルトはさも当然のように腕を組み、静かに頷いている。


 その時、店の扉が勢いよく開き、デニスが現れた。

 顔は汗に濡れているが、笑みは抑えきれないほどに輝いている。


「いやぁ、嬉しい悲鳴だよ! まさかここまで反響があるなんてね!」


 デニスは人だかりを背にしながら、興奮した声で叫んだ。

 ハジメはぽかんとしつつも、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。


 人だかりを掻き分けて、店内に入るとデニスは誇らしげに胸を張り、片手で空になった棚を示した。

 昨日まで整然と並んでいた魔法瓶は、影も形もない。


「驚くだろう? なんと開店と同時に売り切れてしまったんだ」

「えええっ!? そ、そんなに……!」


 ハジメは目を見開き、信じられないという顔をした。

 デニスはにやりと笑みを浮かべ、指を二本立てて続ける。


「理由は簡単さ。昨日買った客が、口々に宣伝してくれたんだよ。『お湯が冷めない』『氷が溶けない』『魔力もいらないのに魔道具みたいだ』ってね。評判が評判を呼んで……今日は朝からこの騒ぎだ」


 人だかりの中では、次の入荷はいつかと店員に詰め寄る声が絶えない。

 「二つ欲しい」「親戚にも贈りたい」といった声まで飛び交っていた。


「すごい、本当に売れるんだ……!」


 ハジメは思わず呟き、胸の奥にじんわりとした感覚が広がった。

 自分の作ったものが、人の役に立っている――それを実感できた瞬間だった。


 ヴェルトハルトが横で満足げに腕を組み、低く告げる。


「主よ。これこそが証明だ。お前の力は決して無駄ではない」


 デニスは嬉しそうに肩を叩き、さらに告げた。


「というわけで……ハジメ君。明日は二百個だ。いや、三百でもいいかもしれない!」

「え、えぇぇぇぇ!? そ、そんなに!?」


 ハジメの情けない悲鳴に、デニスとヴェルトハルトの笑い声が響いた。

 デニスの勢いに押されかけたが、ハジメは冷静に首を振った。


「……売れるうちに売っておかないと、すぐに頭打ちになると思います」

「ほう?」


 デニスが片眉を上げ、続きを促す。

 ハジメは真剣な顔で説明した。


「魔法瓶はとても便利ですけど、壊れにくいし長持ちするはずです。たとえば一つの家庭なら、一個か二個あれば十分でしょう。冒険者だって、一人一つあれば事足りる。魔法使いが仲間にいれば、わざわざ買う必要もないですし……」


 言葉を切ると、周囲の喧騒が一層耳に入ってきた。

 人々は新しい便利品を欲している。

 だが、熱気が冷めればどうなるか――ハジメはそれを危惧していた。


 デニスは顎に手を当て、にやりと笑う。


「……なるほど。考えてるじゃないか、ハジメ君。君の言う通り、魔法瓶は消耗品じゃない。だからこそ、今が勝負だ」

「はい。だから、今のうちに売り切れるだけ作って、資金を集めておくべきだと思います」

「資金を……つまり次の商売の種に回すわけだな?」

「ええ。そのための足掛かりです」


 ヴェルトハルトが満足そうに頷いた。


「主よ、冷静な判断だ。短命な商いであっても、次へ繋げるのならば立派な礎となろう」


 デニスは帳簿を開き、さらさらと羽ペンを走らせた。

 やがて、革袋を机に置く。

 じゃらりと響く音に、ハジメは思わず身を乗り出した。


「これが今回の売り上げの分だ。手数料や店の維持費、それに宣伝用の経費は抜いてある。残りは正味、君の取り分だよ」

「えっ、僕に……全部!?」


 思わず声が裏返った。

 デニスはにやりと笑う。


「当たり前だろう。職人が作った品の正当な報酬は、その職人に渡るべきだ。僕はあくまで販売の窓口にすぎない。君が安心して物を作れるようにするのが僕の役目さ」


 袋の中には、これまで受けてきた低級依頼の報酬とは比べものにならない銀貨と金貨が入っていた。

 胸が熱くなる。

 異世界で生きていくための力を、ようやく掴んだ気がした。


「……ありがとうございます! このお金、絶対に無駄にしません!」


 ヴェルトハルトが満足げにうなずき、重々しい声を重ねた。


「主よ。これはお前が成した成果だ。胸を張って受け取れ」


 ハジメはその言葉をしっかりと受け止め、大切そうにお金が入った袋を握り締めた。

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