第12話 二度目の依頼

 ◇◇◇◇


 翌朝。

 まだ陽が昇りきらぬ時刻、店の裏手にある小さな広場で、ハジメはヴェルトの指導のもとに汗を流していた。


「もっと腰を落とせ、主!」

「はぁ、はぁっ……! こ、これ以上は足が……!」

「甘えるな。盾を構えるというのは、己の命を守る最後の砦を抱えることだ。半端な構えでは突き破られるぞ!」


 言われるままに腕を震わせながら木盾を構えるハジメ。

 何度も押し込まれ、転がされ、そのたびに立ち上がる。

 そこへ、買い付けに出かけるために店を出てきたデニスが偶然通りかかった。


「うわ……こんな朝っぱらから稽古かい!? いやぁ、根性あるね!」


 彼は目を丸くしながら拍手を送った。


「筋肉痛で死にそうです……」

「ふふ、でも良い傾向だ。体を鍛えることに損はないからね」


 鍛錬を終えると、宿の食堂でパンとスープ、焼きたてのハムエッグを朝食にかき込み、体力を取り戻した。


 そして今回はヴェルトと二人で冒険者ギルドへ向かう。


「今日は薬草採取の依頼と、ついでに森の浅い場所で角兎やスライムを相手に訓練をする。無理のない範囲でやろうか」

「了解」

「主よ、我は必要以上に手を出さぬ。だが、命の危機なら迷わず助ける」

「ああ、それで頼む」


 ギルドに辿り着くと、早朝ということもあってか、既に多くの冒険者たちが依頼書の張ってある掲示板の前に群がっていた。


 人々の視線がふと入り口に向き、ざわりと空気が揺れる。


「おい……見ろよ。竜人族だ」

「うそだろ、こんな街に……しかもまだ若いぞ」

「隣にいる子供はなんだ? まさかあれも冒険者か?」


 ざわつく視線を受け、ハジメは居心地悪そうに肩をすくめた。

 一方でヴェルトハルトは堂々と胸を張り、視線を正面から受け止めている。


 その時、ひょいと人垣を掻き分けるようにして、一人の少女が近づいてきた。

 銀色の髪と耳――猫人族の冒険者だった。


「へぇ、珍しいね。竜人族なんて初めて見たよ」


 彼女は驚きこそしたものの、恐れよりも興味が勝っているようで、尻尾を小さく揺らしながら二人ににじり寄る。


「君たち、新顔だよね? ギルドで噂になってる。昨日登録した子供と、その護衛の竜人だって」

「一応、俺も冒険者なんですけどね……。まあ、子供なのは間違いないですけど」


 ハジメがむっと言い返すと、彼女はにやりと笑った。


「言うじゃない。あたしはミリア。冒険者ランクはB。気配を探るのが得意なの。ま、覚えといてよ」


 周囲の冒険者たちはその名を聞き、ひそひそと囁き合う。


「ミリアだ……! あいつ、索敵能力だけならAランク級って噂の……」

「なんでまた新入りと話してるんだ?」

「いや、ただ珍しいもの好きなだけだろ……」


 そんな視線をものともせず、ミリアは自由気ままにハジメの顔を覗き込む。


「で、君。名前は?」

「ハジメって言います。冒険者ランクはFです」

「ふ~ん。そっちの竜人族のお兄さんは?」

「ヴェルトハルトだ。私は冒険者ではなく、ハジメの奴隷だ」

「そうなんだ!? 竜人族の奴隷ってすごく高かったんじゃないの? ハジメって、もしかしてとんでもないお金持ちだったりするの?」

「いやいや、全然違うよ。むしろお金なんてほとんど持ってなかったくらいで……たまたま縁があってね」


 驚いているミリアにハジメは苦笑しながら答える。


「へぇ? ますます気になるなぁ。だって、竜人族って戦えば国ひとつ傾けられるって言われてるし、そんなのが奴隷だなんて聞いたことないもん」


 ミリアは好奇心を隠さず、目を輝かせながらヴェルトをじろじろと眺めた。


「主に命を救われた。我はその恩に報いるため、己の誇りを投げ打ち、従うと決めたまでだ」


 ヴェルトハルトは静かに、だが誇り高く言葉を返す。


「ふぅん……そういうの、嫌いじゃないね」


 ミリアはにやっと笑い、今度はひょいとハジメの耳元に顔を近づけた。


「でも、そうなると君自身のほうがもっと気になるんだよね。――ただのFランクにしては、雰囲気が違う」

「……俺はただの新米ですよ」


 ハジメは軽く手を振って受け流す。


「ふふ、そっか。じゃあ今度一緒に依頼に行ったら、そのただの新米っぷりを見せてもらおうかな」


 猫のように自由気ままに笑い、ミリアはくるりと背を向けた。

 尻尾がぴんと立ち、まるで「興味あるものを見つけた」と言わんばかりに揺れている。


 その背中を見送りながら、掲示板の前にいた冒険者たちは顔を見合わせる。


「やべえ、新米だな……。仲間にも伝えておこう。竜人族を引き連れてる新米がいるから近づくなって」

「迂闊にちょっかい出すのはやめておこう。あんなの、本気で怒らせたら命がいくつあっても足りん」

「……ああ。見た目は子どもでも、相当な後ろ盾があるかもしれん」


 ざわめきはすぐに収まり、誰もハジメたちに近寄ろうとはしなかった。

 周囲から向けられる好奇と警戒の入り混じった視線を、ハジメはちらりと感じ取った。


 ――竜人族を連れてるせいか。

 なんだか落ち着かないが、いちいち気にしていたら何もできない。


 意識を振り払うように掲示板へと歩み寄り、ヴェルトハルトが一枚の依頼書を手に取った。

 薬草採取――難易度は低く、初心者向け。森の浅い場所で済むうえ、訓練にもぴったりだ。


「ふむ。これでいいだろう」


 依頼書を握りしめ、受付に向かう。

 カウンターにいた職員が、書類を確認すると柔らかく微笑んだ。


「薬草採取ですね。依頼人は薬師ギルドです。納品は夕方までにお願いします」


 手続きを済ませた後、彼女はちらりと背後に目をやり、小声で付け加えた。


「……随分と注目されていますね。竜人族を連れているのですから無理もありません。大変かと思いますが、どうか気を落とさずに。最初の一歩は誰にでもありますから」


 ハジメは一瞬きょとんとしたが、すぐに苦笑して頷いた。


「ありがとうございます。頑張ってみます」


 木札を提示し、手続きを終える。

 背中にはまだ、冒険者たちの視線が突き刺さっていたが――ハジメは深呼吸し、気持ちを切り替えた。


 ハジメとヴェルトハルトは依頼書を受け取り、森へと向かった。

 朝の光が差し込む森の浅い場所は、鳥のさえずりと草葉の揺れる音が響いている。


「主よ、この辺りなら角兎やスライムも出る。薬草を探しつつ、訓練にちょうどよい」

「了解。薬草は……あ、これかな?」


 ハジメはヴェルトの指示を受けながら、群生している緑の葉を採取する。

 森の湿った空気の中、汗をにじませつつ、彼は集中して作業を続けた。


 ――と、その時。


 草むらが揺れ、灰色の毛並みの角兎が飛び出した。


「主よ、落ち着け。角で突かれれば命を落とすこともある。盾を前に出せ」

「う、うん!」


 突進してきた角兎に、ハジメは思い切って盾を突き出した。

 ガンッ! と鈍い衝撃音が響き、角兎が弾かれる。

 ハジメは体当たりで押し返し、よろめいた隙に止めを刺した。


「はぁ……やった……!」

「うむ、先日よりもいい動きだった。次は力みを抑え、もっと冷静に」


 さらに森の奥では、スライムとの遭遇もあった。

 剣の刃が通りにくく苦戦したが、ヴェルトの助言を受けつつ、粘液を振り払いながら何とか仕留める。


 薬草も十分に集まり、訓練を重ねた二人は昼前に街へ戻った。

 受付で薬草を納品し、報酬を受け取ると、ハジメの腹がぐうと鳴る。


「……とりあえず、昼食にしようか」

「うむ。稽古もしたのだ、肉を食らうのがよい」


 二人は再び街の食堂に入り、煮込みスープと焼きたてのパンを注文した。

 温かな香りが鼻をくすぐり、ハジメはほっと息を吐く。


「うん……! 疲れた体にしみるなぁ~」

「主よ、これも冒険者の一歩。だが無理をせず、少しずつ慣れていけばよい」


 そうして、薬草採取と初めての訓練を終えた午前は、穏やかな食卓で締めくくられた。

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