求婚の日
~ 一月二十七日(木) 求婚の日 ~
※
子は親からすべてを受けつぐもの。
血肉の関係の深い事を指す。
毎朝のルーティーン。
起床。
布団を整えて。
着替えて。
洗顔。
外に出て。
秋乃の到着を待ってジョギング。
家に戻って制服に着替える。
そしていつものように鞄を持って。
朝食を作るためにダイニングへ入ってみれば。
一階の寝室の扉が開いて。
中から、寝ぼけまなこのお袋が現れた。
「あれ!? いつ来たんだよ?」
「二時ごろ? かな? あんた勉強に集中してて気づかなかったみたいね」
……二時なら。
勉強中。
そう。
二か月前なら間違いの無いその言葉。
でも、今となっては。
訂正の必要がありそうだ。
「いや、違う」
「珍しいわね。寝てたの?」
「それも違う。秋乃がバレンタインデーにどんな渡し方して来るのか妄想してた」
「…………それを悲嘆したものか安心したものか」
がっくりと肩を落としたお袋に。
付き合ってる暇はない。
朝飯を作る時間は十五分。
それを十分で食べて家を出ないと。
いつもの電車に間に合わない。
俺はフライパンを火にかけながらパンをトースターにセットして。
ベーコンを軽く炙って卵を四つ割り入れたフライパンに水を張って蓋をする。
焼けたトーストにマーガリンを塗ってジャムを塗って。
素早い手際でサラダを添えた皿にベーコンエッグをよそってテーブルに出すと。
最後の一分でコーヒーと紅茶と緑茶を淹れる手が。
お袋の一言で、ぴたりと止められた。
「聞いたわよ? なんなのよあんた達の関係」
あちゃあ、もうバレてるのか。
面倒なことになった。
「俺が聞きてえくらいだ。何だと思うよ、俺たちの関係」
「昔は、友達以上恋人未満って言葉があったけど……」
「そういうのともちょっと違うと思わねえか?」
放っておくと長くなりそうだ。
俺は、自分の分の朝メシだけキッチンに立ちっぱなしで胃に流し込むと。
「行ってきます!」
「ちょっと待ちなさい!」
ここは逃げの一手とばかりに外に出たんだが。
……この人。
外までついて来てるんですけど。
「ちょっと! パジャマじゃ寒い!」
「当たり前だろ!? 家ん中に戻れよ!」
「そうはいかないわよ! はっきり説明なさい!」
「いや、もう時間ねえし」
「秋乃ちゃんも!」
「は、はい!」
「いたんかい!」
門扉の裏からこんにちは。
飴色のサラサラストレート髪をなびかせながら飛び出してきたのは。
「お、おはようございます……」
「挨拶はいいから。……で?」
「え?」
「え? じゃないでしょ! 何度聞いても意味分からないわよ! 立哉は秋乃ちゃんの彼氏よね?」
「はい」
「でも、秋乃ちゃんは彼女じゃないってどういう意味?」
「ま、まだ勇気が出なくって…………」
この意味不明な関係については。
秋乃本人に聞くと。
その表情や言葉のニュアンスで何となく理解できる。
聡いお袋が、そんな心の機微を捉えあぐねるはずもなく。
秋乃を見つめながら。
深々とため息をついた。
……まったく。
親というものはこういうことに関してほんとに面倒だ。
いちいち首を突っ込むな。
ほっといてくれればいいのに。
「……あれ? まさかとは思うが、それ聞きにわざわざ帰って来たのか?」
「まさか。名古屋で仕事があったから東京に戻るの面倒になってこっちに来たのよ」
「名古屋!? 十分遠いだろが!」
やっぱりわざわざ来たんだ。
この暇人め。
「……こんな暇人にかまってる時間ねえ。秋乃、行くぞ?」
「う、うん……」
「あいやお待ち!」
「ちょっと! 電車一本遅れちまうわ!」
「秋乃ちゃん!」
「は、はい!」
「あなた、立哉にとっととプロポーズなさい」
「は……、はい!?」
「なに言ってんのお袋!?」
藪から棒どころかエッフェル塔が飛び出してきやがった!
でも、プロポーズって。
秋乃の様子見て分かっただろ?
ゆっくり進行じゃなきゃ心が追い付かないって言ってんじゃねえか。
なんですごろくの駒をゲームの途中で箱に片付けた?
そう、こんなの。
ゴールどころか。
終了宣言。
「そんなこと、秋乃が出来るはずねえし! そもそも俺だってお断りするわ!」
「あんたは黙ってなさいよ」
「お前のせいで秋乃がインコみたいに首回し始めちまったじゃねえか!」
「秋乃ちゃん、よく聞きなさい。この子はあたしの子だから、稼ぐわよ? そこは間違いない」
「は、はあ……。じゃなくて、ま、まだそんなの早すぎ……」
秋乃は、わたわたを通り越して鞄でお手玉し始めてるけど。
俺のは返せばかやろう。
「いいから! この子はあたしの子だから、家事も上手いし!」
「いちいちあたしの子って言うな」
「ま、万が一プロポーズするようなことになったとしても、あたしからなんてとても無理……」
「ぐずぐず言わない! ちゃんと考えとくのよ? 言葉とかシチュエーションとか」
「やめんか強引な。さすがにこれ以上続けたら嫌われるぞ?」
「そんなこと無い! あたしの子だから品質は間違いなし! いい商品はいいお客さんへ!」
「いい迷惑なだけだバカ野郎」
さすがにこれ以上時間はない。
俺は秋乃から鞄を取り返すと。
お袋に背を向けた。
……でも。
それにしたって。
なんで秋乃にばかり言って。
俺には言わないんだ?
「いいか? めちゃめちゃ先の話だし、天文学的な確率だとは思うけど。万が一、俺たちが結婚することになるとした場合、ちゃんと俺からプロポーズするわ」
肩越しに、そう宣言する俺を見て。
秋乃は大仰に胸をなでおろす。
それにひきかえ。
お袋は盛大にため息を吐くと。
肩をすくめながらこう言った。
「あんたに出来るわけないじゃない。分かってないわね」
「どういう意味だよ」
「だって、あんたはパパの子なのよ?」
……俺たちは、妙に納得して。
二人で同時に頷いた。
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