瑠璃色たまごはキミのために笑む
佑佳
1 水曜日
先月隣の家に引っ越してきたお姉さんは中学三年生なんだ、ってお母さんが言ってた。
「おはよ」
「おはよーございます」
朝、マンションのエレベーター前で、ぼくとお姉さんはいつも顔を合わせる。登校時間がたまたま同じなんだろう。たったそれだけのことだ。
「毎日礼儀正しいね」
「べ、別に……」
二四時間の中でたったの五分もない、お姉さんとぼくの直接的な接点がここ。家は隣同士でも、朝のこのタイミング以外でお姉さんとは出会わない。だから訊くなら、平日の朝のこのタイミングしかないんだ。
「あ、あの」
「ん? なぁに?」
エレベーターが一階から八階のここへ昇ってくるまでの時間で、ぼくは一昨日から訊こうと思っていたことを口にする。
「風邪、なかなか治んないの?」
「え?」
「初めて会ったときから、毎日、マスクしてるから」
「ああ、これ?」
お姉さんは、鼻の下辺りのマスク布をきゅんと摘まんだ。ちょっとだけ鼻から外して、指が離れてマスクはぱちんと戻る。
「気になる?」
「なっ」
「フフッ、イッチョマエだねぇ」
お姉さんは不敵にニタニタと笑っていた。マスクで口元は隠れているけど、目が三日月型に曲がっているから笑っているんだろう。
なんか、嗤われたみたいで急に恥ずかしくなってきた。ガキくさいと思われたかも。ぼくは口を尖らせて、なんとなく右下の方を向く。
「風邪じゃないよ。マスクしてんのは別の理由」
「べ、別の理由?」
「そう。別の理由」
「なに?」
「知りたい?」
「うん」
「あは、教えなーい」
ポーンと古い電子音が鳴って、エレベーターが到着。ゴウンゴウンうるさい扉が開いたら、お姉さんからそこへ乗り込んだ。
「なにしてんの、小学生」
「え」
「ボーッとしてたら、エレベーター先に行っちゃうよ」
「あっ、乗る乗るっ、乗るよ!」
「あー。もしかして、お姉さんと話すの緊張してた?」
「…………」
当然、ぼくはお姉さんと話すことにドキドキしている。
ぼくより四コも歳上の人なんか身近にいたことがないし、それ以前にお姉さんは『多分』美人だ。なんで『多分』なのかと言うと、さっきも言ったとおり、お姉さんの鼻から下がいつも黒いマスクで隠されているから。
「キミ、名前は?」
「えっ」
「な、ま、え。隣に住んでるんだから教えてくれたっていいじゃん」
大人っぽい対応。小学生のぼくとは違う話の切り口。それがわかっただけで、ぼくのドキドキは増えていく。
「と、
「タクシン? へぇ、カッコいいね」
こっちを見て、ニヘラと笑ったお姉さん。どんな顔をしていいかわからなくて、口をアワアワさせながら「お、お姉さんはっ?」なんて返してしまう。
「ルウだよ。トーガミルウ」
「ルウ?」
変な名前。……って思ったけど、ぼくは褒めてもらったのにそれはないよね。ぼくもお姉さんを見倣って、ちょっと切り口を変える。
「どんな字でルウになるの?」
「瑠璃色のルに自由のユウで、
「る、るりいろ?」
「アハハ、調べてみなさい小学生。この先はキミ自身が調べて覚える事柄デス」
ポーンと古い電子音が鳴って、エレベーターが到着。ゴウンゴウンうるさい扉が開いたら、お姉さんからそっと降りた。
「ねぇ小学生」
「ん?」
「瑠由ちゃんとのお約束。守ってくれる?」
お姉さんはぼくを振り返らないまま、エレベーターから降りた三歩先で立ち止まっている。ぼくはお姉さんの背中へハテナを飛ばす。
「お約束?」
「エレベーターから降りて一階に着いたら、瑠由ちゃんとはお喋り禁止。キミが瑠由ちゃんとお喋りしていいのは、家を出てから一階に着くまでの間だけ」
つまり、やっぱりぼくがお姉さんに何かを訊くことができるのは、どうしたって朝のこのタイミングしかないってことだ。でもどうして『禁止』だなんて言うのかな。まるで、電車のホームに立っていただけなのに突然線路側へトンと小突いて落とされたみたいな……そんな拒絶感に、足元がうすら寒くなった。
「いい?」
ふわっと、背中まで長く伸びた
目元はさっきと同じく笑っているのに、理由不明な不安感が伝わるのはなんだろう。
ぼくが曖昧に「うん」と細く頷くと、瑠由ちゃんは満足そうに「フフッ」と
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます