2. あの平穏な時間は何処《いずこ》へ

 私の人生上で最悪の時間は、ゴールデンウイークの前半の日曜日から始まった......


 少し前の4月7日、成桐中学校2年に進級した私。

 1年前に入学した時は、それまでの小学校と同じ顔触れのまま、セーラー服に袖を通すのが新鮮で嬉しかった。

 2年のクラス替えでは、私の初恋相手で、小学校の時から憧れの川浦慶将ちかまさ君と同じクラスになって舞い上がり、登校時に胸躍らせていた。


 それだけでも、私は十分シアワセだったのに......


 2人で狭いアパート暮らしだった事に対して、私、不平不満なんて一言も言ってなかったのに......


 父は、なぜか、新築の一軒家を購入した!


 それも妙に広くて、リビングの他に部屋数4つ、2階にまでトイレの有る一軒家を!

 

 てっきり、私の漫画用の収納部屋とか、父の書斎とか、今まで狭いアパートに詰め込んでいた分、解放的にのびのびと空間利用するのだと思っていた。

 

 それなのに......


 新居に引っ越した翌日、日曜日の午後。

 早目に昼食を終えた父は、休日なのに、外に出かける時のように髪を整えたりして、いつになく落ち着きがなかった。

 私が、昼食で使った食器を洗っていると、ベルが鳴った。

 宅配物かと思ったのに、慌てて玄関に駆け付けた父の声が、興奮している様子で私のいる台所まで響いた。


 お客さん......?


 父の言動がいつもと違う気がして、洗い物を途中で止めて、タオルで手を拭き、そっと玄関の方に向かった。

 その時、父が誰かを案内している声と共に、リビングのドアが開き、思わず台所に戻った。

 そこから覗き見すると、中に入って来たのは、父と同じ40代前半くらいの溌剌はつらつとした女性だった。


「わあ~、新築の匂いがする~、広くて日当たりの良い家ね~!」


 遠くまでよく通るその声は、まるで自分の家のような感覚で言葉を発しているように、私の耳に届いて来た。


 お父さん、今日、知り合いを招待するなんて一言も言ってなかった。

 しかも、女の人を......


希羅斗きらと君も入っておいで」


 ......?

 すごいキラキラネーム!

 お客さんって、男の子もいるの......?


 お父さんったら、女の人と小さな男の子を家に呼んで、慈善事業でもしようとしているのかな?

 私にも何か相談してくれていたら、手伝っていたのに。


「はい、お邪魔します」


 男の子......なんて、私が、たった今しがた想像していたような、小さな男の子の声ではない!

 これは、声変わりしつつある男子の声......


 リビングに現れたのは、私と同年代くらいの男子。

 身長は私より10㎝以上高そうだし、お父さんと並んでもそんなに違わないから、もしかしたら上級生?

 そのキラキラネームでさえも決して名前負けしてないような、母親似の目力強めの美少年。

 おっとっと......いくらキラキラネームの美少年だからって、思わず見惚れてしまいそうになるなんて、私らしくない!

 私には、川浦慶将ちかまさ君という初恋の君がいるのに!

 

「大きい家だな~、2階に上がっていい?」


 お父さんと、希羅斗きらとって男子とは初対面じゃないのかな?

 昨日今日会った感じではなくて、やけに馴れ馴れし気に話しているんだけど。

 なんか、気に食わない!


 父と、女の人と男子は、2階に上がって行った。

 

 2階に......!


 あっ、私の部屋とか覗かれたら、ヤバっ!


 台所に隠れようとしていたのも忘れて、部屋を覗かれたくない一心で、慌てて階段の下まで走ったら、二階まで上りかけていた一同の視線が私に集中してしまった!


「あっ、愛音あいね......」


 引きった顔で見上げている私に、戸惑い気味のお父さん。


愛音あいねちゃんね、初めまして......になるのかな?ずっと昔、会っていた事は覚えてないものね。ホントに、学生時代の未奈みなにソックリね」


 未奈みなは、お母さんの名前。

 この女の人、学生時代のお母さんを知っているんだ!


愛音あいね、紹介するよ。お父さんやお母さんの古い友人の坂井絵美さんと息子さんの希羅斗きらと君」


 古い友人......?

 お父さんとお母さんの共通の......?

 

 早世したお母さんからは、もちろん聞いてないし、お父さんだって、今の今まで、そんな女友達がいるなんて、全く私に話してくれてなかった......

 古くからの友人で、ずっと前にも会った事のあるくらいの人なら、今まで、何回かは、話に出て来てもいいはずなのに。


 どこか遠くに住んでいて、最近バッタリ再会して懐かしくて、そのはずみで家に呼んでしまったとかなら、分からないでもないけど.....?

 引っ越し仕立てのまだ片付いてないタイミングの新居に、わざわざ呼ぶほど気兼ねしない間柄なのかな?


 しかも、その息子まで!


 こんなまだ収拾ついてない状態の新居に連れて来て、1階だけならまだしも、2階まで見せる必要なんて有る?

 

 お父さん、家に女の人なんて連れて来た事、今まで1度も無かったのに......。

 これって、何だか、イヤな予感しかしない。


愛音あいねです。初めまして」


 ずっと動揺しまくっていたから、何とか返上させようと、引きったままだけど、つくろって笑顔を見せようとした。


「俺達が突然上がり込んだから、驚いているんだろ? だったら、そんな無理して笑わなくていいのに」


 私のぎこちない愛想笑いを見て、吹き出した希羅斗きらと

 えっ、なんか、すごくイヤな奴なんだけど!

 キラキラネームと、こんな美少年ルックスなのに、この性格の悪さ!

 初対面で戸惑っている女子を前に、こんな傷付く言い方して爆笑しなくても......


「ちょっと、希羅斗きらと、失礼じゃない! ごめんなさいね、愛音あいねちゃん」


 絵美という女の人が、私をかばうように言った。

 この女の人は、希羅斗きらとに比べたら、まだ性格が良さそうかも知れない。


「いやいや、今までずっと、僕と愛音あいねの2人暮らしで、色々至らない点が多かったから、これからは、どんどん言ってもらえると助かるよ」


 お父さん、希羅斗きらとの味方して、私を見くびるような言い方をした。

 どうして......?

 今まで、こんなに私、頑張ってきたつもりなのに。


 第一、これからは......って何?

 この人達と、これから頻繁ひんぱんに会うみたいに。

 

 やっぱり、この人達はずっと遠方にいたけど、久しぶりに再会して、懐かしくて、これから何度も会って、今までの空白分を補うとか、そんなノリ?

 それなら、私を巻き添えにしないで、お父さんと絵美さんで勝手に、外で会ってくれて構わないんだけど。

 

 まだ転居して落ち着かない新居に連れて来るとかじゃなくて。

 絵美さんの息子まで、わざわざ連れて来るとかじゃなくて。

 お父さんが外で、その人達と懐かしむ分には、私、全く関与するつもりないから!

 

愛音あいねちゃん、そんな緊張しなくていいわよ。希羅斗きらとは、母親の私でも手を焼くくらい手ごわい性格で申し訳無いけど、早く慣れてね」


 頭がパニックになりながら状況把握しようとしている私が、緊張しているように、絵美さんからは見えているんだ。

 確かに、緊張も有るけど、それよりも猜疑さいぎ心の方が強い。

 

 今だって、この人、希羅斗きらと込みで、『慣れて』なんて言ったし......

 私が、なぜ、この2人に慣れる必要有る?

 お父さんはお父さんだから、外で3人で会うなら、私の了承なんていらないはず。

 

 3人なのかな?

 あれっ、だったら、絵美さんの夫という存在は......?


 こんな白昼堂々と、これから何度も会うって事は、絵美さんの夫も、他界したか、離婚した?


愛音あいね、なんかパニクってて、ウケる! ニブイつ~か、おっそろしく空気読めてね~な!」


 えっ、なんで初対面で呼び捨てにしてくるの?

 しかも、ニブイとか、空気読めないとか、私をけなす事しか言わなくて、ムカつくんだけど!

 

 お父さん、一体どういうつもりなんだろう?

 こんな性格の悪い息子のいる母親と、これから頻繁に会い続けるなんて!

 私は、この時間だけでも、もう十分過ぎるんだけど!


希羅斗きらと、いい加減になさい!」


「ははは、希羅斗きらと君の言う通りだよ。愛音あいねは、おっとりというか、世間知らずなところがあるからね」


「そういうところも、未奈みなにソックリね~! 私達、仲良くなれそう!」


 お父さん、さっきから希羅斗きらとの味方ばかり。

 そして、この絵美さんって人まで、遠回しに、お母さんの事を侮辱しなかった?

 そのくせ、『仲良くなれそう』なんて......そんな風に勝手に決め付けないで!


 なんか、もう最悪なんだけど。

 この四面楚歌的っていうか、一気に自分の味方を失った感......


 どうして、私、皆から、けなされてるの?

 大体、仲良くって、何?

 お父さんと仲良くしている分には、私は文句言いたくても文句言わないけど、どうして、私まで巻き添えなの?

 私は、今まで通り、お父さんと平穏な日々を過ごしたいだけなのに!


愛音あいね、お父さんは、絵美さんと再婚する事にした」


 今、何て言った?


 今日は、エイプリルフールではないよね?

 もうとっくに過ぎていた。

 

 ああ、なんなの~、それ!


愛音あいねちゃん、驚かせてごめんなさいね。お互い再婚同士で色々有ったし、この新居から、私達の新生活をきっちりとスタートさせたかったのよ」


 私だって、ずっと狭いアパートで文句言わずに過ごして、やっと自分の部屋がもらえて、新生活に期待していたのに!


 お父さんは、この人と一緒にこの家を選んでいた。

 私の知らないうちに......

 知らないのは、私だけだったんだ......


 その事が、何より悔しくて哀しい......


「僕が言うのは親バカかも知れないけど、愛音あいねは、本当に聞き分けの良い子だから、今回の事も分かってくれるね」


 今までの私を知っているお父さんが、やっと私をめて、私に確認を求めて来た。

 でも、そんな風に言ったって、今更何の役にも立たないんだから!

 

 私、お父さんの前では、ずっと素直な良い子で居続けようとしていたけど、もうムリ!


 もう限界だから!


「いや......」


「えっ、愛音あいね


「私、この女の人やその息子と、家族になるなんて、絶対にイヤだから! お父さんがお母さんの事を忘れて、この女の人と結婚するなんて、絶対に反対だから! こんな日が来ないように、私、お父さんの前で、ずっと良い子で居続けたのに! 私の努力は無駄だったの? ずっと色々ガマンし続けて来たのに、私の今までのガマンは何だったの?」


 あまりに唐突過ぎたし、悔し過ぎて、もう感情が抑え切れなくなっていた。

 込み上げて来た涙も止められなくて、何もかもイヤになって、自分の部屋にこもってしまった。


愛音あいね、黙っていて悪かった! 部屋から出て来てくれ!」


「ねえ、あき、思春期の女の子の心はデリケートだから、そっとしておいてあげましょう」


 そのデリケートな心を踏みにじったのは、どこの誰?

 

 あき......

 お父さんの名前は、昭典あきのり

 だけど、そんな呼び方、今まで誰からも聞かされた事が無かった。


 どうしてこんな大切な事、お父さんは自分達だけで決めてしまおうとしているの?


 てっきり、お父さんは亡くなったお母さんを想い続けて、これからも再婚しないものだとばかり思っていた。

 お父さんの口からは、今までずっと女の人の名前すら出て来た事も無かったのに。

 どうして、初めて女の人が現れたタイミングで、まして、お母さんの友達でもあったその人と再婚するなんて言えるの?


 私、今までお父さんの事を嫌った事なんて1度もなかったけど、今日のお父さんは大キライ!


「ガキかよ? 放っておいても、そのうち、腹減ったら出て来るって」


 こ、こいつ~!

 何様のつもり?

 家にいる人達の中で、一番偉そうに構えて!


 何が気に食わないかって、子連れにしても、この見かけ倒しな性格の男子が一緒って事!

 こんなデリカシーの欠片も無いような奴と、ひとつ屋根の下にずっと暮らすなんて、有り得ないんだから!


 誰が、部屋から出て行ってやるか!

 お腹が空いたって、あの人達がいる間は、ガマンして部屋に閉じ籠っているからね!

 あんな奴の思惑通りになんて、動くもんか!

 ......って、気持ちだけは強いんだけど......


 正直、すごくお腹空いた!

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