第2話 願いは叶うものなのか

 願いはいつか叶うという話はよく言われるし、またそんなこと言ったって願いは別に願っているだけでは叶わないよ、という話もある。本当のところどうなのだろうか。

 ここで仮にコイントスをすることを考えてみよう。コインには裏表があり、上に投げてから落ちてくるとどちらかの結果がでる。この時、私は「表出ろ。表出ろ。」と願っていたとする。さて結果はどうなるか。当然、結果は表か裏が出る訳であるから、願いが叶うとも言えるし叶わないとも言える。

 非常に単純なモデルだが、明らかになってくることもいくつかある。というのも、例えばこの場合、自分が願ったことによって、コインの出てくる統計的な性質は変わらないだろう。もちろん、表が出るよう願った被験者を用意した部屋とそうではない部屋を用意して、統計的に有意差が出るかどうか調べていけば、本当に人間の精神が直接的に結果を左右しうるかどうかは調べることができる。しかし、現在、一般的に考えてそのようなことは起こらないと考えて差し支えないだろう。

 では、宝くじを買う場合について考えてみよう。宝くじを買う人の中で、「宝くじ、当たってくれ!」という願いを持った人が出てくる宝くじの結果とどのような関係にあるのかを見てみよう。まず、「宝くじは当たらない」と思っている人は宝くじを買わないので宝くじが当たることはない。しかし、「宝くじは当たる」と思っている人が実際に宝くじを買い、そして実質的には、その宝くじを買った人の中から当選者が選ばれる訳だから、「宝くじは当たる」と思って「買った」人の中で”誰か”は当たるということになる。(もちろん、宝くじは当たらないと思いながら買う人もいるだろうが、ここでは一旦置いておく)

 まずここで言えることは、「宝くじよ当たってくれ!」という願いが実際に宝くじを購入するという行為へと進んだことだ。「宝くじよ当たってくれ!」と願いながら宝くじを買ってもいない人には宝くじが当たることはない。

 このことから、重要なことは何かしら具体的な行為、すなわち行いであるということが言えてくる。「宝くじは当たらない!」と思いながら、例えば、友達に無理やり買わされてしまったようなケースであっても宝くじがあたることはありうる。

 このため、原則として、願いそのものよりどのような行いをしたかという点が願いの実現のために結びついている。

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