第13話 再会
仲間を失った悲しみや不安にとらわれている暇も無く、厳しい現実が始まったのは、それから間もなくのことだった。
今やリオネス砦は、唯一の前線基地となった。しかも周囲には、敵がどこに潜んでいるかも分からない。
状況を伝える急使が王都へ走る間、街道沿いの最寄りの砦からは、支援の物資と追加人員が届けられ、砦の周囲では、増えた人員を収容するための拡張工事が昼夜を問わず行われていた。
司令官の遺体は、一度も砦に戻ること無く、そのまま都へと送り返されていった。砦の総指揮は、代わりに、副司令だったフレイザーという男が就くことになった。ロジェール司令よりは年かさの、穏やかな初老の男だ。ほとんど接点のないユッドには、その程度の印象しかない。
経験の浅い新兵たちの仕事はといえば、まずは砦の拡張や防御壁づくり。防御壁といっても、相手は竜人族だ。古参兵たちは、ルーヴァ川と反対側にも水路を巡らせ、堀を作ることを考案した。堀があれば、少なくも、奇襲を受けても門を破られる前に橋を落として時間稼ぎは出来るはずだ。
周囲の警戒も、それまでになく厳重に行われるようになっていた。
それまでは数日に一度、二人一組で送り出されていたのだが、毎日、五人組が四方に送り出されるようになった。待ち伏せを避けるため、、巡回の経路も毎日、変えられることになった。しかも、もし竜人族を見つけたら基本的に交戦せず、確実に砦に情報を伝えるよう厳命されている。
近隣の村にも、状況を伝えた上で見張り台と狼煙台を作らせている。何かあれば、すぐにも駆けつけられるように、という考えからだ。各集落には、最低でも二日に一度は巡回兵が立ち寄る。そして、竜人族らしき姿や、怪しい痕跡を見つけたら、すぐにも知らせるよう伝えている。
誰もが不安を抱えていた。
そして、敵が再び襲ってくるとすればいつなのか、次に狙われるのは何処なのか、と怯えていた。
そうした任務の合間に、ラーメドは、新兵たちを集めて戦い方の講義をするようになっていた。
「いいか? 竜人どもは、図体がデカいぶん小回りは効かんが、腕力はとんでもない。盾でも鎧でも一撃で壊す。人間なんざひとたまりもねぇ、まずは攻撃を避けることを考えろ。一発食らったら死ぬ、そう思ってかかれ! 会敵したら、まずは相手の急所を狙えるようになるまでは逃げ回れ。二人以上いるなら散開して前後左右から狙うのが基本だ。そうでないなら、とにかく逃げろ。逃げるのは恥ずかしいことじゃねぇ。生き残れば次があるからな。俺だって、一人の時に大量の敵に出くわしたら、普通に逃げる」
ラーメドの説明はわかりやすく、しかも、経験に基づいた確固たるものだった。
「もし攻撃するなら、初心者は、まずは尾の付け根を狙え。奴らの体はウロコで覆われててやたら硬いが、尻尾の付け根だけは柔らかい。動く部分だからだ。尻尾で均整を取りながら動いてるからな、うまく切り落せりゃあ動きが鈍る。致命傷にならんでも、こちらが有利になる。ただし尾も武器の一種だ。脳天殴られてこっちが死んじまわないよう、気をつけることだ」
無茶な特攻はさせず、出来る限り生存率を上げさせようとしている。
そういうことが分かる講義の仕方だった。
キツいのはその後の、実技の訓練のほうだった。座学として聞くぶんにはいい。だが、実際にやるとなると話は別だ。
訓練用の広場の端には、台車の上に竜人に見立てた大きな藁人形が立てられていて、実際にその人形の急所を狙う練習をさせられる。台車は両端から綱で引いて動かせるようになっている。訓練で使う槍は、重たく、頑丈な竜人の鱗も貫けるように作られている。それを抱えて構えるのが、まず辛い。
武器を抱えて打ち込みを続ける新兵たちの間を歩き回りながら、ラーメドは、敵との戦い方のコツ繰り返す。
「狙うなら、腕の付け根! 首の内側! 鼻先も皮膚が柔らかいが位置が高すぎる! 狙うなら足場の悪い場所で転ばせてからだ。背中は狙うな! 皮膚が固いし長い尾で叩き落とされるぞ、睨まれても怖がるな、正面から立ち向かえ! それだけが、生き残る手段だ」
「こんなんじゃ、斥候のほうがマシだよな」
後ろで、新兵仲間たちがぶつぶつ文句を言っている。
「朝から地面掘らされて、午後にはこれだろ? やってらんねぇよ…」
確かに、ユッドでさえそうと思っていた。士官学校にいた頃も、実技や体力づくりの授業はあったし、それなりに厳しかったが、ここでは休日さえなく、一日も欠かさず訓練が続く。
「竜人に襲われて死ぬのも、戦うのも嫌だな…。」
「けど、しょうがないだろ。誰かが戦わなきゃ、食い止められないんだし」
「分かってはいるけどさ…オレらがやる必要、あるのかよ…?」
”自分以外の誰かが戦ってくれたらいい。”
そう思う気持ちは、痛いほどよく分かる。募集に応じて雇われた農家の息子や、出稼ぎにやって来た地方の若者なら、尚更そう思うはずだ。
どんなに体格のいい者でも、訓練を楽々とこなしている者はほとんどいない。ユッドはまだマシなほうで、体力の足りなかった者は早々にバテて救護室に担ぎ込まれている。厳しすぎる、とは思ったが、誰もそれを口にしなかった。
――この砦が陥落すればもう、後はない。
この砦にいるからには、自分たちが戦わねばならないのだと、誰も口にはしないが判ってはいる。
(ここが陥落したら、街道沿いの砦に伝令が到着するまで馬を乗りつぶして走っても半日だ。すぐに軍を出してくれたとして、到着するまで丸一日以上はかかる。その間、…敵はこの近辺の集落を、好きなだけ略奪できる)
見張り台からいつも見ていた、閑散とした西の平原の、もう誰も住まなくなった廃墟のことが思い浮かぶ。
十年前、あの、川の西側の平原は、同じようにして全て焼き払われ、略奪されたのだ。
多くの人が犠牲になり、その傷は、今も癒えることがない。
ただ、頭で判っていることと実際に出来るかどうかとは、全く別の問題だ。口を開けば、辛さに対する愚痴がとめどなく流れ出る。上官たちも、敢えてそれを止めさせようとは、しなかった。
その日も、訓練から解放されたのは、夕刻に差しかかろうという時間だった
もう、へとへとだった。それに、空腹で倒れそうになっている。
午前中は砦の増強か見回り、昼からは講義と訓練。夕食をとり、少し休んだら、もう夜だ。
毎日この繰り返し。夜間の見張りや持ち場がなければ朝まで眠れるが、最近では夜間の警戒も厳重で、三日に一度は徹夜することになる。夜勤の翌日は、午前中の仕事は免除されるものの、午後の訓練までは休ませてくれない。結果、疲れ切ったまま夕方を迎えることは、変わらない。
「はああ、やっと終わった」
「腹減った、飯だー」
重たい体を引きずって食堂に向かう者はまだ元気なほうで、死んだような表情でぐったりしている者も少なくない。仲間たちに抱えられ、ようやく立ち上がる者もいるくらいだ。
訓練は厳しすぎる。
だが、悠長に体力のない者の成長を待っている余裕はない。明日にも敵は再び襲ってくるかもしれないのだ。そうなれば、戦えない者は役に立たない。
訓練場の広場を去りながら、ユッドは、広場の隅で腕組みをしてじっと新兵たちを眺めているラーメドの、複雑な表情を見やった。どこか悲観的なその表情からは、言いたいことがはっきりと分かる。
――短期間鍛えたくらいで、そう簡単に兵は育たない。
たぶん、この程度では、全く戦力にもなっていないのだろう。
だからと言って、何もしないわけにもいかない。今は、出来ることを一つずつ積み上げて、少しでも生存率を上げるしか無いのだ。
夕食は、代わり映えのしない味気ないスープと、パンだけだった。
割当ての食事をさっさと流し込んでしまうと、ユッドは、少し散歩するつもりでぶらふらと川べりに向かった。今夜は夜勤が入っていない。少しでもゆっくりしようと思ったのだ。
「ん? あれは…」
夕日に照らされて流れるルーヴァ川のほとりまで来た時、彼は、川の上に見覚えのある人影を見つけて、思わず駆け寄った。
「おーい、リュカ!」
遠くの流れの上にいた少年が振り返り、早足に、こちらに向かって近づいてくる。相変わらず、水の抵抗を受けている気配が全く無く、水の上を滑っているかのようだ。
「お久しぶりです、ユッド」
「一体、どうしたんだ? 森に帰ったはずじゃなかったのか」
「少し、気になっただけです」
言いながら、彼は僅かに言い淀んだ。
「その、…川の流れが変えられているのを検知したので。」
「あー、そうか。あんたらにとっちゃ、迷惑だったか? ごめん」
「いえ、それほど大きな変更でもないですし、森に影響するほどでもないですから。…水路くらいなら、よくあることですし」
妙に歯切れ悪く言って、ちらりと砦のほうに視線をやる。居心地が悪そうだ。
(もしかして、ラーメドさんのことを気にしてるのか?)
だとしたら、きっと、長居したくないのに違いない。
「あ、そうだ。ちょっと待ってろ」
「え?」
「すぐだから」
ユッドは大急ぎで食堂の裏口に駆け込み、籠に積み上げられていたパンを二つ、三つ、取り上げる。パンを焼いていた食堂係が振り返り、あっ、という顔をする。
「こら! 配給分は決められて――」
「おっちゃん、ごめん! これ、友達にやるんだ」
抱えたパンからは、焼き立てのこうばしい匂いが漂ってくる。
川べりに駆け戻ると、ユッドは、抱えてきたパンをそのまま、リュカの手に押し付けた。
「これ、食ってくれ」
「え…でも」
「好きだろ?」
にっ、と笑う。緊張していたリュカの表情がほぐれ、困ったような笑みが浮かんだ。
「――これじゃ、まるで僕が食べ物欲しさに立ち寄った食いしん坊みたいじゃないですか…。」
「いいだろ、そのくらい。また会えて嬉しいんだ。あれからフィリメイアはどうしてる? 元気なのか。」
「はい。…その」
うつむきがちに、彼は呟いた。
「森の近くに敵が出る頻度が上がりました。それで、今は森の周囲の結界を強化していて…。フィリメイアは怖がって、森の奥に引きこもってます」
「…そうか」
「ユッド、このままでは、また負けてしまうんじゃないかって気がします」
また、という言葉を、リュカは使った。
それは、繰り返し起きる事象に対して使われる言葉だ。だとすれば、彼が想起している「前回」は、いつのことなのか。
ほんの数週間前に起きた夜襲のことなのか。それとも、レグナス砦が陥落した時か…あるいは、十年前の。
ユッドは、硬い表情で頷いた。
「だけど現状、オレたちに出来ることは、こうして備えることくらいだ。敵がどこに潜んでるのか、全然分からないんだからな」
「…それなんですけど」
パンを抱えたまま、少年は、ためらいがちに言葉を継いだ
「もしかしたら、この近くに棲む他の妖精族の力を借りれば…どこに敵が隠れているのか、分かるかもしれないと思っています」
「え?!」
「僕たち妖精族は、自分が支配する領域と、そこに繋がる水系に感覚を広げることが出来ます。つまり、自分の領界に近い場所のことは、分かるんです。サウィルの森の周辺に、敵が潜んでいる場所はありません。おそらく、僕が近辺を警戒しているので、不用意に近づいて来ないのだと思います。だとすれば、川のこちら側で、ここからもそう遠くない別の何処か――サウィルの森からは離れている場所を、拠点にすると思うんです」
「なるほど。…当てはあるのか?」
「はい。ここから一番近い仲間の領域は、…マウリドという場所近く、のはずです。」
「マウリドだって? 確かに、西の方にそういう町があるけど。」
ユッドは、妖精族であるリュカの口から人間の集落の名前が出てきたことに少なからず驚いていた。
「何で知ってるんだ」
「母の知り合いが住んでいるから…昔、少しだけ話を聞いたことが。話を聞いてくれるかは分かりませんが…。この川の、西へ向かう支流のほとりで、人間の集落の近くに住んでいるはずなんです。少なくとも、妖精族の中では、人間には好意的なほうかと」
「なるほど…。」
相槌を打ちながら、ユッドは、その村への経路と距離を考えていた。
ここのところ、巡回の任務で何度か訪れたことがある。
道は、判っている。だからこそ、徒歩で向かうのは無茶だと思えた。――少なくとも、人間の感覚では。
リュカの表情からして、彼が、あまり正確に場所を知っていないらしいことは明白だった。砦の様子見に来た、というのは嘘ではないのだろうが、本音では、この砦より先まで行けるかどうか、確認したかったというところだろう。
(そういや、この前ここへ来た時も、”こんな遠くまで来るのは初めて”とか言ってたな…。そうだ、妖精族って本来は、あんま縄張りから離れたがらない種族のはずだ)
だとしたら、本当は不安なはずだ。ユッドにもようやく、少年の表情の意味が理解できた。
「ちょっと遠いぞ。行くなら馬を使った方がいいな」
「馬…ですか?」
「ああ。準備しとくよ、明日また来てくれ。案内する」
ユッドの言葉に、リュカの表情が明るくなった。
「助かります」
「何言ってるんだ、助かるのはこっちのほうなんだぜ。敵の居場所が分かるんなら、このくらいの協力、全然苦にもならない」
言いながら、ユッドの心も少し弾んでいた。この理由ならきっと、外出の許可は降りる。もし巧く行けば、こちらから先制攻撃をかけられるかもしれない。何より、この閉塞感の漂う日々を、これ以上、過ごさなくて済む。
リュカと別れ、まずはカリムに馬を借りる相談をしようと考えながら振り返ったときだった。
「ちーっす」
「うわっ?!」
いきなり背後から肩を叩かれた。
目の前には、兵舎でユッドと同室の赤毛の若者が、ニヤニヤしながら立っていた。近くの町から募集されてやって来たという、ヘイスティという名の若者だ。二段ベットのユッドの真上に寝ているのだが、すぐ向かいの仲間が物凄いイビキをかいていてもピクリともせず、朝まで悠々と眠っている。ある意味で羨ましい図太さの持ち主だ。
ヘイスティの後ろには、似た年頃の若者が二人、並んでいる。片方は額に、子供の頃に負ったらしい傷跡があり、もう片方は髪を短く刈り込んでそばかすがある。どちらも何となく見覚えがあるところからして、多分、近くの部屋にいる新兵仲間だ。
「あんたさ、今、例の妖精と話してただろ。何? そんな仲良いの」
「見てたのか」
「そりゃあな、目立つじゃん? 川の上すいすいーって歩いて来てさあ。それに、前にここが夜襲受けた時に見かけてたから」
ヘイスティは、へへへっと陽気に笑いながら、後ろの連れを振り返った。
「なあ?」
「うんうん。ひと目であの時の奴だって分かった」
「ボクさ、あいつに解毒して貰ったんだよ。それまで人間じゃないってちっとも気がついてなかったからさ。いやー、さっきの見ると本当に、あの見た目で妖精かぁ…って感じ」
三人とも、悪気があるわけではなく、ただ純粋に物珍しくて、興味を惹かれただけのようだった。田舎育ちらしい砕けた口調と気楽な雰囲気は、この手の若い募集兵には良くあるものだった。
「あんた、あいつと何話してたんだ?」
とヘイスティ。
「川の流れが変わったんで、様子見に来たって。妖精族は水の流れに敏感らしくて、そういうのが分かるらしい」
「へえー。便利だなあ。いや、便利なのか? まあ、洪水とかの時は役に立ちそうだな」
「何で、パンなんか渡してたんだ?」
「それは…。前に来た時に気に入ってたみたいだから、ついでに」
「妖精って人間の食い物とか食えるの? へー。霞でも食ってんのかと思ってた」
「食べなくてもいいらしいけど、趣味で食べてみてるってさ。変わり者だって、自分では言ってたよ」
「確かに。そもそも、男の妖精族なんて滅多に居ないらしいからなぁ」
ヘイスティは、したり顔で頷く。
「うちの爺さんが昔、行商人やってたんだが、どこの縄張りも、ふわふわした真っ白い女の妖精が取り仕切ってるってさ。あと、人間の言葉は分かってても知らないフリとかするのが普通らしい。自分から話しかけて来るとか無いんだってさ」
「だよなあ、あんな人間みたいな見た目で普通に話しかけられたんじゃ、全然わかんねえよ、ははっ」
若者たちは気楽に、思ったままを口にして笑い合う。
この会話をどう切り上げたものかと迷っていた時、ヘイスティのほうから先に切り出した。
「さーて、っと。おれはそろそろ、臨時の夜番、行かなきゃな。」
「え? だって今日は――」
ユッドは、思わず聞き返した。当番は、部屋ごとに割り振られていて順番制だ。今日は、向かいの二段ベットの二人が担当だったはずなのだ。
「ああ、あの向かいの二人、今日で除隊したぜ?」
「除隊…?」
「故郷に帰るんだとさ。こないだの襲撃と、ここんとこの訓練で心が折れたらしい。まっ、日雇い仕事の感覚で来てりゃそうなるわな」
若者は、くくっと小さく笑う。
「あいつら、ビビりでやんの。こないだまで、竜人なんてデカくてノロいトカゲだとか大口叩いてたくせにさ。」
ユッドは、唖然としていた。
確かに、あの二人はここのところ妙に口数も少なく、顔色も優れなかった。夜中のいびきも途切れがちになり、何度も寝返りを打っては、夢にうなされていた。
けれど、進退を思い詰めるほどだとまでは、気づいていなかったのだ。
ユッドの表情を見て、額に傷のある若者が、申し訳無さそうに呟いた。
「軍人になろうって決めて、士官学校まで出たあんたには分からないかもしれないけどさ。ぼくらは、その…命をかけてまで戦う覚悟は、正直、持ってなかったんだ。ほんの数週間前まではね」
もうひとりの、そばかすの青年も言う。
「誰だって命は惜しい。何となくカッコいいからっつって来てた奴もいるんだよ。けど――それがさ、こんなことに…。おれの実家、すぐ近くの村だからさ。帰っても、ここにいても、結局は同じなんだ」
「……。」
ようやく、ユッドにも状況が飲み込めてきた。
確かにここのところ、兵舎で見かける新兵の姿が減った気がしていたのだ。訓練に出てくる人数も日ごとに減っていて、けれどそれは、筋肉痛で倒れているか斥候任務に出されているからだとばかり思っていた。
(まさか、既に脱落者が出ていたなんて…。たった数週間なのに…)
自分だって大した理由があって此処に居るわけではない。命の危険を感じるような状況で、それでも戦い続けようと思える者は少ない。
それは分かる。分かってはいるが、…それでも、納得は出来なかった。
「まあ、少なくとも、おれらはまだ残ってるよ。じゃあな、エリートさん」
軽口を叩きながらヘイスティが去り、他の二人も、めいめい散ってゆく。
立ち尽くしたままで、ユッドは、砦に赴任することを報告したときの家族の反応を思い出してていた。
ことに兄は、まるで、無謀な負け戦に挑もうとする愚か者でも見るような目つきで呆れていた。兵士になる道を選んだときも、実家を遠く離れるためにも、それらしい理由は幾つも並べ立ててみたけれど、今となっては、その全てが本心ではなかったと判っている。
(オレはただ、あそこから逃げたかっただけだ。…ここへ逃げてきたから、最初からここの他には逃げ場なんて無かったから。だから…今もここに居られる。ただ、それだけだ…)
振り仰いだ空には、いつしか薄く雲が張り、静かな雨の気配が近づいて来ていた。
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