第19話 確証
目が開いた。反射的に壁の時計を見る。九時過ぎ。しまった、いつの間に眠ったのか。そう焦ってソファの端に目をやれば、ジローはいつものように膝を抱え虚空をじっと見つめている。目の前のテーブルにカレーライスを置いたまま。
「あー、五味さんやっと起きた」
笹桑が困り顔で走り寄って来る。
「ジローくん、カレーライス出しても食べてくれないんすよ。どうしたらいいんすかねえ」
五味は小さく舌打ちするとジローをにらむ。そして言った。
「いいから食え」
するとジローは弾かれたかのようにカレーライスに襲いかかり、地獄の餓鬼もかくやといわんばかりに大急ぎで口に掻き込む。
「ああ、暖めるのに、ジローくんてば、ちょっと」
あたふたしている笹桑を横目に、五味はタバコを咥えた。
昨日、築根と話をすり合わせたところによれば、警察では霊源寺始の死を事故だと結論付けているらしい。それがわかったから即どうなるという話でもないのだが、わからないよりは断然マシだ。確実に前に進んでいるのだから。
「あらら、ジローくん全部食べちゃいましたよ」
「冷めたカレー食ったくらいじゃ死なねえよ。ほっとけ」
笹桑にそう返事をすると、五味はタバコに火を点ける。
築根曰く、霊源寺が落ちた部屋の窓はストッパーが壊れていた。それに気付かず窓を勢いよく明けようとして落ちたという事だ。ない話ではないと五味も思う。確率的には低いが、可能性ならある。だが、それで殺人の疑いが消え去る訳でもない。
「この件に首を突っ込むのはおやめなさい。忠告はしましたよ」
アレが提督と呼ばれる化け物なのだとしよう。で、「この件」とは、どの件だ。五味は首をひねった。
普通に考えれば、霊源寺始の死をこれ以上突っつくなという意味だろう。だが何故だ。単なる事故なら、どうして邪魔をする。何を隠したがっている。それはすなわち、霊源寺始の転落死は事故ではないという事実ではないのか。
わからない事がいくつかある。まず春男と冬絵の父親、いや母親の内縁の夫をけしかけたのは何が目的だ。自分の目の届く範囲の広さを誇示したかったのか。それとも、もしかしたら提督の言う「この件」には、河地善春の捜索まで含まれているのか。
砂鳥宗吾が霊感ヤマカン第六感のトリオに河地善春の捜索を依頼したのだとすれば、これもわからない。何故だ。砂鳥ホールディングスほどの企業なら、私立探偵の五人や十人雇うのは
多くの人間が誤解しているが、情報は常に正しさに意味があるとは限らない。正しく河地善春本人を捜し出す事ではなく、「これは河地善春である」と客観的に認められる人物を捜し出すのが目的なのだとしたら。つまり本人でなくても、そっくりさんでも構わない。いや、事と次第によっては、その方が都合がいい場合もある。
顔を知っている人間が探し出した事実が根拠としてあれば、中身はどうあれ本人である信憑性は高くなる。ただし、何のためにそんな面倒な手間が必要なのかは不明だが。
五味は立ち上がって事務机に向かい、クリアファイルを手にした。その中に河地善春の書いたとされるコピー用紙の手紙が入っている。
――そうごにあやあってほしいちからにはなれない
最後の行には、そう書いてある。力にはなれない。何の力だ。砂鳥宗吾は河地善春の何らかの協力を必要としていた。何を協力させたかったのか。それが河地善春でなければならない理由があるはずだ。そして謝って欲しいとある以上、それは約束された事だった蓋然性が高い。
もちろんこれは、この手紙を書いたとされる、春男の語る「晋平さん」が本物の河地善春ならば、という前提の話ではある。しかし春男に嘘をつくメリットがあるとも思えないし、「もし自分に何かあったときには妹を頼れ」と言い残していた人物が、河地善春でない可能性はあるだろうか。可能性ならゼロではない。そう、可能性なんて考えるだけ無駄だ。いまは一つでも確証が欲しいと五味は思う。
と、そこにインターホンのチャイムの音。五味が足を向ける前に笹桑が玄関に走って行った。用心もクソもねえなと苦笑していると、築根を先頭に、親方、美冬、春男と冬絵、原樹が入って来る。
このメンバーは昨夜、五味の知り合いのホテルに泊まったのだ。提督の手がどこまで伸びているのか不明な現状では、可能ならば全員事務所に泊めたかったのだが、さすがにこの人数は無理だった。なお、その結果として、河地美冬の依頼を断る件も有耶無耶になってしまっている。
「どうだ、五味」
昨夜はあまり寝ていないのか、目の下に薄いクマを作った築根がたずねる。
「何か思いついたか」
「そんな簡単に行きゃ苦労はねえよ。そっちは何かわかったのか」
「所轄に問い合わせたんだが、ホームレスの高齢女性が川で溺死した事件は一件あった。関係があると思うか」
「あるかもな」
重苦しい顔でタバコの煙を天井に向かって吐くと、「春男」と声をかける。
「はい」
何の用かと不思議げな春男に、五味はこうたずねた。
「家の鍵は持ってるか」
「持ってます」
すると五味はうなずき、玄関に向かって歩き出した。
「笹桑、オマエの車も出せ。二台なら九人全員乗れるだろ」
「え、いいっすけど、どこ行くんすか」
その問いに五味は背中で答えた。
「確証を探しにいくんだよ」
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