第四章
第31話
少しずつ、それでも着実に……本番の日は近づいてきていた。
八月二十日。練習十七日目。
俺たち音響組は、二週目の通し稽古を終え、しばしの休憩を取っていた。
この段階になると、俺たちはすべての工程をそつなくこなせるようになっていた。後はひたすら、本番を想定した反復練習。少しつまずいたところはチェックを入れ、重点的に修正する作業を繰り返している。同様にアイドル組も、完成度を高めていくフェーズへと移行している。
本番でメインの機材操作をするのは日暮。俺は細かなサポートをしつつ、もしミスがあればそのつど日暮に伝える、いわば助手役に回ることとなる。機械いじりに関しては明らかに日暮のほうに分があるので、俺も納得したうえでの決定だった。
――全体的に、悪くない仕上がりだと思う。
しかし日暮にはまだもの足りない部分があると見えて、こうした休憩時間にも、ああでもないこうでもないとつぶやきながらDJセットと向き合っている。
椅子にくつろぎながらその様子をぼんやりと眺めていると、いきなりポケットのスマホが強く震え出す。
見ると、着信元は「音海円花」。
「……もしもし」
『もしもし、悠くん? あの……今、大丈夫かな?』
その声にどことなく不穏な空気を読み取った俺は、わずかに眉をひそめた。
「ああ。休憩中だからな」
『その、時間があったらでいいんだけど……西ラウンジに来てもらってもいいかな?』
西側のラウンジ。円花たちがいつも練習している東ラウンジとは、ちょうど対極の場所だ。
ということは今、円花はひとりでいるのだろう。あまり四条たちには聞かれたくない話か。
「……分かった。今から行く」
『うん。待ってるね』
電話を切ると、日暮が怪訝そうな目でこちらを見ていた。
「どっか行くのか?」
「ちょっとな。込み入った話らしい」
あぁ……と、日暮は不明瞭な声を残してから、
「ま、頑張れや」
無理に詮索をしてくることもない。
このあたりの気遣いについては、俺はこいつに全面的な信頼を置いている。基本的に、日暮京太郎という男はいい奴なのだ。
「ああ。終わり次第、すぐ戻る」
日暮にそう言い残して、俺は部室を後にした。
足早に西ラウンジへと向かう。
壁に背をあずけた円花が、スマホを手にしたまま窓の向こうを眺めているのが見えた。
向こうも足音に気づいたようで、ゆっくりとこちらを振り向く。
「ごめんね、わざわざ来てもらって」
「問題ない。……それより、どうしたんだ」
うん、と円花は小さくうなずいて、手中のスマホをくっと握りしめた。
「プロデューサーから、電話かかってきちゃった」
「……プロデューサー?」
「うん。……わたしのこと、お偉いさんの耳に入ったみたい」
抑揚のあまりない声で、円花は足元に目線を落としている。
――このタイミングか。
おそらく、事態を知ったファンがプロダクションに報告したのだろう。遅かれ早かれこうなることは予測できたが……俺たちとしては、なんの手の施しようもない。
「……それで、なんて言われたんだ?」
「とりあえず、話し合いの場を持とうって……俺が佐賀まで来るから、って」
「…………」
有無を言わせない語調だったのだろう。
プロデューサーが直々に会いにくる。それがなにを意味するのか、彼に会ったことさえない俺でさえ分かる。
「それは、いつなんだ?」
「明日の午後イチにって」
「そりゃまた、急な話だな」
だがその理由も、俺にはなんとなく理解できる。一方的に予定をまくし立て、「じゃあ明日、来るから」と言われれば、誰でも混乱してしまうだろう。その心の隙を突いて、円花を説き伏せる。すぐにでも東京に連れて帰る……そういう魂胆が垣間見えてくる。
「……不安か?」
そう訊いてみると、円花はこくんと首を縦に振った。
「なら、俺も一緒に行ってやる」
うつむく円花の両肩に、俺はゆっくりと自分の手を置いた。
ふわりとしたコンディショナーの匂いとともに、円花が俺を見上げてくる。
「……いいの、悠くん?」
「ああ。お前ひとりじゃ、いいように言いくるめられるかもしれない。……だから、俺も行く」
指先に力を込めながら、俺は静かに宣言する。
向こうが強引な手を使うならば、俺だって――多少は強引になってもいいだろう。
俺たちはしばらく、互いの顔を見つめ合った。
先に折れたのは……円花のほう。
「……あーあ。いつだって、悠くんには助けられてばっかりだね」
緊張の糸をするすると解くように、円花は咲きかけのひまわりみたいな笑顔をこぼした。
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