第12話



 朝の九時を回るころ。


 地味に体力を削り取ってくるような朝の日差しに耐えつつも、俺は彼女の登場をハチ公のごとく静かに待っていた。


「あ、悠くん……おはようございますっ」

「おう」


 今日はドアを開けるやいなや、音海がこちらの存在に気づいてくれた。


「すみません、なんか昨日も今日もお待たせしちゃって」

「いや、べつに。俺が勝手に待ってるだけだからな」


 最初の一回こそ「家の前で音海を待つ」という行為に至ろうか至るまいかと頭を悩ませたものだが……一度でもやってしまうと、今度はそうせざるをえない。


 日によって違うというのも気に食わない性分なので、もうこれはお決まりのルールというわけだ。だいたい家が目の前なんだから、待ってやるのが男の甲斐性というものだろう。知らんけど。


「明日からは、わたしももっと早く支度しますね」

「急がなくていいぞ。だいたい俺なんか、そこまで準備に時間かからないんだ。お前はいろいろやることがあるだろ」


 柔らかそうな前髪が、さんさんと降りしきる光に白く映える。

 その奥にある優しげなまなざしが、にっこりと淡く細められた。


「ですね。気遣ってくれて、ありがとうございます」

「……べつに。思ったとおりのことを口にしただけだ」


 俺より一回りも小さい背、小さい肩、小さい顔。ふかふかとした制服からは、柔軟剤の心地いい香りが漂ってくる。


 こう、なんだ、陶磁器を携えているような感じと言えばいいのか。今日の音海はひときわ透明感が際立っている。それこそ、幼なじみである俺でさえ、迂闊に手を伸ばせないほどの。


「……今日からいよいよ本格的なスタート、だな」

「そうですね。……わたし、その。これからの活動、とっても楽しみです」


 頭のなかで楽しい音楽でも流れているのか、音海は歩くペースにあわせてちょこちょこと頭を揺り動かしている。その様子は、ありていに言えばとても……可愛らしかった。


 単純に嬉しいのだろう。

 普通の青春をすべて捨てる覚悟で、音海はアイドルとしての道を選択した。


 客観的に見れば、現在の音海の地位は「成功」の部類に入るだろう。シクシクは今も成長期にあり、今後どんどん人気が高まっていく可能性も充分に秘めている。

 その重要な時期に――こいつは、活動休止の選択をした。


 これが最後のチャンスだと思ったのかもしれない。

『普通』の高校生を精いっぱい楽しめる、最後の夏休み――。


 ほくほくと緩んでいる音海の笑顔から、俺は思わず目をそらさずにはいられなかった。

 

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