第二章
第8話
完全に音海の独壇場だった。
甘くとろけるような歌声に、乱れのない振り付けを完璧にこなす。素人目に見てもキレのあるダンスは、それだけで音海の天性的な運動能力の高さを示していた。
『~♪』
歌いながら踊っているのに、呼吸ひとつさえ乱すことはない。
少しも苦悶の表情を浮かべることなく、むしろ弾けるような笑顔を振りまいている。
「うおおおおッ! ハイッ! ハイッ! ハイッ!」
高ぶったテンションのまま掛け合いコールを入れるのは日暮。こいつは現場でやかましくなるタイプのドルオタらしい。
「か……可愛か……ずるかばい、こんなの……尊みの暴力ばい……」
その右隣。うるうると瞳を揺らしながら、音海に魅入っているのが四条。こちらはむしろ現場では物静かになるタイプなのだろう。黄色い歓声を上げるのではなく、あまりの感激でさめざめと涙を流すのだ。
音海は最後まで平然と歌い切り、とどめのターンを華麗に決めてフィニッシュ。
さすがに息は上がっていたし、うっすらと額に汗がにじんでいる。
とはいえ、これだけ歌って踊り、その程度で済んでしまうのだ。正気の沙汰ではない。
俺たちの拍手喝采を受けて、音海は少し照れくさそうにぺこりと頭を下げた。
「いや、マジですげぇな円花ちゃん。どこからどう見ても完璧にアイドルだったぜ」
「うんうんっ! どこで切り取っても最強に可愛かし、ダンスはキレキレやし、歌は上手やし、声もなんか、脳がぐにゃんて溶けそうになったばい!」
「それよ! なんかもうあれだな。ドラッグだな」
「あー、なんか頭がぽーっとしてきたばい……」
ドルオタ二人衆には効果てきめんだ。俺も感心した……というか、歌っている最中は不思議と目が離せなくなった。アイドルが醸す不思議な引力というやつだろうか。
「お褒めにあずかり光栄です」
やたらと謙遜しがちな音海だが、やはり本業となるとプライドが関わるからだろうか。賞賛の声を素直に受け取る。
「しかし、朝からいいモン見せてもらったな!」
日暮が鼻の穴をぷくりと膨らませながら、満足げに言った。
みんなで朝カラに行こうと言い出したのはこいつだ。「やっぱ音海ちゃんの実力、測っとくべきじゃね?」と唐突にプロデューサー面をし始めたのだ。
十中八九、それがただの建前であったことは、この異様なニヤケ面を見ればすぐ分かる。
「最初からこれだけできるんやったら、練習はそこまで根詰めする必要もなかね!」
四条は安堵したように、柔らかな息をついた。
その様子をちらりと確認してから、おれは彼女にとある提案をしてみる。
「なあ四条。お前も音海と一緒にアイドルしたらどうだ?」
「「「…………」」」
三人分の重い沈黙が流れる。
「……ゆーくん? そい、なんの冗談ね?」
ニコニコした笑顔を張り付けたまま、四条は訊き返してきた。ちょっと怖い。
「言い方は悪いかもしれないが、音海がアイドルできるのは当然だ。プロなんだから」
「まあ、そうやけど……」
「それって、当たり前にできることを当たり前にやってるだけだろ。そこには障害も困難もなにも存在しない」
「……おいおい、急にどうしたんだよ堀川……?」
怪訝な日暮の視線が飛んでくるが、ガン無視する。
「しかし四条、アイドル初心者のお前が、残り十数日くらいでステージに立つと仮定する。すると音海にも大きな障壁が生まれることになる」
「あ……」
どうやら音海は一足早く、俺の発言の意図に気づいたらしかった。
「音海はその短い期間で、四条に歌を、踊りを、アイドルとしての立ち振る舞いを教えなきゃならない。かなりの苦労を伴うだろうが――そのぶん得られることもある」
「なるほどな。つまり青春ってことだろ」
「お前、異様にその単語好きだよな」
「言い換えてもいいぜ。要はスポ根ってやつだ」
……まあ、これで各人になんとなくのニュアンスは伝わっただろう。
ひと夏限りの部活動として、これからの日々をより印象深くするために必要なこと。
それは、音海にとっての障壁を作ってやることだ。
こいつひとりが躍って歌うのは、そう難しいことじゃない。なんせ普段から取り組んでいるからだ。しかし、そこに四条の存在を追加するとどうなるか?
「音海にとってもやりがいが出るだろうし、四条はめったにできない経験になる。悪い話じゃないと思うがな」
「ま、待たんね⁉ そんないきなり言われても、あたしは……そがんキャラじゃなかばい⁉」
珍しく赤面した四条は、火照った顔をコップに注がれたコーラの表面に向けた。
「だってあたし、観る側やし……アイドルは大好きばってん。ほ、ほら、こげん体型やし、円花ちゃんみたいにキビキビとは動けんし……」
「ううん、そんなことないですっ」
「……え?」
ゆっくりとかぶりを振る音海に、四条は心外そうなまなざしを送る。
「アイドルは誰だってできます。ほんの少しの勇気と、やってみようっていう気持ちさえあれば……こころさんにだって、絶対できます!」
力強い声音で、音海はそう言い切ってみせた。
めらめらと燃えるように揺らめくその瞳が、迷える四条をぐっと吸い寄せる。
「――……っ」
しばし言葉に詰まっていた四条だったが、
「やるっ! 円花ちゃんと一緒に、あたしもアイドル、やってみるばい!」
「お……おいおいマジかよ四条⁉」
「うんっ! だって――そのほうが絶対に楽しいばい!」
いつの間にか四条の目にも、熱く光るものが伝播していたようだった。
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