3. 遠い日のまつぼっくりツリー

 翌日の裏庭の、いつも二人で座っていたベンチ。

 そこに、待夜先輩が一人で腰かけている。


 そこから弾かれたあたしは、ツツジの茂みの陰で待機中。

 ふーんだ。

 どうせデートのお邪魔ですよ。

 とまた一人ぶーたれているとさっそく、甘ったるい声が響いてきた。


「待夜せんぱぁいっ!」


 くるりんとカールしたまつ毛。

 短くアレンジしたスカート。ゆるく結んだ制服のリボン。

 ブラウンがかった髪のゆるふわはなんだかいつもより気合い入ってるっぽい。


「わぁ嬉しいっ。ほんとに来てくれたんだぁ」

 本日のお姫様――五宮さんがやってきた。

 はじけんばかりの笑顔で五宮さんは言う。



「いきなり手紙なんか出してごめんなさい。びっくりしちゃいましたよね?」


 出た。ラヴァンパイア一族秘伝、恋する乙女を見抜こうマニュアルより。ひとつ。小首をかしげたり、肩を竦める等、自分を小さく、かわいらしく見せようとする仕草。

 プラスこぶしをあごにあてるオプションつき! なかなか恋愛上級者と見た。


「すごく緊張しちゃった、来てくれないかもって不安で」


 はいこれもです! ひとつ。うるうる目の上目遣い。

 先輩からその目を離さないまま、いそいそと、持ってきたお弁当の包みを膝に乗せて、五宮さんは緊張しているというわりに手慣れた動作で先輩の袖を引く。

 その拍子のようにうつむけた顔で唇をすぼめて。


「先輩、いつもここに三朝さんといるから、カノジョなのかなって」


 今生まれて初めて五宮さんに、さんづけされたような。

 おっと、そうじゃなくて。

 ひとつ、他の女性も彼を好きなのではないかという疑念を抱く。根拠がなくてもあり得ます。


 

 

 ネイルきらきらの両手の指をそろえて、五宮さんははしゃぐように言う。

「そうそう、噂、ききました! 校舎から落下した三朝さんをキャッチしたなんてすごいっ」

 

 ひとつ。弾んだ声。すごい、マニュアル通りだ。

 などとのんきに観察していられたのはここまでだった。 


「……あと、部活見学のとき、あたし、天文部の出し物も見に行ったんですよ。プロジェクターを使ったプラネタリウム。臨場感バツグンで、すっごくすてきで、まるでほんものの宇宙にいるみたいで」


 て?!

 あのー。

 それぜんぶ、あたしからきいたことですよね。


 もやもやっと胸の中にスモッグのようななにかが広がっていく。



「あんな映像を教室に出現させちゃうなんて、待夜先輩は天才ですね!」


 あたしが、あたしの口から。

 先輩に伝えたかったことなのに。


「それは、ありがとう」


 先輩はと言えば――曇りのない、心から嬉しそうな笑顔。

 

 これは……と、頭の中の判定機がはためく。

 だまされてはいけない。この人も、恋に関しては五宮さんに劣らず猛者だ。

 彼女が話を大盛に盛っていて、天文部の作品も見たことがないってことに気がついていながら、嬉しそうなさわやかスマイルを演じている可能性は十分にある。


 ……でも。


「五宮さんのような人にそう言っていただけて嬉しいです」


 ずきっと、銀色の刃が心をえぐる感覚。

 いや、ほんの少しだけだけど、ほんとうに心から喜んでいる可能性もあるわけで……?

 それを裏付けるように彼は楽しそうだ。


「あの、冥都先輩って呼んでもいいですか」

「呼びやすい呼び方でどうぞ」


 ふーん、許可するんだ。

 やっぱりまんざらでもないんじゃないかあの男。

 そのとき、二人のあいだに、なにかピンボールサイズのものがおちてきてことんとベンチに転がる。

 待夜先輩が拾い上げたそれは――まつぼっくり。

「この時期珍しいですね」

 いくつもの茶色いひだがひしめくそれは、秋に見かけるものよりも一回り小さい。

 夏に落ちるなんてことあるんだ。

 秋に落ちるそれより一回り小さくて、赤ちゃんみたいでかわいい。

 五宮さん、ここぞとばかりに黄色い声出すんだろうな。

『わーっ、かわいーっ、めずらしーっ』

 とかって。

 そう思って待夜先輩のとなりの彼女を見ると、意外や意外、うつむいてしまっている。

 その顔色も心なしかよくない。

 どうしたのかな。

 この暑さだし、体調悪くなっちゃったんだろうか。

 監視要員改め救護要員として、出ていったほうがいいかな。

 いや、それはやっちゃだめか。

 カレシの役目だもんな。

 でも当のカレシ役は微笑んだまま、静かに問う。

「おきらいですか。まつぼっくり」

 その響きには、すっと、心の底に手を優しく差し込まれるような。

 なんでも応えてしまいそうな和らぎがある。

「えっと……」

 たっぷり十秒ほどの逡巡ののち、五宮さんは今までのハイテンションが嘘のような消え入るような声で答えた。


「まつぼくりで小さいクリスマスツリーをつくって。でもけっきょく、捨てちゃったことがあって」


 教室でも見たことがない、その悲しげな瞳に思わず茂みから身を乗り出す。

「小学校二年生くらいのとき。両親にプレゼントしようと作って。でもイヴをいっしょにすごすって約束、二人は守ってくれなくて」


 少しだけ前かがみになった先輩が、そっと問いかける。

「それで、作ったプレゼントを、その手で?」

 そっと、五宮さんは頷いた。


「あは、は。なんでこんなことしゃべっちゃったんだろう。もうとっくに過ぎたことだし。いいんですけどね」


 笑う声にも、どこか力がないように感じる。

 ……そうだったんだ。

 おかあさんは有名な女優さん、おとうさんは映画監督ってきいたけど。

 忙しいご両親のあいだに生まれた五宮さんに、そんな少女時代があったなんて。


「そうですか。その次の年もそのまた次の年も。五宮さんは、クリスマスはずっと一人だったんですね」


 痛ましそうに目を細めて、まるで今、小さな五宮さんを見ているように、先輩は言う。


「……もう、いいんだってば!!」


 きつい口調で言うとはっと目が覚めたような顔になり、五宮さんは笑顔をつくって首をかしげた。


「このハナシはおわりっ。それより、冥都先輩のかっこいいエピソードがききたいで――」

 がしっ。

 先輩が、五宮さんのせりふを遮るように、手を握った。

 射抜くようなヴァイオレットグレイの瞳が彼女につきささる。

「いいえ、まだ、終わらせません。――あなたの話の、続きを、所望します」

 さすがの五宮さんも、大きな目をぱちぱちさせて、先輩を見つめ返すしかできないみたいだ。

「五宮さん。その髪を束ねているシュシュ、お弁当の包みも。すべて、手作りですよね」

「……」

 沈黙は、正解の証の気がした。

 先輩の示した彼女の持ち物。それはどれも布やビーズ、レースを何枚もつかった、繊細で女の子らしいデザイン。

 もしかして、あのめちゃかわいい惑星のペンケースも……?

「使用している布のデザインはそれぞれ違いますが、同じデザイナー、リュネール月子氏のものです」

 鋭くそう言ったあと、にこりと先輩は微笑む。

「お好きなデザイナーがいらっしゃるんですね」

 かすかにそのグロスのついた唇が動いたけど、やっぱりなにも言わないまま、五宮さんは正面に向きなおる。

「とてもよくできています。デザイン、出来栄えともに人目をひく」

 それにかまわずに、先輩は続けた。


「なぜ、隠しているのですか。手芸が得意だということを」



 その人が心の奥の砂浜に埋もれさせて隠している小さな小箱をそっと取り出して――陽の光にあてるように。


 人は、そのすてきで大事な小箱を、自ら砂に埋めてしまうくせに、ずっと待っているんだ。

 誰かが気づいて、触れてくれるのを。


「……今、つるんでるやつらは、こんな少女趣味のもの、ダサいって言いそうで」



 はっとして、あたしは最近の五宮さんの動向を思い出す。

 もともと派手な人だったけど、ちかごろ他校のやばい人たちともいっしょにいるとか、小耳に挟んだことがある。

 あんなかわいい品々がダサいなんて――不良文化、解せぬ。


「物を作るのは、小さい頃から、好きで。親が家にいないことがほとんどで、暇つぶしに小学校の図書室で手芸の本借りてやってみてて」

 言葉を紡ぐ自分自身に戸惑いながら、それでも五宮さんの言葉が止むことはなかった。


「……なんか作ってるときだけは、なにもかも忘れられて」



 先輩は少しだけ惜しそうに微笑んだ。

「やめてしまわれるんですか」


 かすかな苦味の混じった甘い笑みに、五宮さんが顔をあげる。

「そうすると、未来の世に誕生するはずの数々の作品が、失われてしまいますね。それを手にするはずの人たちの笑顔も。――残念です」

「――」

 五宮さんは、なにも言わない。

 さっきはあんなに盛んだった恋する人へのアタック仕草が、まったく不発だった。

「あなたの生み出す美しいものがまだ、オレは見てみたい」

 先輩の台詞が終わると同時にチャイムが鳴っても、五宮さんはしばらく、ベンチに棒のように直座していた。

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