チャプター3 考古学を愛した男、鷲尾修三。
オリファルコンという物体が、いったいどんな鉱物であったのか、それを知るすべはない。
後期試験の迫った授業は、どこか緊張感をはらんでいた。名誉教授の鷲尾は、内心それを快く思っていた。
『ボーイズ ビー アンビシャス。少年よ大志を抱け。若者たるもの大いに食べ、飲み、恋に花を咲かせるのも時には必要だろうて』
毎年試験シーズンになると、生徒の面持ちは少しずつ変わってくる。
ここは日本大学文理学部。下高井戸キャンパス。ご多分にもれず一浪一留年。22歳の直人が授業を受けている。
十年以上も昔の直人は、どこか間抜けヅラしている。頭もぼさぼさで、左側頭部に寝癖がばっちりついていた。
当然、社会学部 考古学科の成績は、後ろから数えた方が早く、授業は代返ばかりで、必要のない授業はほとんど顔を出さなかった。特技、合コンで芸能人の物まねをする大学2年生だ。2留年しないのが不思議なくらい、本当に学校に顔を出さなかった。
下宿先の豪徳寺のアパートには、せんべい布団が
親からの仕送りはパチンコの軍資金として消え、足りない分を古本屋のバイトで補っていた。
食事は1日2食。
朝は食パンの耳だけを食し、夜は牛丼を食べることが多かった。
野菜は高価でとてもじゃないが、食べられなかった。自炊は基本しない。
彼女もコストがかかるのでいなかった。アダルトDVDが、直人の友達みたいなものだった。
そんな直人だったが、人気の鷲尾の授業には毎回欠かさず出席した。
考古学にはロマンがある。食べる時間を惜しんでも、縄文時代や弥生時代に思いをはせるのが好きだった。
鷲尾の講義はいつも満席だった。
そこに客員として招かれた島崎敬子が中央前列3段目で、ノートを取っていた。対照的な2人は、まだお互いを意識することもなく、存在にすら気がついていない。共通項があるとすれば、敬子と真理子が短大時代の友人で、時をずらして直人の前に現れると言うことか。
当然、そんなこと2人とも知る
きらびやかなキャンパスにも遅らばせながら四季が訪れる。談笑したり、議論を交わしたり、芝生の上で繰り広げられる様々な光景にも、冬になるとそうめったにお目にかかれなかった。
学ぶ時間は意外と短い。そして一生逃れられないのも事実である。
新学期と同じ満席となった教室を見渡しながら、その中から客員として招いた島崎敬子に目を向けた。
黄色いドレスがよく似合う、イチョウの妖精のような女性。それが島崎敬子だった。
鷲尾は彼女から視線を水平にずらし、優しいまなざしで教室を見渡した。いつになく教室が狭く感じた。島崎は姿勢を正し、ノートに目線を落としている。ペンを走らせている姿がとても真剣で熱い。腕時計を視界に入れ、あと15分もすれば授業が終わることを確認した鷲尾は、中央の通路を後方に歩いた。
『例えば浦島太郎。彼は竜宮城に行くのに亀の背中に乗ったと記されているが、あれは亀じゃなくて円盤だという説もある』
無責任に言い放った言葉に、生徒の反応も冷ややかだった。誰も教授の話を
『かぐや姫もそうじゃ。彼女が天に帰るとき身にまとった天の羽衣が宇宙服で』
一呼吸置き、
『月から迎えにきた雲の車が円盤だという説もある』
わかるか?
というような顔をして反応を見た鷲尾は、自分でも少し困った顔をした。
『なぜだと思う? それはだな、浦島が年を取らなかったじゃろ? そのことによって証明されておる。円盤は光より早く飛ぶから年をとらないんじゃよ。だから地球に戻ったとたん、時間軸の関係で、じじいになってしまった』
これは達也の研究論文の一節だが、鷲尾は学生の興味をひくためにあえて同年代の達也の論文を引用した。学生はみな、きょとんとしていて、教授は話をしたことを後悔した。
『さて、いまから2億4000万年前』
おっふぉん、1つ
『中世代3畳紀に出現した恐竜は、ジェラ紀、白亜紀と進化を遂げたんじゃ。絶滅する6500万年前後まで、自らの破滅に向かって歩み続けることになろうて、誰も思わんかった』
マイクを右手に持ち替え、ここからが本題だということを暗に伝えた。
『宇宙大異変、カタストロフィーさえ生じなければ、いまもオルニソレステスの時代が続いていたかもしれないだで』
と言った。
オルニソレステスは賢い恐竜で、恐竜の中で一番知恵があると言われていた。
鷲尾の描く、は虫類モンゴロイドは、子供を教育し、言葉を操り、集団で行動し、なんら人間と変わりなかった。トカゲのうろこを持つ人間版といったら、当たりさわりがないだろう。
惑星直列のグランドスラムで、惑星が異常接近し、その引力で
『原爆の1000倍も破壊力のある
気温は氷点下を下り、寒さをしのげないものは死に、海水、氷上で暮らせないものは去り。エサにありつけないものも…』
核の冬の光景を想像したところで、授業の終わりを告げるベルが鳴った。5時限目の授業ともなると、さすがに老体の鷲尾にはこたえた。声も少しかすれてくるし、目もかすむ。
とにもかくにも宇宙の起源という授業は何事もなく無事に終わった。
授業を無事に終えた教授は、我が
様々な古代遺跡のデータを半年間コンピューターに打ち込んだ結果が、今日でることになっていた。胸騒ぎのためか、ナチュラル・ハイになっていた鷲尾は水を飲みたくてコップを手に取った。
粘土板に刻み込まれたクレタ文字は、明らかに1つの法則に基づいて書かれているようだが、現代人には記号の羅列にしか見えない。
なので記号を音にして解析し、音の順番から文字の解読へと移行する装置を企業に協力してもらい開発した。大学の研究費としては異例の額だったが、学長が鷲尾の研究に好意的だったのがよかった。予算を辛うじて通してくれた。
紀元前4500年前の言葉が果たしてよみがえるのか、鷲尾自身も半信半疑だったが、自身の研究には絶対的な自信を持っていた。
今回で9回目となる解析に、手前味噌ながら根拠のない自信を持っていた。実験室にこもり、既に4時間が経過した。
『古代遺跡のデータは、これですべてかね?』
助手であり、4年生で、卒業を控えた達也にたずねた。達也は大学院への進学を希望していて、将来は父親と同じく教授を約束された人物でもある。島崎敬子との結婚を2年後に控えていた。鷲尾は難しい顔をして息子の達也に指示を出している。
『わしも考えてみたんじゃが、』
一呼吸置き、
『なんせ、8億通りもの組合せがあるらしいのでな』
あくまで推測の域をでない形で、予測を組み立て、思い思いに語った。
フリーライターも手がける鷲尾達也は、もう一歩踏み込んだ形で古代文明やアトランティスを研究していた。多少の勇み足はあるものの、鷲尾修三と比べて考え方が柔軟で、吸収力が早い。
突拍子もないことを考えつくのはいつも達也で、そのたびに鷲尾は防戦にまわった。
あずかった古代遺跡の返却が来年に迫ったいま、
『おい、達也。解析はまだか?』
教授が大声で息子の名前を呼ぶ。そこに島崎敬子が現れた。
『失礼いたします』
礼儀正しい敬子の声が紅一点、研究室に響いた。研究室が急に華やぐ。研究室に招待されている敬子が、教授のところに行き、ぺこりと頭を下げた。敬子を正面に迎えた鷲尾は息子の前で威厳を保ちつつ、敬子に顔を向け軽く会釈した。
『やあ。こっちに来なさい。わしはうれしい。何せこの研究が成果を上げれば、わしは学者として名をあげる。おまえもそうだで、名誉教授にはなろうて』
敬子を横目に達也に話しかけた。照れくささもあって、あえて敬子の目を見れないのは、今に始まったことではない。
達也と敬子がお互いを見合わせて小さくうなずいた。科学サイエンスの雑誌を扱う敬子は、実験の日は必ず同席するようにしていた。
小さなコラムを掲載し、状況を雑誌に連載するのも、彼女のメインの仕事といっていい。今日が考古学上、いかに大切な一日となることか、鷲尾は期待と不安で高ぶっていた。
『アメリカのマサチューセッツ大学には、連絡を入れたか?』
達也がぬかりなく答えた。
カチカチカチ…。
『コンピューターが、解析を始めました』
機械のうなる音が部屋じゅうに響き、カチカチと乾いた音が
『解析はまだか?』
鷲尾が椅子の周りを右往左往する。しかしそれ以降、何も言葉を発せず、軽く30分が経過した。
『今回も駄目か?』
鷲尾教授が弱音をはいた。
あたりはタバコの煙で白み、もやがかかったようである。
そして待ちくたびれた研究室に、ようやく2通りのサンプリングを組み立てた。深い声が研究室に響き、感情のない奇妙な声がデータを読み上げた。
『データ1…』
数秒の沈黙が辺りを支配した。
『ギルガメッシュ
カチカチカチカチ…。
『放火、強姦、暴動、人殺し。警察力が完全に
ピー。ガチャガチャ。
そこで鷲尾は達也に、
『おい、聞いたか?』
目を見開き、大きな声で言った。
《続く》
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